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 この迷路に入る前にいた人物は少年だけだった。しかし部屋の中には自分たち以外にも人がいた。彼らは誰なのか、どこから来たのか。様々な考えが鏡の迷路を脱出した後になっても頭に過っては消えてを繰り返していた。ただ一つ言えることはおそらく自分たちだけでは脱出できていなかったであろうということ。彼らの存在に疑問を抱きながらも幾らかの感謝を感じずにはいられなかった………

 我に返り、強い違和感を抱く。自分は確かにあの気持ち悪くなる迷路を脱出したはずだ。しかし、そこからの記憶が途端に曖昧になっている。最初の時とそっくりな真っ白な空間。おそらくここがあの迷宮を抜けた先の場所だということはわかる。だがここに来るまでに何らかの家庭があっていいはずだ。あの子供と何らかの会話があったはずだし、お互いの情報を交換もしたはずだ。だがそれをした記憶がない。ふと隣を見ると自分から少し離れた所にあの少年がいた。あの子の表情を見る限り自分と同じようなことを考えているに違いないということははっきり分かった。ここで詳しく考えてもいいのだがただでさえイカれた状況にもう一つ狂った要素が加わっただけのことなのでそこまで精査する必要はないと頭が勝手に判断したらしく、それ以上のことは深く考えられない。

 考えることから逃げるように少年の手を取って真っ白な空間を駆け抜けた。そうすればすべてスッキリすると思っての行動だった。どのぐらい走っただろう。途中からほとんど早歩きのようになっていたが体感で十分近くは動き続けたと思う。視線の先には一人の男がいた。年齢は自分と同じぐらいだろうか。服装は至ってラフな感じでここをコンビニか何かと間違えてきてしまった人のように見える。しかしその表情は明らかに恐怖を表していて砕けた感じは欠片もない。

 隣にいたちびっ子が全く警戒せずに彼に近づくので慌てて後を追った。彼は子供を見て幾らか心にゆとりを取り戻したらしく五分ほど経った後にぽつぽつと自分の身に起こった出来事を説明してくれた。

 彼の情報はとても興味深いものだった。彼が目覚めた時はほとんど同じなのだが、その後風で浮く部屋に入ったらしい。そこでは真っ暗の底から強い風が吹いていて各々その風を頼りに這いずるなり歩くなりの形で部屋の向こう側を目指したらしい。進む方向を間違えて闇の底へ落ちていった人も何人かいたとか。話を聞いただけでは計り知れないほどの恐怖を味わったようで、話しながらも時々体が激しく震えていた。彼の言っていることが本当なら自分たち以外にも何人もの人がこの空間にいて、それぞれ挑戦する謎も違うようだ .奇妙な仕掛けが何個もある空間と言うのは信じがたいがそれ以上に彼が嘘をついている可能性の方が低い気がするので真実なのだろう。そうするとあの迷路で出会った何人かの人達の存在もおのずと説明ができる。たまたま挑戦するゲームが被っただけで自分たちと全く同じ状況の人たちなのだろう。となるとあそこで彼らともっと情報を交換しなかったことを強く悔やむ。あの時は抜け出すことに必死でそういうところまで気が回らなかったのだが。けれども誰を信用していいのか判別できない状態で積極的に出会った人と情報交換をしていいのか……不確定な要素が多すぎて考えに答えが出せない。

 そんな自分に対し目の前の子供は勇敢なのか、それとも何も考えていないのか、憔悴している彼を無理やり立たせて目の前の扉に手をかざした。

 スゥンという音とともに扉が開き、その奥にある部屋が見えるはずなのだが………なぜか何も見えなかった。一面の黒。鏡の次は闇、実に悪意に満ちた部屋の連続だと思うがこれをクリアしなければその奥に行くことはできないということは薄々気づいている。一目散に闇の中に飛び込もうとする少年の腕を慌てて引き戻し注意すると少ししゅんとした態度で俺に謝ってきた。さすがにこの中に子供一人で飛び込ませるほど愚かな大人ではない。彼らを後ろに寄せ部屋の中に手を伸ばしてみる。何も触れることはない。それを確かめ次は足も入れてみる。においはなし、床は見えないだけで存在している。材質もおそらくほとんど同じ。情報を集めるために奥に行こうとした刹那、何か嫌な予感がしたため慌てて引き返した。

 後ろで不安そうに自分を見つめる二人に今の数秒で得たわずかな情報を共有する。もちろんそんな情報だけで何か解決策がでるはずもなく、とりあえずの指針を決める。離れないこと、声を出して互いの位置を確かめ続けること。ありきたりだが何個か取り決めを作りみんなで闇へ足を踏み入れる。先ほどまで死を受け入れているかのような顔つきだった男もようやく覚悟ができたのか俺たちと共に行動することに賛成してくれた。三人横並びに入ることはできなかったので自分が先頭でフードの彼が一番後ろ、あいだに子供挟むような陣形に自然となった。意を決して闇に足を踏み入れた。

 三人全員が部屋に入りきった途端後ろの扉が勝手に閉まった。慌てて扉を動かそうと試みるがびくともしない。あの時の予感の理由がここではっきりとした。

 視界は完全に闇に包まれている。この感じだとたとえ目が慣れてきたとしても劇的に変わることはないことが予想できる。そもそもこの空間がどれほどの広さなのか全くわからない。いるのかどうかさえ分からない存在に怯えながら小声で聞こえる会話、極力小さくしている自分たちの足音、それだけが唯一の情報源だ。つまり何もわかっていないに等しい。せめて何をすれば脱出できるのかさえ把握できればまた話は変わってくるのだが。今はできる限りの行動で何とかして成果を得なければならない状態だ。ゲームだったらすぐ投げ出しているのに。

 何もわからないゼロの状態から脱出なんて可能なのか?

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 目の前がだんだんと明るくなってきた。少し間が空いた後にそれが自分の意識がはっきりしてきたからだとわかる。だが意識を失う前の状態が定かではないのでそれにも少し疑問が残った。徐々に明瞭となる視界に合わせるように頭も冴えきたような気がする。自分は今仰向けの状態で寝ている。背中と後頭部に普段なら感じないような痛みがある。寝転がっているところが硬いからだ。右手で叩いてみる……ぺちぺち、ぺちぺち。硬い、つまりいつも寝ている布団ではないということが分かる。石や草に触れることがないので地面ではない。床だ。材質は何だろう、セラミックのあの感じに近い気がする。つるつるを超えてべたべたにも感じるあのタイル地みたいだ。だがいくら手を動かしてみてもタイルの境目に辿り着かない。一枚一枚がとても大きなタイルでできているのか、それともそもそも一枚のタイルで床ができているのか。少し体の向きを変えて確認してみたくなったがじんじんという背中の痛みがそれを妨げた。

 頭、背中、腰と言う風にゆっくりと時間をかけて起き上がる。本当に嫌な痛みが体中に広がってくる。中学生のころ、体育館で寝そべった後に体感するあの感じと全く一緒だ。見えている景色が一緒ならどんなにうれしかったことか。生憎自分のいた体育館は全方位真っ白なんかではない。至って普通だった。

 見渡すと白、白、白ばっかで嫌になってきた。意識ははっきりしているはずなのに目を通して脳に入ってくる情報があまりにも少ないせいでいまいち頭がシャキッとしてこない。爆食いした後のぼーっとした感覚がずっと続いているような気持になり少しいらいらしてきた。ここから得られる情報なんてほぼないと確信してとりあえずここに来る前の自分を思いだす。昨日の夜……はいつも通りの日常だったはずだ。別におかしかったところは何もない。しっかり布団に入ったのかという疑問にはおそらくだがイエスと答えられる。寝たはずだ。じゃあ今日のどこかのタイミングでこの奇妙な空間に連れてこられたということだろうか。今日は久々の祝日だったはずだ。平日なのに堂々と休める赤い日、つまり最高の日だったはずだ。そこで自分は何をした?…………起きた。朝食は食べず身支度を整える。ふと何かを思い出して外に移行と思った。買い物だったか?食材を買いにスーパーへ行ったような気もするし、暇つぶしに街へ繰り出した気もしなくもない。そもそも外へ出たことは確定かと言われると怪しい気もするがじゃなきゃここに来る理由が説明できない。外へでて家に戻った記憶がいよいよないと断言できるレベルであやふやになってしまっている。と言うことからも外出先で誰かに連れ去られたと考えていいだろう。尤も誘拐される理由が皆無と言っていいのでこの説も本当に納得できないのだが、これ以上推察しても深みに嵌っていく一方のような気もするのでここで決め打つ。

 肩と首を何回も回すとようやく自分の体が自分のものになったような感覚がしてきた。よいしょっと………思わず心の中で声が漏れた。そういう年齢ではないはずなのによほど体が固まってしまっていたのだろう。立ち上がった途端ぞわっとして全身に血が流れだした。行動開始の合図だと勝手に捉えることとする。

 やはりと言っていいのか、見た感じは全くおかしなものはない。と言うより物自体何もない。本当に真っ白で何もない空間だ。それは立った視点から見まわしたとしても変わらない印象だった。洞窟の行き止まりのような一本道の先端に今はいるのだろう。後ろは壁で前に道が続いている。おそらくだが前に進めと言う合図だ。少し怖いがここでずっと生活する気などさらさらないので誘われるままに進むことにする。

 長い長い道が続くのかと思いきやあっけなく終着点にきてしまった。目の前にドアノブが存在している。自分の目にはただの壁にドアノブがくっついているように見えるのだがおそらくこれはドアなのだろう。全体が知ろということもあってドアとその境が全く見えないため大変珍妙な光景となっていた。ドアノブを握る手には若干力が加わっているがそれ以外の部分はできる限り力を抜いてドアを押す。

 すっ

 空気がきれいに抜ける音がした。開け方は一般的な押戸なのに全くと言っていいほど隙がないからなのだろうが………こんなドアを今まで見たことがなかったので少し驚く。構造的にはオーバーテクノロジーと言って差し支えない気がするのだが、残念なことにそっちの分野は全くと言っていいほど知識がないので何とも言えない。

 目の前には一人の人物がいた。おそらく自分と似た状況に置かれた人なのだろう。顔を見るだけで胸の中に仲間意識ともとれるものがじわっと広がってくることからそれは理解できた。そしてその奥にはなんだかきれいで眩しくて、でも心は全く踊ってくれない空間が広がっている。町中にたまにいる、貴金属をじゃらじゃら付けて成金アピールをしている人たち、それを目にしてしまった時と似た感情に襲われる。簡潔に言うと目に良くない。

 目の前に広がっている気持ち悪い空間に何歩か近づいてみる。どうやら鏡のようだ。鏡がつい立てのように置かれて道を形成している。その道がどこまで続いているのかはわからないが入り口であるこの部分を見ただけで数分で向こう側へ辿り着く道ではないような気はひしひしと伝わる。

『迷路 抜ケロ』

 適当なメッセージが書かれた紙が壁に貼られていた。おそらくこの鏡でできた道はただの道ではなく迷路になっているということだ。今からこの迷路の中に入ってゴールまで行かなくてはならないということなのだろう。そもそもゴールがどこにあるのか、さらに言えばゴールは一個だけなのか。迷路遊びをするには全く情報が足りていないような気もするがやれと言われているのだからやるしかない。やる前から萎えかけている気持ちを表すかのように視線が足元へ向かった………何かある。手に取ってみると小型の懐中電灯のようだ。足元を照らす。緑色の一本線が靴に当たった。どうやら懐中電灯ではなくレーザーポインターのようだ。これはありがたい。鏡同士が反射してどこが道でどこが鏡かさえわからないという状況はこれでなくなった。これを前へ向けるだけで自動で道が示されるはずだ。ここへ連れてきた奴がどんな奴なのかはわからないが僅かばかりの良心は捨てきれなかったらしい。ポインターを正面へ向けてみる……………光が貫通し奥の方であり得ないほど乱反射されている。あれ、おかしい。正面に手を伸ばしてみると確かにそこには壁がある。どういうことだ……見えない壁、いや、光のみを投下する壁なんてあり得るだろうか…………ガラスか。鏡の中にただのガラスが混ざっている?現実的に考えてこの線が一番ありえそうだ。

 全方向真っ白、大量の鏡、その中に混ざるガラス。この迷路をレーザーポインターだけでクリアして見せろとどうやら言っているらしい。前言撤回だ。俺をここに連れ去った奴は良心の欠片もなかった。

 面白いほどに前に足が進まなかった。背を向けて引き返すとどんどん足が軽くなっていく。五メートルほど後ろにあるスタート位置にもどるとさっきと変わらない表情をした人がいる。そりゃそんな表情になる。これは端的に言って地獄だ。もしかしたらこの人と同じようにここで佇むのが正解なのではないかと思えてきてしまう。迷路の中で挫折するのか、ここで挫折するのか。違和感がないここで過ごした方がまだ安らかに死ねるだろう。でもどうせなら先に進んで家に帰りたい。せめてここに自分がいる理由が知りたい。そう思った時には自然と隣の人物に声を掛けていた。