21:30
頭からつま先まで体のどこにも泡が残ってないのを確認してから、大急ぎで湯船に入った。
肩までといわず、口まで全部お湯につかる。冷えて硬くなっていた体の芯が、茹で上がったパスタみたいに柔らかく伸びていくこの感じ__う〜ん、あったかい。
冬の脱衣所はサイテーだけど、冬のお風呂はサイコーだ。
お湯をすくって顔にかける。ついでに髪にも。今日は、なんだかすごくたくさんのことがあったような気がする。実際には、宿題して、ちょっとお店の様子も見て、今はお風呂に入ってる、なんてことない普通の1日だったんだけど。
こんなに疲れてるのは、きっと、さっきのコンロ事件にびっくりしすぎたせいだ。バイトのお姉さんが電話に出てくれたおかげで、悪いことはなにも起きなかったけれど……ああいうのは、心臓に悪い。「じゅみょうがちぢむ」ってやつだ。
じゅみょうが……どうしよう?
これで、本当に長生きできなくなったら……。
急に、お湯の温度が下がった。いや、違う。下がったのはぼくの体温だ。どうしよう。長生きできなくなったら。長生きできないってことは、つまり……うまく想像できないけど、大人になれないってことだ。
大人に……。
今まで当たり前みたいに描いていた「将来の夢」とか「結婚するならどんな人がいい」とか、そういう朝方のモヤみたいなたくさんの夢々が、急にリアルな重みを持ってくずれていく。
そんで、代わりに、今日のお客さんたちの姿が、頭の中をメリーゴーラウンドみたいにぐるぐる回り始めた。
酔っ払う人、騒ぐ人、キレる人、喧嘩する人、ギター弾く人、吐く人、泣く人、説教する人、その他、迷惑なことを平気でする人、えとせとら、えとせとら……。
あれ__大人になれなくても、別にいいんじゃないか?
むしろ、大人になるのって、すごくカッコ悪いことなんじゃないか?
うん。うん。暖かいお湯の感覚がじわじわ戻ってくる。なんか、そんな気がしてきたぞ。お父さんはよく子どもっぽいことは悪いことみたいに言うけれど、あんなカッコ悪い大人より、ぼくたち子どもの方が、よっぽどいい世界に生きてるに決まってる。お母さんだって、酔っ払うと口癖みたいに「昔に戻りたい」って言うし……うん。うん。じゅみょうが短くなっても、別にいいや。
大人になったって、いいことなんかきっと一つもないや。
そうホッとしてため息をついた時、ふと、外から大きな音が聞こえてきた。玄関の扉を開ける音だ。それがすごく乱暴で、一瞬泥棒かと思ったけれど、すぐにお母さんの声も聞こえてきたから、ぼくはもう一回ホッとして大きな声で返事した。
「なーにー? ぼくおふろだよー!」
お母さんは声だけは静かになって、ドッタンバッタンお風呂場に近づいてくる。
壊れちゃうんじゃないかってぐらいの勢いでドアが開いて、
「なんでこのタイミングでお風呂入ってるのよ!」
「夜だからだよ……」
「いいから早く出なさい! 出て、服着て、逃げるのよ!」
と、お母さんは赤ちゃんにするみたいにぼくの両脇に手を入れて、無理やり湯船引き上げてくる。
「なに⁈ なんで⁈ 寒いッ!」
「逆! 熱いのよ! 火事なのよ!」
「……火事⁉︎」