2025年1月13日
20:30
くるくると調子よく回っていたはずの赤エンピツが勢いよく手から飛んでいって、カツンと床に落ちた。
拾い上げてみると、打ちどころが悪かったらしく、芯が根本から綺麗に折れてしまっている。これじゃ、丸つけができない。
激萎え……。
思わず、お母さんみたいなため息が出る。学童の友達(5年生で、年上で、超かっこよくて、ゲームが上手い。頭もいい。運動神経もいい)がやっているのを見て、ぼくもこっそり練習しだしたエンピツ回し。一ヶ月ぐらいやり続けて、最近はやっとうまく回せるようになってきたけど、まだまだ安定感が足りてない。あいつみたいに人前で披露するためには、もっともっと練習が必要だ。
__とりあえず、削り直そう。丸つけがまだ途中だ。床に放りっぱなしのランドセルを開けて、筆箱を取り出した。パカッと……あれ、ない。裏側も開いてみる。こっち側にもない。どこ行った。ランドセルから教科書を全部出して底を見ても、ない。全然ない。机の上にも、引き出しにも、もちろんない。
「あれ、」と首をひねるのと同時に、ぼ〜んやり金曜日の記憶が蘇ってくる。たしか、休み時間、教室のゴミ箱の上でエンピツを削ってて……途中でチャイムが鳴って先生が来ちゃったから、慌てて席に戻って……その時、あのエンピツ削り、筆箱に戻さずに机に突っ込んだような……そんで、それを取り出して筆箱に戻した記憶は、全然ないような……。
「…………」
激萎え。超・超激萎え。
__まぁいいや。丸つけだけだし、あと数問だし、明日の朝学校でやろっ。
机の上のドリルを閉じて、床に散乱した教科書もちゃんとまとめて、全部ランドセルにしまい直す。
時計を見ると、まだ八時半。寝るにはちょっと早すぎる。とはいえ、お母さんとお父さんはどうせ今日も0時まで帰ってこないし、好きなテレビも宿題をやっている間に終わっちゃってるし、やることがない。暇だ。
ユーチューブでも見るか、と、リビングのパソコンの前に座ったところで、ふと、お母さんがこんなことを言っていたのを思い出す。
「店のカメラをねぇ、新調したの」
「しんちょーってなに?」
「新しくしたってこと。前のはおじいちゃんの代から使ってた古いカメラだったから、映像がガビガビで、見にくかったでしょ。だから、思いきって変えたのよ。お高かったけどね、すっごく綺麗に映るようになったの。寂しくなったらそれを見るのよ」
ぼくんちの一階は居酒屋だ。そして、お父さんとお母さんはそこの店員さん。お店は遅い時間までやってるから、ぼくは毎日、学童から帰ってきたあとは寝るまで一人でいなきゃいけない。幼稚園の頃はおばあちゃんが一緒に留守番してくれたけど、おばあちゃんは二年前に死んでしまった。
そこで、お母さんが、家のパソコンから店の監視カメラの映像を見れるようにしてくれた。
好きな時に見ていいよって。
一人ぼっちはさみしい。今日みたいに寒い夜はもっと嫌だ。だけど、お父さんとお母さんが一生懸命仕事しているのを見たら、少しだけ元気が戻ってくる。おばあちゃんが死んじゃってすぐの頃は、毎日何時間もパソコンの前に座って映像を眺めていた。
今は三年生になって、留守番をさみしいと思うことも減って、最近はあまり見ていなかったけど……久しぶりに、見てみようかな。
お店にある監視カメラは、全部で六つ。レジ前と、カウンター席と、テーブル席と、三個ある個室に一つずつ。お母さんたちは、大体いつもカウンター席のカメラに後ろ向きで写ってる(つまり、カウンターの中の厨房にいるってこと)。今日は、バイトのお姉さんも一緒だ。
お母さんの言うとおり、画質がかなりよくなっている。お客さん一人一人の表情まで見えるぐらい。今日のお客さんは__あ、常連の派手なお爺さんが個室にいる。カウンターにも、見覚えのあるお客さんが何人か座ってるな。あとは、テーブル席に、お兄さんお姉さんのグループが一組。……もしかして、あれが、今朝お父さんの言ってた、「新成人のお客さんの予約が入ってる」ってやつかもしれない。
新成人。つまり、今日、成人式をした人たちってことだ。
ぼくはまだ八歳だから、成人するには……あと十年もある。それに、成人するのは十八歳だけど、成人式をやるのは二十歳のときらしいから、あのお兄さんたちに追いつくには、あと十二年も必要ってことだ。ぼくが生きてきた時間よりももっともっと長い時間が。
想像がつかなくて、少しドキドキしてくる。
__成人になるって、どんな気持ちなんだろう。
学校は、高校じゃなくて……きっと大学生だよね。大学って楽しいのかな。宿題はむずかしいのかな。お酒はおいしい? タバコも吸ったことある? エンピツは上手に回せる? ひとりでも寂しくない? ぼくも成人する頃には、もう留守番しなくてよくて、お母さんたちと一緒に働ける?
ズーム機能を使って、テーブル席のお客さんをアップにしてみる……