表紙

Title:週末トレインいつ動く?

年度:2026年

筆者:
・地の文: ふーや
・会話文: 洪 小雨
上代 桜子
山井 陽太
西田 正
掛川 凛太朗
深川 隼希
藤村 由羽

第1章
 それは懐かしいと郷愁に浸るには少々新しく、そして重苦しかった。まだ冬の寒さが残る小学校の東ホールに体育座りで敷き詰められている小学生達の中に僕はいた。みんなの視線は前に立たされている3人の男子児童に向けられている。

 ホールのどんよりとした空気は僕の胸を詰まらせる。その空気の原因はいかにも厳しそうな男性教員にあった。彼は真剣な面持ちで僕らの前に立ち、3人の罪状を話す。

「非常に――な話をします。――が近いこの時期に――ことが起こりました。――さん達が――の――を――ました。こんなことをしているようでは――できませんし、――になれません」

彼の言葉にノイズがかかる。この重苦しい空気が、先生の怒りが、連帯責任として集められたことへの不満が、僕の聴覚を鈍らせた。たぶん、非常にくだらないことだったと思う。この集会がいかに茶番で、先生の自己満足で、滑稽なことか、冷静に考えたら理解できることだ。

「彼らに何か――がある人は――してください」

しかし、僕は先生の茶番に乗った。誰も手を挙げない中で挙手をする。当然、先生は僕を当てる。

「幸也くん」

僕は立ち上がり、3人に冷たい視線を送る。

「僕はいけないことだと思います。こんなことを当たり前だと思います。当たり前のことを当たり前にできないのはおかしいと思います。こんなことをする人はは中学生になるにはふさわしくないと思います」

そう言い放って座る。こういう態度を示さないと先生が怒り出すのは目に見えていた。それは周りも分かっていた。だから、僕の発言をきっかけに周りも注意という名の石を投げる。それは先生が静止するまで続けられる。そんな禊を受ける3人を可哀想とは思わない。そもそもどんな理由であれ、彼らが問題を起こさなければ、こんな集会は起こらなかった。僕らをこんなストレスフルな空間にぶち込んだ罪の精算は果たさなければならないし、僕らの苦しみを理解させなければならない。僕は3人に軽蔑の眼差しを送った。

 連帯責任、僕の嫌いな言葉だ。ただでさえ自己責任で怒られることすら苦痛な僕が他人のせいで負の感情に巻き込まれることを受け入れられる訳がない。ただ、社会生活を送る人間として、それを受け入れなければならない。だから僕は僕の心を守るために大人にとって都合のいい子になった。親や先生、大人の言うことは全て聞いたし、先生の勧める大学に進学した。親に言われて免許も取った。そんな僕を周りは馬鹿にする。やれ評定稼ぎだとか、媚び売りだとか、傀儡だとか……僕は嘲笑の的だった。そんな彼らを僕は見下している。こういう奴らが連帯責任の原因になるからだ。そいつらに比べれば僕の方が精神的に健康な生活を送っているはず……

――――――

 気がつくと僕は、電車の1両目にいた。1両目にの先頭の左角に体を挟めるように僕は存在した。比較的新しめの綺麗な車内にエアコンの音がうっすら聞こえる。それは僕が普段使いしている電車と同じだった。しかし今日、電車に乗った記憶はない。僕は親にペーパードライバーのことを言われ、運転感覚を取り戻すために秋晴れの今日、近くのレンタカー屋で車を借りて運転する予定だった。電車に乗る機会もないし、久々の運転でフットブレーキに戸惑った記憶もある。ではなぜここに?

 頭を抱える僕に左側1番ドアの窓から秋晴れ……というには強すぎる日差しが差し込む。だが不思議と暑くはない、エアコンが強すぎるのかむしろ寒いくらいだ。そのドアから景色を眺めると、ブロック塀越しに見える家々ので景色は止まっていた。運転席に目を向けると運転士がしきりに連絡をとっている。

「――のところ大変申し訳ありません。ただいま、――――で、――しております」

突然の車内アナウンスには強めのノイズがかかっていた。ただなんとなく状況は分かる。なんらかの事情で緊急停車しているのだ。

 再び車内を見渡すと皆スマホに目が釘付けになっている。比較的車内は空いており、歩けるスペースがあった。しばらく電車は動きそうにない。そのため、僕は現状を理解するための第一歩を踏み出す。その一歩はとても軽く、重さを感じない。体は軽く、なんだか酔ったような、フワフワとした感覚だった。

 車内は緊張と困惑が混じり合う。空いてる方とはいえ青いロングシートはそれなりに埋っており、あえて座らずに立っている人間もチラホラいた。乗客に目を向けると、冷えピタを貼り、いかにも体調悪そうに仕切りに寄りかかって座っているおっさんの周りには隣に座る豹柄のジャケットを着たクソダサ男以外、皆ソーシャルディスタンスを保つ。その向かいにはグレーのパーカーを着た女性が履いているクロックスを地面に擦り付けながらスマホを見ていた。そこから歩みを進めると、裸足の不審者がオレンジの優先席の真ん中を陣取り、栄光の孤立を気取っていた。その斜め向かいのドアには丸メガネの社畜がペコペコとスマホに頭を下げている。その横のロングシートには細身の女性がリュックに顔を埋めていた。他にも方々からため息や愚痴が飛び交い、この場に漂う負の感情によって耳が痛くなり、背筋が冷える。この張り詰めた空気はいずれ大きな事件の引き金になってしまう……そんな不安に襲われた。
第2章
 僕は優先席近くのドアから車両内の状況を目撃している。現在、裸足の変質者が闊歩し始めたことにより混沌の様相を呈していた。乗客の何人かは彼に関わらまいと別の車両に移っていく。しかし、可哀想なことに運転席側の乗客はできるだけ前に詰めて、距離を置くことしかできない。彼らは日差しに当てられ、額に汗を滲ませている。それらの状況について変質者は気にも止めていない様子だ。

 一方でその場に止まっている変人もいる。特に豹柄男は変質者にスマホを渡すわ、車両内を歩き回り、細身の女性に声をかけたりして乗客を拘束するわで周りに迷惑を与えている。なぜあの変質者と軽い感じで関わることができるのだろうか。おそらくだが、あの軽いノリは彼なりの善意なのだろう。その善意が他人にとって迷惑ということがわかっていないタイプだ。

 高校時代にこれと似たタイプの男に構われて神経がすり減る毎日を過ごしたことを思い出す。こういうタイプはトラブルの種になる。人には人の距離感があるのにもかかわらず、平気で距離を詰めて地雷を踏む。僕も「毎日楽しいの?」や「自分のやりたいようにやんな」などと言われてたが、担任が僕を問題児係にしていたため、必死に耐えた。しかし、耐えられない者も当然おり、そいつはそいつで僕を敵認定して「なんで――と仲良くしてんの?――だけど」と暴言を浴びせてくる。このとき、1番不快な気分に陥ってるのは僕なのに同情どころか当事者扱いされる。だから僕はこの手のタイプとは距離を置いている。

 トラブルを起こすと言えば、スマホの通話を通してこの状況を実況しているクロックス女も問題だ。さっさと逃げればいいのにその場に止まり、実況中継するなんて危機管理がなってない。現に変質者に認識されている。それで反省していない様子なのが気に入らない。彼女を見ていると、高校2年のときに教師の悪口しか言わなかった女子を思い出す。どうせ僕のような表向きイエスマンに不満を言って満足するだけで何も学ばないのだろう。非被害者にはなるが同情されないタイプだ。

 これらの人間たちには関わらないのが吉だ。しかし、そう言ってられない状況もある。

「なにw人身事故?」

豹柄男がこう言っていたことから、この状況の原因は人身事故が原因だということが分かる。このような状況下では多少気に入らな人間ともコミュニケーションをとる必要に迫られる。その時にうまく立ち回るためにも仮面をつける必要がある。

「だから!――!です!」

強いノイズが走り、僕は思わず耳を塞いだ。この冷えピタおっさんのようにいくら体調悪いとはいえ同じことを聞かれてすぐに声を荒げてしまうのはのよろしくない。それが不利になる原因になるから。中学時代、文化祭をサボる男子に声荒げた結果、クラスから孤立したことから理解したことだ。この社会において正論かどうかはそこまで重要ではない。できるだけ丸メガネ男のように常識人として振る舞った方がいい。こうやって僕も生きてきたからだ。

「まあ、どうせなら長々待ってもまあ、いいんじゃないかなと、個人的は特に、急ぎません」

……ただ、彼の場合、言動の節々から本当に急いでないどころかこの停車を喜んでいるからこその態度にも見える。僕ならさらに本音を隠す。そうしないといつ地雷を踏むか分からないから。ピンチになっている人間ほど危険なものはない。

 この緊急事態によって人の負の感情が可視化された。それは僕の気分を害し、悪寒と怒りを覚えさせる。その原因は人身事故、それがなければこんなことにはならなかった。というより、なぜ僕がこの状況に立ち合っているのか理解できない。夢ならば覚めてほしい……。それはそれとして、人身事故を起こした人間はとりあえず土下座してほしい……。

「人身事故……、人身事故を起こした人にも何か理由があったんですかねえ」

理由、確かに事情があるかもしれないが……。

「――なやつだよ。――なんて知らねえよ」

「理由があったとて、知ったこっちゃないんですがね……」

実際、理由なんて知ったことではない。

「人身事故ねえ。故意なのかどうかが重要っすね。故意ならこんな時間にやんなよって怒りたいっすね」

故意ならより罪深い。死ぬなら1人で黙って死んでほしい。そもそも人1人の事故で多数の人間が迷惑を被るのだから故意じゃなくても罪深いのに……。

「いえいえ、僕がいいたいのは、こういうときに何かを敵に回すことや悪の原因を決めたくなってしまうのは人間の性分なのだろうということがいいたいだけなのですよ」

……お前が言うな。裸足の変態が言ったところで説得力がない。さっきから偉そうに論じるこの変態を蹴り上げたくなってくる。だがここは冷静に仮面をつけて立ち回ろう。

「あのー、あんまり立ち歩かない方がいいと思いますよー」

とりあえず全体に向けてやんわりと伝えてみる。だが、誰も僕の声に気がつかない様子だ。

「あのー!」

さっきより大きな声を出す。誰も反応しない。世界から孤立した気分だ。僕だけ別の世界にいて一方的に干渉されている気分……。

「これは……夢?」

そうか、これは夢だ。だから身体は軽いし、周りから無視されるんだ。これは夢、しかも悪夢だ。ならば僕も反撃しよう。僕の夢なら僕の思い通りにできるはずだ。

 僕は貫通扉の前に立つ。そして裸足の変態の方を見る。汚らしい格好で見ていて不快だった。手始めにこいつを蹴飛ばして、人身事故の犯人を締め上げよう。それくらいしていいくらいには悪夢なのだから。

「今から蹴りますよー!」

そう言いながら走る体勢になる。今からこいつを思いっきり蹴り上げよう。

 その時だった。背後の貫通扉が開いた。そこからカバンを持った半袖スーツの中年おっさんが出てくる。彼も僕の存在に気が付かない様子でズンズンと進んでくる。

「あ、ごめんなさっ……え?」

おっさんは僕の身体にぶつかることなく通過した。僕の身体をすり抜けた。理解できない。夢とは言えど触れないことなどあるのだろうか。僕は自分の身体を見る。

「……え?」

……僕の身体は青白く半透明になっており、足下はすでに見えなくなっていた。
第3章

 僕はこの状況を受け止めることができなかった。現状から分かることは僕は幽霊に近い状態になっているということだ。そう考えると身体の奥底が凍りつく。

「――――、――――!」

冷えピタのおっさんがこちらを指差して大きなノイズを出している。たぶん、怒っているのだろう。幽霊になった今でもこの感覚は変わらない。むしろ、全てがノイズに聞こえてくる。その影響か、視界にもノイズが走り、乗客の顔面が歪んで見える。乗客はかろうじて服装と動きで判別できるレベルだった。

 僕の存在に気がついているのは冷えピタのおっさんだけのようで、彼に反応してる者はいるが見えていない様子だった。ノイズはどんどん強くなり、怒りのボルテージが上がっているのを感じる。豹柄の男と半袖の半狂乱のおっさんが殴り合いを始めた。周りの人間もパニックを起こしている。この車輌に溜まった負の感情が人間を闘争に走らせているのだろう。まさに悪夢のような光景だった。早くここから逃げ出したかった。

 一瞬、半袖のおっさんの顔がはっきり見えた。しかし、すぐに見えなくなる。そう思っていたら豹柄の男に殴られて再び顔面が鮮明に見えた。

「おまえか?」

全身が青白くなったおっさんは僕を睨んだ。僕はどう答えるか迷っていると、

「ぼくが――を守るんだ!」

と、彼は足下で伸びている本体なんて気にも止めずに僕に向かって走ってきた。生命の危機を感じた僕は彼を飛び越えて運転席に向かって走る。

「――!――!」

何か叫んでいるようだが、どうせ碌でもないことだ。早く安全なところに隠れたい。ここから逃げたい。僕は全力で運転席に向かう。パニックになっている乗客をすり抜けて運転席に入る。そこは安全圏だった。ここにはおっさんも入ってこないようだ。

 おっさんは扉のガラスをどんどんと叩く。彼の背後には歪んだ人間のような存在がノイズを発しながら窓やドアを叩いている。

「悪夢だ……」

そう呟いてしまうほどの地獄絵図が広がっている。そこから目を背けるように窓の外を眺めると、さっきまで見えていたブロック塀や家々を見下ろしていた。線路が見えてくる。家々がどんどん小さくなっていく。そんな衝撃的な光景に僕は腰を抜かす。そんな僕に追い討ちをかけるように僕の近くにはひどく歪んだ駅員のような何かが横たわっていた。

「ひぃっ!」

僕は飛び上がって扉に張り付く。早くここから逃げ出したい。そう思っていると、電車が急に動き出した。

 ……これは僕が悪いのだろうか?この状況に置かれているのは僕の責任なのだろうか?そんなことを考えれば考えるほどに電車のスピードは早くなり、ノイズも次第に大きくなる。頭が痛い。身体が軋む。息が上がる。迫り来る非常識な現実が僕の身体を蝕んでいく。

「……別のことを考えよう」

僕は再び外を眺める。こんな状況に似つかわしくないほどの青空、変わらない街並み、この世界は不気味なほど平常通りに進んでいる。

「……え?」

ある一つ事故に目が止まる。踏切付近で電車が銀色の車を押し潰している……それはこの遅延の原因だった。ただ、そのペシャンコになった車には見覚えがあった。
第4章
「あんたペーパーなんだから運転しなさい」
そう母さんに言われて土曜の朝にレンタカーを借りた。10月とは思えないほどの日差しに汗を滲ませながら車を動かす。数ヶ月ぶりの運転は全身に力が入った。

 正直、運転なんてしたくなかった。親に同乗された時には「見ていてヒヤヒヤする」「今行けただろ」「危ない!」などと小言を言われ続け、運転が嫌いになっていた。「僕1人で運転するの危なくない?」くらい言えばよかったのだが、僕はいい子だから何も言わなかった。僕は大人に言われて、1人で、都内で、苦手な運転の練習を、したのだった。

 だから踏切で脱輪した。僕はパニックを起こす。

「え、なんで!?なんで動かないの!」

そうしている間にも踏切は点滅し、遮断機が降りてくる。遠くから電車の影が見えてくる。

「えっと、こういう時はどうすればいいんだっけ?発煙筒はどこだっけ?いやその前に非常ボタン……ってそんなの無理だ!出ないと!あ、シートベルト」

その時には電車の影が僕を覆っていた。

――――――――

 ……思い出してしまった。僕は人に迷惑をかけずに生きてきた、それがアイデンティティになる程には。それにもかかわらず僕は最期に多くの人間へ多大なる迷惑をかけたのだ。

 身体に強い衝撃が走る。急に重量が襲い、身体が軋み出す。腕が逆方向に折れ曲がり、全身にヒビが入りそこから青白い肉や骨が見える。

「なんだよ……これ!」

僕は運転席から飛び出した。不幸中の幸いかあのおっさんはいなくなっていた。代わりに人間のような肌色の塊がクネクネと動き、あらゆるところから大きなノイズが響いている。

「誰か……助けて」

背に腹はかえられないと発した助けは誰にも届かない。こんな罪人を助けてくれる存在なぞこの世に存在しないのだ。そうら思えど、助けを求めるのが人間なもので全身に走る痛みに耐えながら僕は助けてくれる存在を探した。

 すでに青白い肉塊になった足を引きずりながら助けを求めていると、くっきりと見覚えのある人間が立っていた。しかしそれは僕にとってあまり関わり合いになりたくなかった存在でもあった。

「裸足の変態……」

そうボソッと呟くと、彼は何も言わずに僕の方に歩みを進める。本当は嫌なのだが仕方ない。

「頼みます……助けてください」

しかし、彼は何もしない。僕は痛みに耐えきれず、ドアに寄りかかる。いつの間にか電車は止まり、当てつけかのように事故現場が見えている。どうしてこんなにも苦しまなければならないのか……どこにも向けられない怒りが胸の奥底に溜まっていく。

「ねぇ、助けてくださいよぉ……謝りますからぁ、こんなことになってるのは僕のせいなんでしょぉ?」

床に崩れ落ちながら彼に懇願する。僕は今、ただ痛みに負けて縋れるものに縋る哀れな肉塊になっていると思う。

「『僕のせい』……ですか」

そう彼は笑った。確かに今の僕は客観的に見て滑稽だと思う。それでも笑われると非常に腹が立つ。僕は彼に掴み掛かろうとする。しかしうまく歩けずに転倒する。

「何がおかしいんですか!僕だって必死なんですよ!確かに事故は起こしたけど、それまで至って真面目生きてきました!親や先生にも逆らわずに善良な優等生として生きてきたんですよ……それが、いきなり意味不明な状況に巻き込まれて、みんなに責めたられて、こんなに痛い思いして……」

今まで受けてきたストレスが涙になって落ちる。僕はなんのためにここまで生きてきたのだろうか。少しの間、沈黙が流れる。ノイズだけが僕の鼓膜を切り裂く。彼の声が聞こえてくる。

「……その人生、幸せでしたか?」

その言葉に何も言い返せなくなる。僕は幸せだったのだろうか。世間的には優等生の勝ち組なんだと思う。でも実際は何も動けない人形みたいな人生。それが僕だった。

「……まぁいいです。ただ……」

彼は車内を見渡した。

「あなたは見れてないようですねえ。この世界を」
「見れてない……?」
「さてさて、恐ろしいのは、目に見えない幽霊か、目に見える人間なのか……」

そう言うと彼は消えてしまった。

 彼の言ったことはよくわからない。ただ、いつの間にか世界を正しく認知できなくなっていたのは事実だった。僕はこの世界に集中してみる。すると、世界がはっきり見えてくる。カオスなことには変わらなかったが、腹を抱えて青ざめている社畜や腹話術をしているおっさんなどが見え、少しだけ滑稽に感じることができた。

「カラス?カラスの群れだ!」

言葉がはっきり聞こえてくる。外を見るとカラスの大群がこちらに迫ってくる。電車と衝突する。電車は激しく揺れている。ドサリと物音がした。そこには細身の女性が持っていたリュックが落ちたようで、中から漂白系洗剤のボトルと洗剤のような物が見えていた。未だに揺れは収まらない。僕はなんだか不安になったが、この電車の行く末を見守ることにした。
             第5章

 電車は何事もなかったかのように元の線路に停止していた。カラスが消えた窓からは家々の上から秋の暖かな日差しが差し込んでいる。まるで今までの出来事が夢だったかのように……

 しかし、それは本当の出来事であった。そしてそれは乗客の記憶にもしっかり残っているようで、彼らは黒木の指示の聞き、急いで窓を開ける。何人か倒れている人間もおり、その中にはクロックスの女性もいた。そしてその原因であるリュックの持ち主はそのまま心中を図ろうとしていたようだが、冷えピタのおじさんに気づかれ、

「もうやめろー!」

と、片手人形のおじさんに取り押さえられた。その様子を見て、

「これ通報した方がいいですよね……」

と、メガネの会社員が腹を押さえながらスマホで警察に連絡している。

 その一方で、運転士が目覚めたようで、運転席から飛び出してきた。黒木は彼に今までに起きたことを説明する。乗客同士のトラブルも、電車が急に空を飛んだことも、謎の儀式が始まったことも、毒ガスが発生したことも、鷺沼が飛び降りたことも、いつの間にか元に戻ったことも……電車が人身事故の影響で緊急停車したことも全て説明していた。僕はそこでこれまで起きたことは紛れもない事実であることを再確認した。

 電車はまだ動かない。たぶんSNSのトレンドは緊急停車一色から電車が飛んだこと一色に変わっていることだろう。しかし、乗客は落ち着いた時にこの遅延の原因を思い出して怒りに震えることだろう。そしてその原因は僕だ。原因……その言葉を考えていると、記憶の奥にしまっていた苦い思い出を思い出す。

――――――――

 東ホールに敷き詰められたあの学年集会。前に立たせられる3人の男子児童。先生は仰々しく語り出す。

「非常に大切な話をします。卒業が近いこの時期に大変なことが起こりました。高村さん達が教室の窓ガラスを割りました。こんなことをしているようでは卒業できませんし、立派な中学生になれません」

その後、先生に当てられた僕は教科書みたい優等生用語を並べる。3人の「お前が言うな」という冷たい視線が僕に刺さる。僕の言葉をきっかけに罵詈雑言を浴びせられる3人の男子児童。それでも彼らの視線は僕に向けられる。

 この事件の原因は僕だった。先生に媚びを売っていることをよく思わなかった3人が僕の影口を言っていたところを偶然耳にしてカッとなり彼らを突き飛ばした。すぐに冷静になった僕はその場から逃げた。そんなありふれた事件だ。僕に追求が及ばなかったのは信頼の貯金だったことは言うまでもない。ただその信頼は簡単に崩れ落ちる。だから僕は自首することができないまま、この時を迎えた。

「こんなこと5年生でもやりません」

「1年生からやり直した方がいいと思います」

先生や児童の怒りが僕の心に突き刺さる。その心を守るために僕は怒りの感情をシャットアウトした。それがエスカレートして強い感情にはなんでもかんでもノイズがかかるようになった。

 ……この時、僕が自首をしていればその後の人生は変わったのだろうか。こんな人身事故も起こさずに済んだのだろうか。

――――――――

 僕の身体が粒子になっていく。意識がバラバラになっていく。魂が電車から解放されていく。もうこの電車の行く末を知ることはない。しばらくはこの非日常は続くことだろう。でもいつかはいつも通りの日常に戻る。みんな器用に生きているのだ。

 消えかかる意識の中、クロックスの女性が目に入る。彼女は僕に冷たい視線を送っている。彼女は被害者であった。僕の人身事故をきっかけに起きた一連の流れの犠牲者だ。謝罪の一つくらいした方が良いだろう。

「来ないで」

彼女は僕を拒絶した。確かに加害者と顔を合わせるだけで苦痛の人間もいる。それならばこのまま消えてしまった方が良いのかもしれない。ちょうどいいことに下半身は完全に消えている。そのまま完全な消滅を迎えても良いのかもしれない……

「罪の告白だけでもいいのではないですか?許されることの方が勇気がいりますよ」

僕の背後に鷺沼が立っていた。

「許されるって……彼女が許す保証もないじゃないですか」

僕の反論に彼は切なそうに笑った。

「そうかもしれません。ですが、やってみないとわかりませんよ?」

『やってみないとわからない』、確かにそうだ。だが、彼はもうすでにみんなの記憶から消え掛かっている。彼の言葉がどれだけの人間に残っているかもわからない。

「世界はいつも通り回っているんですよ。僕の事故もいずれ風化していくんじゃないですか?あの人たちが日常に戻るように」

僕はそう自嘲的に笑った。そんな僕に彼は真剣な表情を見せた。

「そうやってまた逃げるんですか?」

その言葉がはっきりと聞こえ、僕の心に突き刺さる。この痛みはいつぶりだろうか。そしていつから感じなくなったのか……ああ、あの時からか。罪を告白できなかった小6、僕はずっと後悔していたのだ。ならばその後悔を繰り返してはならないだろう。自己満足かもしれないが、やってみなければわからない。

 残酷なほど青い青空の下、僕は彼女の方へゆっくりと歩を進める。彼女は怪訝そうな表情を向けるものの、その場から動こうとしない。彼女の前に立ち、深々と頭を下げ、告白する。

「すみません。僕がやりました」