作品をよむ - ID:3 - toKnow

リスキーダイス

パズルのピース
No. 3
『ふたりぶんの願い』

〈なんか、おもってたのとちがったわー。笑〉
「はあ!!!?」
午前一時十五分。スマートホンの画面がチカチカと点滅していることに気づいたモモナは、画面を見て愕然とした。
〈おれとモモナはちがったっぽい!〉
〈ってことで、よろしく。笑〉
通知音が重ねて三回鳴り、最後には意味の分からない生物の陽気なスタンプが送られてきた。ほんとにイミわかんない!モモナはそう叫んで、近くにあったクマのぬいぐるみを投げ飛ばした。最近SNSで流行っているこのぬいぐるみは、メッセージの送り主である彼氏のソウスケが、つい三日前にゲームセンターでモモナにプレゼントしてくれたものだった。
〈なに、急にどうしたの〉
〈別れようってことでしょこれ どういうこと〉
〈返事してよ!〉
急いで送り返したメッセージには既読が付くものの、なかなか返信がなかった。モモナはスマホも投げ出して、ぎゅっと布団の角を掴む。サテン素材の生地についた皺を追っていくと、無気力に倒れ込んだクマがそっぽを向いていた。鼻の奥がツンとして、モモナは慌てて鼻を啜った。じわっと涙が浮かんでくる。
「なんで急にそんなこと言うの」
ぽつんと呟いた言葉がやけに耳に響く。モモナとソウスケと付き合い始めてまだ一か月ほどしか経っていない。この前の記念日だって、一緒に中華街に出かけたのに。二人ではじめて撮ったプリクラだって、お揃いでスマホケースの裏側に挟んでいるのに。
投げ出したスマホの画面が、視界の端で再び点滅した。モモナはゆっくりと視線を動かす。
〈しつこいって、ヒマはそんなこと言わないのに。笑〉
ソウスケから送られてきた最後のメッセージには、親友の名前があった。

 ヒマが全部悪いんだ、とモモナは思った。ヒマがあんなことを願わなければ、モモナはソウスケと別れることはなかったし、ソウスケがヒマを好きになることなんて絶対になかった。そもそもモモナとヒマが仲違いすることもなかったのだ。
ソウスケからのメッセージを見た後、モモナは問い詰めたい気持ちを押し殺して、ヒマも入っているグループトークに電話をかけた。平静を装ってソウスケと別れたことを伝えると、驚いて慰めてくれたハナとは違って、ヒマは逃げるように通話を切った。そして次の日、あんな酷いことを言ったのだ。
『それくらいで変わるくらいの気持ちってことじゃないの?』
モモナはまたあのときの言葉を思い出して、唇を噛む。毎日ケアをしていたはずの唇はいつの間にかかさついて、皮がめくれている。微かに血の味がした。
いや、そもそもはクラスの男子のせいかもしれない。男子があんな変なものを拾ってきて、おかしなことをし出したから。全部が狂い始めたんだ。
モモナはぐるぐると考えながら、教室の自分の座席に座っていた。机の上には今日の授業で終わらなかった数学の課題が手つかずのまま置かれている。壁時計をちらっと見ると、時刻は既に十七時を回っていた。
「こんなの終わらないし」
エックスとかワイとか、微分とか積分とか。意味の分からない数字の羅列とか。
難しいことを考えるのは苦手だった。短気で意地っ張りで考えなし。モモナの母はよくそう言って、モモナを叱った。
いつの間にか右手に力が入っていたようで、掴んでいたシャープペンシルの芯がポキッと音を鳴らして折れてしまった。やる気の削がれたモモナは諦めてノートとペンをスクールバックに仕舞った。今までバックにじゃらじゃらと付けていたキーホルダー類は全部ゴミ袋に詰めた。ほとんどがヒマかソウスケとお揃いのものだったからだ。
冬が近づき、この時間でも薄暗くなった廊下を進む。廊下は驚くほど静かで、いつもなら聴こえるはずの運動部の掛け声も吹奏楽部の音色も一切聞こえなかった。なんだか不気味に思って、モモナは急いで階段へと向かった。
モモナの教室は北校舎の三階にあった。二階へ下りる途中の踊り場で、モモナはふと足を止めた。そこには大きな窓があって、北校舎の裏側にある、例の山が見えた。そういえば、シャンヤたちはあそこから、あれを持って来たんだっけ。
なんだか嫌な気持ちになって、モモナはそそくさと窓の前を通り過ぎた。そしてそのまま階段を降りようとしたとき、後ろから異様な気配を感じた。
なにか、すごく怖い誰かが、嫌なものが、モモナをじっと観察しているようだった。重苦しい気配がまとわりついて離れない。あまりの緊張感にモモナはその場から一歩も動けなかった。もうカーディガンを着る季節だというのに、ジワリと嫌な汗が滲む。息が思うようにできず、モモナの浅い呼吸がその場に響く。
「ねえ」
不意にかけられた声にびくっと肩が揺れる。後ろから誰かが近付いてくる気配がする。急いでこの場を去りたいのに、まるで金縛りにあったかのように体が動かなかった。
視界の端に黒髪が見えた。瞬きすらできないモモナの瞳に、〝それ〟はゆっくりと映り込んでくる。
「わたしのこと、嫌いになった?」
見覚えのある顔立ちだった。見覚え、という言葉を使ったのは、〝それ〟の瞳が真っ暗だったからだ。顔のパーツで目だけが異様に暗く沈んでいた。モモナはなにもできず、ただ覗き込まれた〝それ〟と向き合うしかなかった。
「わたしたち、親友だったのに」
〝それ〟はヒマの口で喋り続ける。ヒマと同じ形の鼻も耳も付いている。背丈も、髪の長さもまるっきりヒマだった。
「ザンネン」
ヒマと同じ形の唇が三日月のように弧を描いた。

「おいっ、大丈夫か!起きろ!」
肩を揺さぶられた反応で、モモナはようやく目を覚ました。慌てて起き上がると、生活指導の教師と保健室の養護教諭が心配そうにモモナを覗き込んでいた。
「お前、こんな時間にこんなとこでなにしてたんだ」
教師の言葉にモモナは急いで息を吸った。大きく呼吸をするモモナを見て、養護教諭が心配そうに背中を摩る。
「…いまなんじですか」
掠れた声に「もう二十二時だ」と教師が答える。モモナが慌ててポケットの中を探り、スマホを取り出と、教師が答えた時刻が表示されていた。母からかなりの件数の連絡も入っている。
「あなた、ここで倒れていたのよ」
養護教諭の言葉に辺りを見渡すと、先ほどとは違い、白い蛍光灯が踊り場を照らしていた。ゆっくりと窓の方向に目を向けるが、もう外は真っ暗でなにも見えなかった。
「とりあえず、わたしの車で送りましょう。親御さんにも連絡して」
「そうですね、見つかってよかった」
どうやら、連絡もせず帰りの遅いモモナを心配して、母が学校に連絡したようだった。大人二人が話し合っている様子を見ながら、モモナの手はもう一度ポケットを探った。
ころころとしていて、それでいて少し角ばった感触。なぜここに入っているのかは分からない。だってあれはシャンヤが持っているはずなのに。
モモナはゆっくりと息を吐いて、大事そうにポケットを軽く叩いた。

 「モモナ!ほんとうにごめん!」
翌日、登校してきたヒマは開口一番にモモナに謝り、頭を下げた。階段から落ちたはずのヒマは松葉杖もつかず、至って普通に立っている。シュンヤたち男子があれでヒマの怪我を治していたことをモモナは知っていた。シュンヤのヒマを想う気持ちにも気づいている。
「あんなこと祈って、あんなこと言って、ほんとうにごめん!反省してる」
頭を上げたヒマの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「あれから反省してシュンヤにお願いしてサイコロを貸してもらって、何回か二人が復縁するようにお願いしたんだけど、なぜか叶わなくて」
ヒマの声が震えている。モモナは黙ってヒマの話を聞いていた。
「だから、モモナがわたしにやったことも全然気にしてないの!許してくれる?」
ヒマがゆっくりとモモナの手を取った。ごめんね、と何度も謝る彼女の瞳はいつも通りの綺麗な並行二重だった。
「…いいよ。わたしもあんなこと願って、ごめん」
モモナの言葉にヒマが目を輝かせる。
「あんなこともうやめる。気味が悪いし」
ヒマがそう言って、肩に抱えていたスクールバックを抱えなおすと、じゃらりとキーホルダーが揺れた。見たことのない、新しいウサギのキーホルダーが付いている。
「実はわたし、何回かあれを振る中でハズレを出しちゃったんだよね」
ヒマは少しだけ声を潜めた。
「でも結局なにもないし!あんなのもうみんなにもやめるように伝えようね!」
じゃあ先に行くね!とヒマは走って行く。そのまま目で追いかけるとソウスケがいた。彼が背負っている見慣れた黒いリュックには、見慣れないウサギのキーホルダーが一つだけ付いていた。

「ヒマちゃん!」
「あ!シュンヤ!おはよう!」
「もうすっかり元気で良かったな! …モモナはどうだった?」
「うん…いまのところ元気みたい、おかしいね昨日願ったのに」
「あんなヤツはやくいなくなればいいのにな、人に怪我なんてさせてマジ狂ってるって」

その日の放課後、モモナはまた一人で教室に残っていた。時計の短い針はもうすぐ五の数字に差し掛かろうとしていた。軽くカーディガンのポケットを叩き、モモナはバックを抱えてゆっくりと歩き出す。校舎は昨日のように静まり返っている。人気のない廊下を進むと、昨日の踊り場が見えてきた。
右足が段に触れる直前、後ろから生温い風が吹き、モモナの頬を撫でた。モモナが振り帰るため足の向きを変えようとすると、上手くバランスが取れず、急に左足が浮いた。焦って手すりを掴もうとした左手が空振りする。視界いっぱいに移ったのはどこまでも深い、窓の外にある暗闇だった。
顔から転げ落ちる直前、モモナは右手をポケットに入れ、中に入っていたものを勢いよく投げた。
「わたしを助けて!」

ゆっくりと目を開ける。顔から転げ落ちたが、どこも痛くない。乱れた呼吸を整えるために、モモナは大きく息を吸った。耳の奥までドクドクと心臓が波打っている。震える体をなんとか起き上がらせると、足の甲に少しだけ傷がついていた。それだけである。あの高さから落ちたのに、奇跡だと思った。
視界に、あれが映った。二十面という珍しい形のサイコロ。真っ黒なデザインに、白地の文字が描かれている。こちらに向いている面は、アタリと描いてあった。
もう一度大きく息を吸う。もしかしたらここで死んでいたのかもしれない、とモモナは思った。でも神様が助けてくれた。わたしにはきっと運がついている。
震える手でサイコロを握った。
「ヒマを、思いきり痛い目に合わせて、殺してください!」
そう叫ぶと同時に、サイコロを放った。
モモナは転がっていく、二十面のサイコロをじっと見つめた。大丈夫、二十分の一だ。わたしはきっと、大丈夫。

視界に映ったのはハズレ、という文字だった。
「なんでよ!」
鋭い声で叫び、モモナは勢いよくサイコロを掴んだ。
「もっかい!」
もう一度勢いよく放る。ころころと転がったサイコロは、モモナの上履きで停止した。
ハズレ。
「はあ!!!?」
モモナは何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、サイコロを投げた。しかし結果は全てハズレであった。
「なんなのこれ!」
乱れた呼吸のまま、モモナは狂ったように、もう一度投げようとした。
踊り場には大きな窓がある。明るいうちは見えるはずの裏山の形は見えない。外はどこまでも暗かった。踊り場の電灯はチカチカと青白く瞬いていて、窓は鏡のように、モモナとサイコロを映し出していた。
「ひっ」
モモナの瞳は、真っ暗になっていた。昨日のヒマの形をした〝それ〟のように、異様に暗く、沈んでいた。窪んでいる、という表現の方が正しいかもしれない。鼻や口や耳や髪の毛はあるのに、目だけがそこに存在していなかった。
「なにこれ!やめてよ!」
モモナの悲痛な叫び声を残して、真っ黒な、二十面のサイコロ『プヤ』は彼女を嘲笑うかのように、青白く光っていた。