作品をよむ - ID:1 - toKnow

喪失

パズルのピース
ピースID: 1
中央線の終点、三鷹駅。
葛城太一は駅のホームのベンチに背骨が抜かれた動物のように深く身を沈めていた。焦点は結ばれないまま宙を仰いでいた。

「……ただいまの電車をもちまして、本日の運転は終了いたしました。お帰りの際は、足元にご注意ください。」

抑揚のないアナウンスを聞いて、意識を戻す。終電か。時計に目をやり、もう1時間もこうしていることに気づく。
百万円の入った封筒が盗まれたあの電車は、とっくにどこかに行ってしまった。電車から降りて、慌てて駅員に事情を説明したものの「確認してみます」という定型文が返ってくるばかりであてにならない。こういう時に怒り散らかせればどれほど楽だろうか。この窮地にあっても剥がれ落ちない薄氷な理性が、葛城自身をいっそう惨めにさせた。
それでも「警察を呼んで取り調べて欲しい」と懇願し、やってきた2人の警官に、電車内で寝ている隙に、乗客の誰かから百万円の入った封筒を盗まれた、と訴えたものの、肝心の乗客たちもおらず、百万円を引き出した明細もなく、慌てるがあまり説明も空回りし続け、次第に狂人を見るかのような目になっていった。
とっくに自分がラインの向こう側にいることに気がついた。

葛城があの百万円を俺がどんな思いでかき集めたか。
「実はいい話があるんだ」
大学三年になる息子から、不意に電話がかかってきたのは二ヶ月前のことだ。  息子が大学へ進む直前に別居して以来、家族の縁は細い細い糸一本で繋がっているに過ぎなかった。離婚届こそ出していないものの、喜びや悲しみを分かち合う「家族」というものではなくなっていた。当初は学費や生活費を送り出す「ATM」へと成り下がったと自嘲していたが、 一年前にリストラという無慈悲な現実が訪れ、笑ってる場合ではなくなった。
再就職を求めてハローワークや求人サイトを漂ったが、積み重ねた四十八歳という年齢は希望すら奪っていく。面接の椅子に座ることさえ許されず。年齢不問の単発バイトを繰り返すものの、日々、住所不定無職に駆け足で近寄って行った。この先の不安とこれまでの後悔が交互に訪れ、それを振り払うかのように常にイライラしている。

そんな折、息子からの電話だ。別居した当初は、LINEで近況を尋ねることもごくごく稀にあったが、いつしか返信もなくなり、返事が来ない現実が辛いので、正月の挨拶すらも送らなくなった。
突然の着信に、家族になにかあったのかと総毛立つのを感じたが、出てみると「最近どうよ」と拍子抜けするほど明るい口調だった。

どうもこうも、なかなか大変だと伝え、大学はどうだ、母さんは元気か、妹は受験生だったよな、と一通り、家族周りの近況を聞いたところで、息子が切り出した。

「実はいい話があるんだ」
こんな話の導入からして、嫌な予感しかしない。聞けば、今、大学の先輩と一緒にあるビジネスをしているという。
「今って企業が暗号通貨への多角化を目指してるんだけど、クラウドマイニングはハードウェア投資なしにハッシュパワーをリースすることで受動的な収入を得られるんだよ。で、俺たちがやってるのはクラウドマイニングって言って、ユーザーがマイニング機器を直接購入することなく、マイニングのプロセスに投資することを可能にしたわけ。ここに投資することで損っていうのが実質無いんだよね。それをお父さんに紹介したかったの」
要するに詐欺だ。
葛城は、感心したフリをして相槌をうっているのが苦しかった。丁寧に熱心に説明されればされるほど苦しい。久しぶりの我が子からの電話が、暗号資産投資詐欺の勧誘とは。とんだバカ野郎に育ったもんだ。ただ、そんなバカでも、葛城を騙せると思ったのか。自分の親父をハメるとはどういう感覚なんだ。
「早い者勝ちだから、百万ぐらい入れてみたらどうかな」
息子の無邪気な提案に
「ありがとう」
と告げ、来週早々に百万円を振り込む約束をした。
俺が入れる百万円のうち、いくらが息子の手に渡るのだろう。どこかの悪党に何割か(あるいはほとんどを)が取られるくらいなら、直接あげたい。

銀行の残高は八万円ほどしかなかった。
その日暮しの短期アルバイト生活では、今後その貯蓄額が減ることはあれど、増えることなどない。
自室を見渡し、売れそうなものはないかと思案するが、家電はそもそも別居した三年前に、中古屋を回って買い集めたもので、当時で二束三文だったものが、三年経って、値などつくのだろうか。

主だった消費者金融からはもう満額借り切ってしまっていた。親の脛でもかじりたいところだが、両親はとっくに死んでおり、北海道に嫁いだ姉は、旦那が若年性のアルツハイマーを患っており、とても百万円を貸してくれなどと言える雰囲気ではないし、そもそもポンと貸せる百万円もきっと無いだろう。
どこかに余裕のある金持ちはいないだろうか。
真っ先に浮かんだのは、梶ヶ谷という高校の同級生だった。ここ数年、facebookでずいぶんと羽振りが良さそうな写真をあげていたのがずっと気になっていた。伊豆のマリーナだかで似たようなカラーの人種とクルーザーに乗っている写真やら、名店とおぼしき寿司屋の大将からゴッテリとしたウニの寿司を受け取っている写真やら、大沢樹生の誕生日パーティーに参加した時の集合写真やら。
数年前、経営コンサルタントとして独立したという投稿もしていた。経営コンサルタントがどんな仕事なのかもさほど分からないが、きっと儲けているんだろう。百万円ぐらい貸してくれるかもしれない。随分と連絡はとっていないが、SNSでは繋がっているし、葛城が時折アップする、美味しそうな居酒屋の一品というつまらない写真にも「いいね」を押してくれるので、こちらを認識しているのだろう。もちろんこちらがすっかり無職であることなど知らないだろうが。

早速、メッセージを送ってみたが、いきなり「金を貸してくれ」なんて言ったら会ってもくれないだろうから
「最近どうしてる?そういや、独立したんだって?」
と当たり障りのない質問を送った。すると数時間経って、返信が来たが、旧友からの久しぶりのメッセージを喜んでいるようだった。そこから
「近くに寄ったら挨拶させてくれよ」と送ると、のこのこ会社の住所を教えてくれたので
「ちょうど明日そのあたりに行くんだ。会おうぜ」
と約束をとりつけた。場所は赤坂のかなりでかいビルで、ホームページを見ると、やはりそれなりに大きな会社のようだ。
金を借りるなら手土産ぐらいあったほうがいいかと、近所のスーパーで贈答用の洋菓子詰め合わせを買い、オフィスを訪れた。
ドアの前に内線電話が置かれ、入る時に「あの、友人の葛城です」とオドオドと素性を伝えると、しばらくして中から若い社員が出てきて、中へと案内された。
社長室とかかれた部屋を開けると、梶ヶ谷がおり「おぉ、久しぶりだな!」と機嫌よく話しかけてきた。
「何年振りだ?」
「5年前の同窓会では会ったっけ?」
「この前アイツに会ったぞ」
と、ツラツラと思い出話に花を咲かせたが、自分の現状についてはやんわりと濁らせておいた。
そして、このまま思い出話だけで帰るわけにもいかない。
「ちょっと折り入って相談があるんだ」と前置きをし、神妙な態度を作った。
「新しいビジネスを始めるのに資金が必要で百万円ほど貸して欲しい」
そう伝えると、急に渋い顔になり
「どういうビジネスなんだ?」
「どういうマーケットなんだ?」
「どういうプランなんだ?」
と根掘り葉掘り聞かれ、オボオボと喘いでいると、経営コンサルタント相手になんでそんな嘘をついたんだと後悔した時には遅く
「そういう舐めた思考では絶対に上手くいかない」
と説教までされる始末で
「お前は俺から百万円を借りて、ビジネスで百万円を失うところだったんだ。つまり二百万円損をするところだったんだぞ。助かったんだぞ」
とわけのわからない説教をされ、いそいそとオフィスを追い出された。

その後、もといた会社の、唯一会話の出来る同僚に連絡をし、居酒屋で落ち合い「実は……」とコトの経緯を話し、借金を申し込んだところ
「それは親であるお前が止めなくてどうするんだ」
とごもっともな説教をされたが、お前のように幸せな家庭を築いているやつに俺の気持ちなど分かるかと、憎らしくなった。帰れば家にいて、反抗期に頭を悩ませるようなありふれた関係ではないのだ。

最終カードを切った。
週に何度か行く、三軒茶屋のスナックのママに、まだ誰も客が来ていない17時に訪ね、百万円の借金を打診をしたところ
「ここはそういうところじゃない」
と一喝され、もうそれなりの年数通っているのに
「お金借りる人は出禁よ」と宣告され、1つ居場所を失った。

まいった。
とはいえ、立ち止まってもいられないので、どうにか現金を集める方法をさぐり、ユニクロはカードで商品を買って、返品すれば現金で返ってくるという情報を聞き、恐る恐る渋谷の大型店舗まで出向き、アウターなど、なるべく高額な商品を中心に、十万円分ほど購入し、一旦店を出て数十分時間を潰してから返品したところ、たしかに購入代金を現金で戻された。
しかし、ユニクロが安すぎて、これをあと10回も繰り返すのかと思うと、それも面倒だと思い、多少利率が悪くても、デパートで商品券を五十万円分買って、金券ショップで90%ほどで買い取ってもらい四十五万円を手に入れた。
さらに、店主から最新のアイフォンも九十%で買い取ってくれるという話を聞き、すぐにApple Storeに出向き、アイフォンを買おうとしたが、ショッピング枠の限度額が過ぎているようで、買えずじまいだった。

これほどやっても現金は六十万ほどしかいかず、こうなってくるとあとはもう非合法な金融に手をだすしかない。しかし、非合法な金融なんて、この時代、一体どこにあるのか、と思っていたが、少し調べたらたくさん出てきた。「#個人融資」と調べるとごろごろと出てくる。
一体警察は何をやっているんだと憤りもしたが、自分が借りてからすぐ通報して捕まえてもらったら返さずに済むんじゃ無いかと期待もした。他にも、インターネットで「後払い現金化サービス」なるものを行っている業者もいて、誰でも撮れるような風景写を三十万円で購入し、購入者特典として、キャッシュバック分の十万円が振り込まれた。しかし来月の月末にはこの風景写真の代金三十万円を振り込まなければいけない。つまり「キャッシュバック」という名目で現金十万円を手に出来るが、ショッピング枠として三十万円消費されているというわけだ。
現金をかき集める方法を全て試したのではないかというほど、ネットの世界と現実世界を駆け回り、なんとか百万円を集めた。正確には百三万円ぐらい集まってしまったが、ここまで金を借りると感覚も麻痺してきて、三万円ぐらいは誤差のように感じて、寿司を食った。

話は長くなったが、葛城が苦心の末に集めた百万円が盗まれたのだ。息子に振り込むはずの百万円が。「明日、朝イチで振り込むわ」とLINEしたら「マジでありがとう!!」とこれまでにないぐらいの感謝をされた。

相変わらずホームのベンチから立ち上がれずにいる。
酔った若者が数人大声で騒いでいる。男女で流行りのTikTokの動きをしたりと楽しそうだ。息子と同じ年ぐらいだろうか。
葛城の前を通る時、よろけた女が葛城の足に食べかけのアイスクリームを落とし「あー」と鳴き、こちらを一瞥することなく、再びギャハハと輪に戻って行った。
膝の上で溶けていくアイスが、ボトリと地面に落ちた時、走り出していた。階段を降りる女の背中を一瞬のためらいもなく、思いきり蹴り、突き落とした。悲鳴と怒号の中、地面に突っ伏され、コンクリートの冷たさを頬に感じながら、葛城は、すっかり狂っていた自分に気がついた。
「本日の運転は終了いたしました」
ホームには抑揚のないアナウンスが、まだ鳴っていた。