リスキーダイス
No. 2
巡る運命
「怪我もう治ったよ! 全治二か月は診断ミスだったみたい! 」
今、ひまちゃんはとても嬉しそうな顔をしているんだろうなと、その歓喜はスマホ越しからでも伝わった。思わずペンが手から滑り落ち、安堵の息が漏れた。
「よかった~! 」
『ひまが怪我しますように』
ももなちゃんのその願いを聞いたとき、私の頭の中でそれは駄目だと、すぐに答えは出ていた。でも結局、ももなちゃんの空気に呑まれ、止めることはできなかった。それをずっと後悔していたから、ひまちゃんからのその電話で、私を縛り付けていた縄がやっと外れたようだった。落ちたペンの下に広がるA5のノート、隣にはカラフルな付箋がついた参考書が置かれている。気持ちを紛らわすための勉強も、三行しか進んでいなかった。
「ありがとう。それでね、一つ相談したいことがあって」
「うん。聞くよ」
「ももなうざいからさ、サイコロ振って殺そうと思うんだけど、さすがにまずいかな? 」
素肌に氷を擦り付けられたかのような冷たさが、背筋を襲った。私は自分の耳を疑った。
「ごめん、なんか聞き取れなかったかも。もう一回言ってもらってもいい? 」
「えっと、サイコロでももな殺したいんだけど、やばい? 」
聞き間違えではなかったようだ。ももなちゃんを殺す? 絶対にダメだ。絶対。
今度はちゃんと止めなきゃ。
「ひまちゃん、人を殺すのはダメだよ」
「えーでもさ、ももなだって私のこと怪我するように願ったんでしょ? 私だけやられっぱなしなの気に食わないしさ、サイコロだったら私がやったことにはならないし」
「確かにももなちゃんがやったことはダメだけど、だからってやり返すのは……」
「はな、ももなの味方するんだ。私のこと怪我させたやつの。はなにだったら分かってもらえると思ったのに」
「ももなちゃんの味方とかそういうことじゃなくて、いくらサイコロでも殺すのは違うって話で。人を殺すのは、どういう理由であってもダメだよ」
「……確かに、そうなのかもね。ごめん、ありがとう。じゃあね」
電話終了の合図が、耳奥で反響した。私の言葉がちゃんと伝わったのかよくわからない。だが、考え直してくれそうな雰囲気だったから、多分、大丈夫だろう。ももなちゃんのやったことも、ひまちゃんがやったこともいけないことだった。それでもあの二人は、友だちだ。
ももなちゃんが死んだ。
休校明けの登校、久しぶりにひまちゃんとももなちゃんと会えるのだとワクワクしていた矢先、また新しくなった担任から、それは淡々と告げられた。今朝、ももなちゃんが起きてこないことを心配した両親が確認したときには、すでに息をしていなかったらしい。
信じられなかった。先生が言う山田ももなは、同姓同名の別の山田ももななのではないかと思った。だが、ももなちゃんの席は空っぽで、いつも一時間以内に返ってくるラインは、三時間たった今もまだ既読がつかない。
ひまちゃんは、今朝からずっとしゅんやくんと話している。しゅんやくんはサイコロの持ち主だ。そんな人とひまちゃんは、仲良くしていた。もしかしたら付き合い始めたのかもしれない。しゅんやくん、ひまちゃんのこと気になってたみたいだし。
あのとき、ひまちゃんは考え直してくれようとしたのではく、私からの同意を諦めただけだったのだ。私の言葉は響いてなんかいなかった。私がもっと、ちゃんと彼女のことを止めていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
私がひまちゃんを、いや、その前にももなちゃんがひまちゃんを怪我させようとしていたのを止めていれば。ももなちゃんがサイコロを男子たちからもらわなかったら、そもそもサイコロなんてなかったら!
そうだ。ももなちゃんが死んでしまったのも、ひまちゃんがこんなことをしてしまったのも、全部全部、あのサイコロのせいだ。
そうだ。そうじゃないか。
停滞していた脳内が急激なスピードで活動を再開する。読んでいた本をしおりも挟まずに閉じてしまった。
放課後、暗くなった教室には、三人だけがひっそり佇んでいた。
「どうぞ」
なんとなく重い空気が漂っているなか、そんなのはいともせず、しのんくんはサイコロを私に差し出した。
「ありがとう」
「はなさんはあんまりサイコロやりたくないのかと思ってた」
とものりくんが「意外」とでも言いたげな目を向ける。
「うん。実際やっちゃだめだと思ってた。でも、もうこれしか方法はないから」
手のひらに収まった、「あたり」が散らばったサイコロを見つめた。
「なんか願いごとできたんだ。……本当はさ、もうサイコロやんない方がいいんじゃないかってとものりと話してたんだよ。だんだん収集つかなくなってきたから」
「うん。だから、はなさんにサイコロ渡してほしいって言われたときも、渡すか迷ったんだけど……しっかりしてるし、真面目だから大丈夫かなと思って」
私は二人の顔を見た。大丈夫、と言いつつそこには不安の気色が浮かび上がっていた。
「ちなみに何お願いするの? 」
しのんくんの表情が緩んだ。きっと、空気を変えようとしてくれているのだろう。とものりくんの歪な顔も和らいでいた。
「全部元通りにしようと思って」
「元通り? 」
「そう。今こうなっちゃったのもさ、全部このサイコロのせいなわけじゃん。だから、サイコロに元通りにしてってお願いして、ももなちゃんを生き返らせて、いつものひまちゃんを返してもらう」
「……はずれが出たら、どうするの」
とものりくんがぽつんと呟いた。
「はずれ」。「あたり」の文字で埋め尽くされているサイコロの目の中に、一つだけ紛れている「はずれ」。
「でも一回も出たことないんでしょ」
「いや、実は横川先生が振ったときに出たんだよ。そしたら……」
その先は言葉にするのが億劫だったのだろう。空間を静寂が包んだ。私がサイコロを恐れていた理由は、はずれが出たらどうなるかわからないのもあった。だけど、今さらそんなことを気にしている場合じゃない。
「……それでも、あたりが出る確率の方が圧倒的に高い。何回も振ってるのに、まだ一回しか出てないんだし、懸けてみる価値はあると思う」
そこまで言い切ると、二人はもう何も言ってはこなかった。
「お願い。今までのこと全部なかったことにして、元通りにして」
願って、サイコロを振った。
机と椅子の隙間を縫って、サイコロは廊下と繋がる扉の方まで軽やかに転がって行った。動きが鈍くなってきて、扉にぶつかってそれはようやく動きを止めた。三人でサイコロにかけよった。出た目は、
「……は、ずれ? 」
サイコロ上部に、血のように鮮明な赤色で、「はずれ」が堂々と書かれていた。何回、目を擦っても二人に確認してみても、それは間違いなく「はずれ」であった。
「ど、どうしよう。ねえどうしよう、はずれが出ちゃった」
縋るように二人を振り返った。恐れが滲んだとものりくんとは裏腹に、しのんくんは薄く笑った。
「大丈夫だよ。横川先生のときがたまたま、ああなっただけで、今回はそうじゃないかもしれないじゃん。そんな大したこと起きない可能性だってある」
「……そうだよね。そうだよね! そもそもこのサイコロ、本当に願いを叶えるのかすら怪しいし」
とものりくんは何も言わなかった。ただただ、「はずれ」の目を見つめていた。
「時間も遅いから帰ろう」、しのんくんの提言で、サイコロのことは一旦忘れて、しょうもない話を交わしながら私たちは帰路についた。三人とも最寄り駅が同じだった。学校は山の方にあって、時間もすでに二十時を過ぎ、あたりは街灯が少なく真っ暗で、人が通るのさえ稀であった。だが、細い道に入って、正面に一人、こちら側に向かって歩いてくる人がいた。黒い帽子を目深に被った、背を丸めて歩く男。珍しいと思いつつ、会話を続けていたときだった。
「いっ……」
誰かのうめき声が聞こえた。続いて、布ずれとコンクリートに何かが打ち付けられた、重い音が耳を通過した。反射のように振り返ると、とものりくんが膝をついて右の腹を抑えていた。
「どうしたの⁉ 大丈夫? 」
しのんくんと共に彼に駆け寄った。腹を抑えた指と指の間からどす黒い液体が流れて、地面に小さな水たまりを作った。
「ち、」
刺されたんだ。そう理解するのには、だいぶ時間を要した。
「はなちゃん危ない! 」
背中を強く押し出された勢いで態勢が崩れ、地面に倒れ込んだ。何が起きているのかよくわからない、だけどしのんくんの身にも何かが起きた、それを確認するので手一杯だった。
二人のもとに駆け寄ろうとしたが、足は私の意思に反して動かなかった。
黒で埋め尽くされた人間と、その目の前には、ナイフを手で鷲掴みにして抵抗しているしのんくんがいた。刃先に流れた液体が、地面に容赦なく落ちていく。
「しのんくん‼ 」
「はなちゃん逃げて! 」
「でも、」
「はやく! 」
すぐには動けなかった。今ここで助けに入るべきだと囁く私と、駅まで走って交番へ行き、警察に知らせる方が賢明だと宣う私。だけどここで逃げるのは、二人のためだけど、見捨てることになるんじゃないか。いやでも、
「はなさん」
とものりくんが、消え入りそうな声で私を呼んだ。その瞳には小さな光が瞬いていた。
私は走った。背後で何かがえぐれる音も、悲痛な声が聞こえるのも構わず走った。
警察はすぐに動いてくれた。二人は救急車に運ばれたらしい。だが私は事情聴取に脳のリソースを割かれ、二人の心配をする余裕すら与えられなかった。長い取り調べがやっと終わり、両親に迎えに来てもらった。帰宅できたのは二十三時を過ぎたころだった。私は二人の連絡先を持っていないから、彼らが今どういう状況なのか、一命はとりとめられたのか、知ることができなかった。
こんなことが起きたのは、十中八九サイコロのせいだ。はずれが出たときの末路を思い出しては、体が震えて、呼吸が浅くなる。寝たいのに、目はパッチリと冴えていた。
瞼に、柔らかい白んだ光が差し込んだ。その気配に目を開く。いつの間にか寝てしまっていた。友だち二人の安否が分からない状況でも、私は寝てしまえるんだと思った。時刻は六時十五分。登校するにはまだ早い時間である。
リビングに向かうと、お父さんがご飯を食べながら、テレビをまじまじと見ていた。
「はな、おはよう。見て、このショッピングモール、はなの高校の近くにあるやつじゃない? 」
「え? 」
お父さんが指さした方へ目線を向けると、聞き覚えのあるショッピングモールの名前と、見慣れた景色の映像が流れていた。そのショッピングモールは、赤い炎に包まれ、全方位から大量の水を浴びていた。
「ほんとだ……。火事があったの?」
「うん、昨日の夜あったらしい。放火だって」
「昨日、放火……」
状況をうまく呑み込めず、ただ茫然とテレビの映像を見ていることしかできない。私が情報を理解する前に映像は切り替わり、「死亡者」というテロップとともに名前と写真が映し出された。
「え」
しゅんやくんとひまちゃんの名前と写真が、画面を埋め尽くさんばかりに表示されていた。ももなちゃんが死んだと聞いたときと同じ、不気味で凍えるようなあの感情が体を乗っ取る。
ニュースはすぐに別の内容に切り替わった。「通り魔事件」とタイトルがついたそれは、昨日見た場所と全く同じ映像であった。
二人の男性の写真と、彼らの名前の横に、「死亡」の文字が書かれていた。赤く染まったその文字を、幾度も反芻した。噛んで噛み砕いて、デマが流れているのではないか、という結論に辿り着いた。これがサイコロのせいなら、ニュースだってサイコロの力で簡単にデマ情報を流すことだってできるだろう。私を錯乱させるための、サイコロが仕組んだ嘘。そう考えると、重かった肩が少し軽くなった。学校に行けば、きっとまたあの四人に会える。そう信じて、準備を始めた。
放課後になった。もう教室には私しか残っていない。彼ら四人は、まだ学校に来ていない。
待っていたって彼らが来ない、とっくに分かり切っていたことなのに。朝、横田先生が、しゅんやくん、ひまちゃん、とものりくんとしおんくんも、みんな死んだって言っていたし、サイコロの外れが出た時点で、見ないフリをしていただけで嫌な予感はしていたのに。それでも生きていると、まだどこかで期待している自分がいた。
とものりくんの机に手を入れた。指に、小さな塊が当たる、確かな感触があった。それを握って、取り出す。一面「はずれ」、それ以外は全て「あたり」が書かれた、サイコロ。とものりくんが自身の机にしまっていたのを、私は見逃さなかった。
私があのとき、サイコロを振ってしまったから、サイコロの危険性を案じながら、それでも希望の可能性を信じてしまったから、こうなってしまったんだ。
ももなちゃん、ごめん。ひまちゃんを止めてれば、こんなことにならなかったね。
しのんくん、とものりくん、あのとき、見捨ててしまってごめんね。私が逃げずに二人を助ければよかったのに。
しゅんやくん、ひまちゃん、私の身勝手で怖い思いをさせて、本当にごめん。私はあなたたちも巻き込んでしまった。
みんなみんな、全部私のせい。だから。
「お願い、死にたい。私を殺して」
サイコロを振った。これで「あたり」を出して、私も死ぬ。死んで罪を償うんだ。
サイコロはくるくる転がって、やがて静止した。
「はずれ」だった。
「なんで、こんなにあたりがあるのに」
サイコロをとって、もう一度振った。「はずれ」が出た。
「あれ」
サイコロを振る、「はずれ」。サイコロを投げる、「はずれ」。サイコロを転がす、「はずれ」。
「なんでなんで、なんでこんなにあたりがあるのに、はずればっかり出るの! 」
室内に私の声がこだました。眼がぼやけて景色が薄らいできた。床に雫が溜まっていく。喉は焼けるように痛かった。
五十回、百回、二百回。何度も何度も、「死にたい」と願ってサイコロを振った。けれども、サイコロ――プヤは、「はずれ」の面しか出なかった。
「怪我もう治ったよ! 全治二か月は診断ミスだったみたい! 」
今、ひまちゃんはとても嬉しそうな顔をしているんだろうなと、その歓喜はスマホ越しからでも伝わった。思わずペンが手から滑り落ち、安堵の息が漏れた。
「よかった~! 」
『ひまが怪我しますように』
ももなちゃんのその願いを聞いたとき、私の頭の中でそれは駄目だと、すぐに答えは出ていた。でも結局、ももなちゃんの空気に呑まれ、止めることはできなかった。それをずっと後悔していたから、ひまちゃんからのその電話で、私を縛り付けていた縄がやっと外れたようだった。落ちたペンの下に広がるA5のノート、隣にはカラフルな付箋がついた参考書が置かれている。気持ちを紛らわすための勉強も、三行しか進んでいなかった。
「ありがとう。それでね、一つ相談したいことがあって」
「うん。聞くよ」
「ももなうざいからさ、サイコロ振って殺そうと思うんだけど、さすがにまずいかな? 」
素肌に氷を擦り付けられたかのような冷たさが、背筋を襲った。私は自分の耳を疑った。
「ごめん、なんか聞き取れなかったかも。もう一回言ってもらってもいい? 」
「えっと、サイコロでももな殺したいんだけど、やばい? 」
聞き間違えではなかったようだ。ももなちゃんを殺す? 絶対にダメだ。絶対。
今度はちゃんと止めなきゃ。
「ひまちゃん、人を殺すのはダメだよ」
「えーでもさ、ももなだって私のこと怪我するように願ったんでしょ? 私だけやられっぱなしなの気に食わないしさ、サイコロだったら私がやったことにはならないし」
「確かにももなちゃんがやったことはダメだけど、だからってやり返すのは……」
「はな、ももなの味方するんだ。私のこと怪我させたやつの。はなにだったら分かってもらえると思ったのに」
「ももなちゃんの味方とかそういうことじゃなくて、いくらサイコロでも殺すのは違うって話で。人を殺すのは、どういう理由であってもダメだよ」
「……確かに、そうなのかもね。ごめん、ありがとう。じゃあね」
電話終了の合図が、耳奥で反響した。私の言葉がちゃんと伝わったのかよくわからない。だが、考え直してくれそうな雰囲気だったから、多分、大丈夫だろう。ももなちゃんのやったことも、ひまちゃんがやったこともいけないことだった。それでもあの二人は、友だちだ。
ももなちゃんが死んだ。
休校明けの登校、久しぶりにひまちゃんとももなちゃんと会えるのだとワクワクしていた矢先、また新しくなった担任から、それは淡々と告げられた。今朝、ももなちゃんが起きてこないことを心配した両親が確認したときには、すでに息をしていなかったらしい。
信じられなかった。先生が言う山田ももなは、同姓同名の別の山田ももななのではないかと思った。だが、ももなちゃんの席は空っぽで、いつも一時間以内に返ってくるラインは、三時間たった今もまだ既読がつかない。
ひまちゃんは、今朝からずっとしゅんやくんと話している。しゅんやくんはサイコロの持ち主だ。そんな人とひまちゃんは、仲良くしていた。もしかしたら付き合い始めたのかもしれない。しゅんやくん、ひまちゃんのこと気になってたみたいだし。
あのとき、ひまちゃんは考え直してくれようとしたのではく、私からの同意を諦めただけだったのだ。私の言葉は響いてなんかいなかった。私がもっと、ちゃんと彼女のことを止めていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
私がひまちゃんを、いや、その前にももなちゃんがひまちゃんを怪我させようとしていたのを止めていれば。ももなちゃんがサイコロを男子たちからもらわなかったら、そもそもサイコロなんてなかったら!
そうだ。ももなちゃんが死んでしまったのも、ひまちゃんがこんなことをしてしまったのも、全部全部、あのサイコロのせいだ。
そうだ。そうじゃないか。
停滞していた脳内が急激なスピードで活動を再開する。読んでいた本をしおりも挟まずに閉じてしまった。
放課後、暗くなった教室には、三人だけがひっそり佇んでいた。
「どうぞ」
なんとなく重い空気が漂っているなか、そんなのはいともせず、しのんくんはサイコロを私に差し出した。
「ありがとう」
「はなさんはあんまりサイコロやりたくないのかと思ってた」
とものりくんが「意外」とでも言いたげな目を向ける。
「うん。実際やっちゃだめだと思ってた。でも、もうこれしか方法はないから」
手のひらに収まった、「あたり」が散らばったサイコロを見つめた。
「なんか願いごとできたんだ。……本当はさ、もうサイコロやんない方がいいんじゃないかってとものりと話してたんだよ。だんだん収集つかなくなってきたから」
「うん。だから、はなさんにサイコロ渡してほしいって言われたときも、渡すか迷ったんだけど……しっかりしてるし、真面目だから大丈夫かなと思って」
私は二人の顔を見た。大丈夫、と言いつつそこには不安の気色が浮かび上がっていた。
「ちなみに何お願いするの? 」
しのんくんの表情が緩んだ。きっと、空気を変えようとしてくれているのだろう。とものりくんの歪な顔も和らいでいた。
「全部元通りにしようと思って」
「元通り? 」
「そう。今こうなっちゃったのもさ、全部このサイコロのせいなわけじゃん。だから、サイコロに元通りにしてってお願いして、ももなちゃんを生き返らせて、いつものひまちゃんを返してもらう」
「……はずれが出たら、どうするの」
とものりくんがぽつんと呟いた。
「はずれ」。「あたり」の文字で埋め尽くされているサイコロの目の中に、一つだけ紛れている「はずれ」。
「でも一回も出たことないんでしょ」
「いや、実は横川先生が振ったときに出たんだよ。そしたら……」
その先は言葉にするのが億劫だったのだろう。空間を静寂が包んだ。私がサイコロを恐れていた理由は、はずれが出たらどうなるかわからないのもあった。だけど、今さらそんなことを気にしている場合じゃない。
「……それでも、あたりが出る確率の方が圧倒的に高い。何回も振ってるのに、まだ一回しか出てないんだし、懸けてみる価値はあると思う」
そこまで言い切ると、二人はもう何も言ってはこなかった。
「お願い。今までのこと全部なかったことにして、元通りにして」
願って、サイコロを振った。
机と椅子の隙間を縫って、サイコロは廊下と繋がる扉の方まで軽やかに転がって行った。動きが鈍くなってきて、扉にぶつかってそれはようやく動きを止めた。三人でサイコロにかけよった。出た目は、
「……は、ずれ? 」
サイコロ上部に、血のように鮮明な赤色で、「はずれ」が堂々と書かれていた。何回、目を擦っても二人に確認してみても、それは間違いなく「はずれ」であった。
「ど、どうしよう。ねえどうしよう、はずれが出ちゃった」
縋るように二人を振り返った。恐れが滲んだとものりくんとは裏腹に、しのんくんは薄く笑った。
「大丈夫だよ。横川先生のときがたまたま、ああなっただけで、今回はそうじゃないかもしれないじゃん。そんな大したこと起きない可能性だってある」
「……そうだよね。そうだよね! そもそもこのサイコロ、本当に願いを叶えるのかすら怪しいし」
とものりくんは何も言わなかった。ただただ、「はずれ」の目を見つめていた。
「時間も遅いから帰ろう」、しのんくんの提言で、サイコロのことは一旦忘れて、しょうもない話を交わしながら私たちは帰路についた。三人とも最寄り駅が同じだった。学校は山の方にあって、時間もすでに二十時を過ぎ、あたりは街灯が少なく真っ暗で、人が通るのさえ稀であった。だが、細い道に入って、正面に一人、こちら側に向かって歩いてくる人がいた。黒い帽子を目深に被った、背を丸めて歩く男。珍しいと思いつつ、会話を続けていたときだった。
「いっ……」
誰かのうめき声が聞こえた。続いて、布ずれとコンクリートに何かが打ち付けられた、重い音が耳を通過した。反射のように振り返ると、とものりくんが膝をついて右の腹を抑えていた。
「どうしたの⁉ 大丈夫? 」
しのんくんと共に彼に駆け寄った。腹を抑えた指と指の間からどす黒い液体が流れて、地面に小さな水たまりを作った。
「ち、」
刺されたんだ。そう理解するのには、だいぶ時間を要した。
「はなちゃん危ない! 」
背中を強く押し出された勢いで態勢が崩れ、地面に倒れ込んだ。何が起きているのかよくわからない、だけどしのんくんの身にも何かが起きた、それを確認するので手一杯だった。
二人のもとに駆け寄ろうとしたが、足は私の意思に反して動かなかった。
黒で埋め尽くされた人間と、その目の前には、ナイフを手で鷲掴みにして抵抗しているしのんくんがいた。刃先に流れた液体が、地面に容赦なく落ちていく。
「しのんくん‼ 」
「はなちゃん逃げて! 」
「でも、」
「はやく! 」
すぐには動けなかった。今ここで助けに入るべきだと囁く私と、駅まで走って交番へ行き、警察に知らせる方が賢明だと宣う私。だけどここで逃げるのは、二人のためだけど、見捨てることになるんじゃないか。いやでも、
「はなさん」
とものりくんが、消え入りそうな声で私を呼んだ。その瞳には小さな光が瞬いていた。
私は走った。背後で何かがえぐれる音も、悲痛な声が聞こえるのも構わず走った。
警察はすぐに動いてくれた。二人は救急車に運ばれたらしい。だが私は事情聴取に脳のリソースを割かれ、二人の心配をする余裕すら与えられなかった。長い取り調べがやっと終わり、両親に迎えに来てもらった。帰宅できたのは二十三時を過ぎたころだった。私は二人の連絡先を持っていないから、彼らが今どういう状況なのか、一命はとりとめられたのか、知ることができなかった。
こんなことが起きたのは、十中八九サイコロのせいだ。はずれが出たときの末路を思い出しては、体が震えて、呼吸が浅くなる。寝たいのに、目はパッチリと冴えていた。
瞼に、柔らかい白んだ光が差し込んだ。その気配に目を開く。いつの間にか寝てしまっていた。友だち二人の安否が分からない状況でも、私は寝てしまえるんだと思った。時刻は六時十五分。登校するにはまだ早い時間である。
リビングに向かうと、お父さんがご飯を食べながら、テレビをまじまじと見ていた。
「はな、おはよう。見て、このショッピングモール、はなの高校の近くにあるやつじゃない? 」
「え? 」
お父さんが指さした方へ目線を向けると、聞き覚えのあるショッピングモールの名前と、見慣れた景色の映像が流れていた。そのショッピングモールは、赤い炎に包まれ、全方位から大量の水を浴びていた。
「ほんとだ……。火事があったの?」
「うん、昨日の夜あったらしい。放火だって」
「昨日、放火……」
状況をうまく呑み込めず、ただ茫然とテレビの映像を見ていることしかできない。私が情報を理解する前に映像は切り替わり、「死亡者」というテロップとともに名前と写真が映し出された。
「え」
しゅんやくんとひまちゃんの名前と写真が、画面を埋め尽くさんばかりに表示されていた。ももなちゃんが死んだと聞いたときと同じ、不気味で凍えるようなあの感情が体を乗っ取る。
ニュースはすぐに別の内容に切り替わった。「通り魔事件」とタイトルがついたそれは、昨日見た場所と全く同じ映像であった。
二人の男性の写真と、彼らの名前の横に、「死亡」の文字が書かれていた。赤く染まったその文字を、幾度も反芻した。噛んで噛み砕いて、デマが流れているのではないか、という結論に辿り着いた。これがサイコロのせいなら、ニュースだってサイコロの力で簡単にデマ情報を流すことだってできるだろう。私を錯乱させるための、サイコロが仕組んだ嘘。そう考えると、重かった肩が少し軽くなった。学校に行けば、きっとまたあの四人に会える。そう信じて、準備を始めた。
放課後になった。もう教室には私しか残っていない。彼ら四人は、まだ学校に来ていない。
待っていたって彼らが来ない、とっくに分かり切っていたことなのに。朝、横田先生が、しゅんやくん、ひまちゃん、とものりくんとしおんくんも、みんな死んだって言っていたし、サイコロの外れが出た時点で、見ないフリをしていただけで嫌な予感はしていたのに。それでも生きていると、まだどこかで期待している自分がいた。
とものりくんの机に手を入れた。指に、小さな塊が当たる、確かな感触があった。それを握って、取り出す。一面「はずれ」、それ以外は全て「あたり」が書かれた、サイコロ。とものりくんが自身の机にしまっていたのを、私は見逃さなかった。
私があのとき、サイコロを振ってしまったから、サイコロの危険性を案じながら、それでも希望の可能性を信じてしまったから、こうなってしまったんだ。
ももなちゃん、ごめん。ひまちゃんを止めてれば、こんなことにならなかったね。
しのんくん、とものりくん、あのとき、見捨ててしまってごめんね。私が逃げずに二人を助ければよかったのに。
しゅんやくん、ひまちゃん、私の身勝手で怖い思いをさせて、本当にごめん。私はあなたたちも巻き込んでしまった。
みんなみんな、全部私のせい。だから。
「お願い、死にたい。私を殺して」
サイコロを振った。これで「あたり」を出して、私も死ぬ。死んで罪を償うんだ。
サイコロはくるくる転がって、やがて静止した。
「はずれ」だった。
「なんで、こんなにあたりがあるのに」
サイコロをとって、もう一度振った。「はずれ」が出た。
「あれ」
サイコロを振る、「はずれ」。サイコロを投げる、「はずれ」。サイコロを転がす、「はずれ」。
「なんでなんで、なんでこんなにあたりがあるのに、はずればっかり出るの! 」
室内に私の声がこだました。眼がぼやけて景色が薄らいできた。床に雫が溜まっていく。喉は焼けるように痛かった。
五十回、百回、二百回。何度も何度も、「死にたい」と願ってサイコロを振った。けれども、サイコロ――プヤは、「はずれ」の面しか出なかった。