2章

 小舟は進路を変えて、灯台に背をむけてどくろの方へと動いた。

 中川君に勧められたくすんだ色の無地Tシャツを着て外に出た。十四時の太陽で私と中川君が照っていた。さっきのサングラスも買っておけばよかった。中川君が手でひさしを作って目を細める。

 いつか見た映画か何かで、アメリカ人のカップルが日差しを浴びて腕を組んで歩くシーンがあった。まぶしくてもうつむいていなかった。

 私は中川君の腕に腕を回した。それから日の方へと胸を張った。中川君は多少目を見開いたけれど口角を上げて、それから脇を締めて私の腕をぎゅっとはさんだ。

 昔父親によくハグをされた。父のハグは少し強めで、私の顔は父の肉体に沈みこんだ。そうすると私は決まって、よく晴れた昼下がりのような暖かさを感じて眠くなってしまった。

 私は中川君の肩に頭を乗せた。日差しが暖かい。あくびが出た。中川君はちらっと私の方を見て、くすりと笑った。

 家具屋さんの広告に微笑みあう男女の写真が使われていた。写真は全体に暖色がかっていた。

 私は中川君に微笑み返した。それから広告の家具屋さんを指さした。

「あのお店入ろう」

「ああ、いいよ」

インディゴの大きなクッションを発見して、中川君が

「あ、これ同じの持ってる」

と言った。クッションは柔らかそうで飛び込んだら中川君と同じ匂いがしそうだ。

「加藤さんの部屋はどんな感じなの?」

私の部屋にはほとんどものがない。真っ白な壁紙で窓には真っ白なカーテンが引かれている。あとは机と教科書しかない。ほかに何を置いたらいいのかわからないからそのまま放置している。

「私の部屋は…… 別に普通だよ?」

「そっか、普通か」

中川君は私の答えに笑いながら返した。少し上の方を見ながら、

「そっか、普通か」

とつぶやきながら歩いた。

 質問や答えをすると私の言ったことを何度か小声で繰り返して、時には「うーん」とか唸ってから返答をする人を今まで何度も見た。その時は大抵いつもその人が話すときよりもだいぶスローテンポかつ低めの声だった。それから私の質問への返答のはずなのに「なんじゃないかな?」という風に語尾を上げるパターンもよくあった。

 私の返答が中川君を悩ませているとわかった。急いでまだ返答しない中川君に

「でも、新しく小さい何か置きたいから、中川君一緒に選んで」

「もちろん、いいよ」

中川君はまた柔らかく微笑んだ。

「これなんかいいんじゃない?」

そういって中川君が手に取ったのはミニ観葉植物だった。掌に乗るくらいの透明のガラス鉢に茶色や白の砂利が層になっている。その上に緑色の細い幹が何本か生えていて、サーフボードのような葉っぱが何枚も付いている。テーブルヤシというらしくて、値段も高くないので、それを買うことにした。

 先週学校で、少し大きめの上気した声で

「彼氏とお揃いなんだー」

と言ってキーホルダーを回りに見せる子がいた。周りの子たちは「いいなー」とか「超イチャイチャしてんじゃん」とか言っていた。

 私はその観葉植物を手に取ってから中川君を振り返って

「中川君もこれ、買わない? お揃いで育てよう」

「いいね。どっちが大きくできるか競争ね」

中川君はにやにやしていた。きっと喜んでいる。私もつられて口元がほころんだ。

 二人ともガラス鉢をもって店内を回っていると、目の前に落ち着いた青色と白めのクリーム色でボーダー柄のカーペットがあった。このカーペットは中川君が好きそうだ。

「このカーペット、すごくいいね。加藤さんどう思う?」

私は思わず笑ってしまった。

「うん! いいと思う! おしゃれ」

中川君は笑う私の顔をちょっと見つめてから自分も笑い出した。

 中川君は今、「加藤さんと趣味があってよかった」とか「加藤さんって僕と一緒でセンスいいな」とか思っているのかもしれない。それはまだわからないけれど、「なんで笑うんだろう」とはきっと感じているはずだ。

「だって、このカーペット、中川君が好きそうって思ってたんだもん」

「え? そうなの? よくわかったね。やっぱり加藤さんとはセンスあうかも」

私はまた笑ってしまった。胸のあたりが暖かくて軽くなった。

小さいころに大好きだった近所のお姉ちゃんに夕方遅くまで遊んでもらった。あの時も胸のあたりが暖かくて、軽くて、そのままずっとお姉ちゃんと一緒にいたかった。

お店を出ると中川君は夕飯に誘ってくれた。ずっと私と行きたかったお店があるらしかった。私はもちろんそこでいいと答えた。

自分のプランで私が喜ぶのは中川君にとってこのデートの成功を表すのに違いない。私にはそんな中川君の心の中が透けて見えていた。中川君の用意してくれた予定に従っていると、私も快かった。

中川君の午前中の言葉が脳裏に映し出される。

「女の子が喜ぶ計画を立てるのが男の役目なんだよ」

なら、男の、中川君の作った計画に文句を言わずに寄り添うのが女の私の役目だ。

 どくろに導かれて船が進む。時折どくろの目の奥の赤い光が揺らぎ、海面を照らす。海面に楽しそうに腕を組んで歩く私と中川君が映っている。『幸せな男女』という題名で写真を撮れそうだ。よく目をこらすと、どくろの先の海面にはたくさんの映像が映っている。夕飯を食べて笑いあう私と中川君。母親に行きと違う恰好で帰ってきたのを指摘される私。私と別れた後にガッツポーズをする中川君。学校でクラスメートたちに中川君との仲を問いただされるシーン。それから小さいころに近所のお姉ちゃんに遊んでもらった時のこと。お母さんに叱られたこと。それらがみんなどくろの両目に空いた穴からぼんやりと滲む火影のようなものに照らされている。船は静かに進んでいく。船頭はさっきから無口で、灯台のほうから聞こえていた無邪気な声もしばらく聞こえてきていない。

2章」への15件のフィードバック

  1. 志保、これが「果て」さ。
    暗くて、深くて、冷たいだろう。
    俺は好きだなぁ、こういう感覚が。
    志保はどう思う?

    ……おや。何も言ってくれないのかい。

  2. オッペケペー。
    み〜んな、オッペケペーだよぉ〜。
    「果て」なんかに行って、何が楽しいんだか・・・。

  3. 楽しいとか楽しくないとか、そういうことではないのさ。
    この海に体を任せて揺蕩う、これが全てだよ。
    それ以上でも、それ以下でもない。

  4. なにそれ、つっまんなくない〜?
    何かやるなら、楽しいほうがいいと思うんだけどぉ〜!

  5. そう。
    上っ面で合わせて誰にも真意を見せないで当たり障りの無いように。
    それが役割を果たすってこと。

  6. 船頭、君は本当に良いことを言うね。

    中川は男で、志保は女だ。
    女というものは自分の気持ちを押し殺して、黙って男の三歩後を歩く。
    これこそが「望まれる役割」ではないかね。

    さぁ、果てのまた果てへ行こう。

  7. いつの時代だよ・・・。今は女の子も、男の子も、親父もお袋も、じいさんもばあさんも、誰も彼もが好き勝手に生きているのにさぁ〜。役割ってそんなに大事かなぁ〜!

  8. 女の子が女の子を好きなのも、男の子が男の子を好きなのも、その「役割」を演じているからなのぉ〜?

  9. そんな奇妙な趣向はどうかと思うがね。
    そんな「役割」を果たしたところで、その先には何も残らないではないか。

  10. むぅ〜。じじくっさぁ〜い!
    てゆーかさぁ〜。ボクも志保ちゃんって子に会ってみたいんだけどぉ〜! 根暗野郎と船頭ばっかりずるい〜!!

  11. やったぁ〜! 船頭、ありがとう〜! 大好きだよぉ〜! こっちに来たら、志保ちゃんって子と一緒にハグしてあげるぅ〜!

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