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+早河遼
私って誰? ─フェナカイト─ 「……では貴様を、私の一時的な助手として任命する。それで異論はないな?」 「ああ、勿論さ。むしろ光栄に思うよ。異能を断ち切る凄腕の警察さんから頼りにしてもらえるなんて」 相手の株を上げつつ、自分の持っている情報を提供する。だが全てを明かさぬよう調節も怠ってはならない。かなりリスキーな立ち回りだが、警察の信用を得て共に行動すれば容疑者の候補から外れる。灯台下暗しとはまさにこのこと。おまけにこの若造、中二病で現実が見えない愚か者と見た。この絶好の穴場を逃すわけにはいかない。 渡辺と名乗る警察が事情聴取に勤しむ傍らで俺、赤佐田名は愉悦に浸っていた。現場となった渋谷センター街の交差点。その中央にあるマンホールでは、甲冑を身に纏った西洋顔の男が倒れている。 野次馬の群れの中から、何人かと目配せする。下水道局の職員。美容師。そして大槻。今まで俺の歩む茨の道を付いて来てくれた、信頼のおける仲間達。 これは生半可な事件ではない。長い時間の末に達成した、復讐劇だ。 全ては幼少期からの因縁。あの出来事から、俺の人生は大きく狂い始めたのだ。 保育園の年少組に入った頃、奴はアメリカから越してきた。 父親の転勤で来日した、と保育士から紹介があったその少年は、入園して間もなく注目の的となった。俺もそのうちの一人だった。今まで接してきた子供とは違う瞳、髪の毛。あまりにも珍妙なその容姿に、思わず興味本位で接近してしまった。 しかし、後になってその選択が過ちだったことを痛感してしまう。 ヤツが本性を表したのだ。ある時は男子三人を痣が残るまで殴り続け、ある時は女子グループの描いた絵を滅茶苦茶に引き裂いた。何よりも許せなかったのが「バリカン事件」だった。俺が当時好きだった女の髪を、奴は何処から持ち出したかも判らないバリカンで全部剃り落としたのだ。丁度その時現場に居なかった俺の無念と怒りは、成長した今でさえも計り知れない。 バリカン事件を機に、女とその家族は別の町に引っ越してしまった。その背景からPTAは怒りを露わにし、満場一致でヤツの一家を園内から追放することを要求したのだと言う。後に母から聞いた話によると、あの一家は父親にも問題があり、元々米軍人だったものの同僚に幾度も暴力を振るったことで解雇されたらしい。日本に来たのも新しい職を見つけるためで、息子の問題行動も恐らく遺伝によるものだろうと憶測を立てていた。 結果的に、ヤツとその家族は保育園どころか町から追放された。 将来的な視点で考えれば当然の判断だろう。しかし、俺は納得いかなかった。どうして別の町に逃してしまったんだ、と。 この内なる怒りが、小さくも確かな炎を灯した。後戻りしようにも遅かった。既にこの時点で、俺の人生の歯車は狂い始めていたのだから。 それから約二十年が経った夜。全ての準備が整った。 「おう、ここだ。遅かったな」 渋谷の某居酒屋。俺が手を振った先で、小野塚が呆れた表情で立っていた。 「急に呼び出しといて何ですかその言い草は。こちとらあと一歩で残業ルートだったんですからね? 全く、これだから無職は」 「おいおい。それ以上は禁句だぜ、小野塚ちゃん? しかも今の俺は無職じゃねぇ。今度コスプレ屋を開くんだ、コスプレ屋」 「興味ないですね。どうせすぐ潰れますよ、あなた飽き性ですし」 互いに嫌味を言い合いながら、店員にビールを注文する。 小野塚健は昔やっていたコンビニバイトの後輩だ。普段は口数が少なく忠実に仕事を熟す人間を装うが、心を開いた相手には躊躇いなく愚痴を溢す。現在は東京都の下水道局職員として、都内の水問題の一端を担っていた。 「それで? 私の貴重な休暇を盗んでおいて何の用ですか?」 「休暇だぁ? 大袈裟な、日を跨ぐまでのたった二時間だろ?」 「こちとら基本的に年中無休なんです。夜の数時間すら貴重な休暇なんですから」 「そいつは悪いことをした」 適当にあしらって、俺は酒で喉を潤す。我ながら軽薄さが全面に出ているが、それでも何かを懇願する時は誠実な態度を忘れてはならない。 グラスをゆっくりとテーブルに置き、じっと小野塚の目を見据えた。 「……助けが欲しい。お前の下水道局職員としての権限と知識が頼りなんだ」 翌日。渋谷センター街の交差点。 合流場所に待機している最中、不意にポケットの中のスマホが震えた。着信元を見ると、案の定小野塚だった。 「おう、俺だ。結論は出たか?」 「ええ、昨日話していたあの計画についてですが──」 覚悟を決めるためか、電話越しに溜息が聞こえてくる。 「……やはり協力致します。物騒な内容ですが、貴方には借りがあります。借金を帳消しにして下さるのであれば、喜んでお引き受けしましょう」 「っしゃあ、そう来なくっちゃなぁ?」 パチン、と指を鳴らし一人ほくそ笑んだ。その借金も別の奴から又貸ししたものだ。そんなことも知らずに勝手に恩を感じているとは、愚かな奴め。 「しかし、その因縁の男をどうやって見つけるんですか? まさか、一から二人で探すんじゃないでしょうね?」 「んなわけねぇだろ。流石に当てはある。……これからそいつと会うところだ」 一通りの会話が終わったところで、俺は通話を切る。 すると間もなく、一人の男が覚束ない足取りでやって来る。 くまの目立つ目元。ちりぢりとした頭髪と無精髭。こちらへと近付いてくる度に、酸っぱい匂いが鼻をつき息を止めた。 噂通りの容貌だ。おかしさのあまり、つい口角が釣り上がってしまう。 「……お前が大槻か? ここに呼び出すのに随分と手間をかけたぞ」 大槻は何も答えない。構わず言葉を重ねる。 「或る男を探しているんだ。先日、お前が過去にそいつと同じ精神病院に通っていた情報を耳にした。良ければ話を聞かせてほしい。正直に答えたなら、相応の報酬をくれてやる」 「まず、そいつの名前を教えろ」 ようやく口にした男の声は、酷く掠れていた。 「お前みたいな若造と違って長く生きてるからな。あやふやに言われても思い当たる節が多すぎて質問に答えられねぇさ」 「そう焦るな。今から教えるところだったんだ。まあ、名前も容姿も特徴的だろうから、忘れるはずもないだろうけどな」 俺はただ一言、ヤツの名前を口にする。 途端、大槻は驚愕の表情を浮かべ、その場で硬直した。目を白黒させ、やがて理解が追い付いたのだろう、大きく溜息をついて再びこちらに向き合った。 「……お前の言った通りだ。知っているとも。むしろ思い出したくなかったがね」 「ヤツは今何処にいる?」 「近所の精神病院に収容されていた。過去形だがな。奴は飛んだ問題児だよ。これまでも、恐らくこれからも、だ」 その言葉を皮切りに、大槻はヤツの情報を事細かに話してくれた。彼曰く、ヤツの凶暴性は昔と変わらず、医者の手に負えないことから日本全国の病院を転々としているらしい。最も、その実態は病院同士で面倒事を押し付け合っているだけだとも言えるが。 「それで、ヤツは今どの病院に居るんだ?」 「患者の転院先は機密情報だ。ただの患者、ましてやもう何年も前に退院してるホームレスに判るはずがなかろう」 思わず唸りながら、顎を掻く。糸口を掴んだと思いきやまた振り出しか。精神病院だけで全国に何件あると思ってる。虱潰しに探すにしても時間が掛かり過ぎる。その間にヤツが逃走を図りでもしたら、それこそ打つ手が無くなる。 が、完全に糸口を失ったわけでもなさそうだ。 こうなれば、一か八かに賭けるしかなかろう。 「よし、なら大槻。質問を変えよう」 相手の表情が微かに歪む。そんなに怖い顔をした覚えはない筈だが。 「……お前が昔通っていた精神病院に案内しろ」 それからまた、三年の月日を要した。 「また世話を焼いてしまいましたね、赤佐さん」 封筒の中身を覗きながら、元大槻の担当医は安堵の表情を浮かべる。三年前に大槻から案内された精神病院。そこで長年勤務するこの初老の男は、自分の愛娘が専門外の難病に侵されていた。高額の治療費で生活が逼迫しているその隙に付け入り、無事病院内に潜入することに成功した。 「娘の調子はどうだ?」 「担当医曰く、回復の兆しが見えてきたようです。これも貴方の厚意のお陰です。お金はいつか必ず──」 「いい。金なんて要らん。俺に構わず、娘の将来のために使ってやれ」 善人を装ってそう言うと、医者は恐れ多いと言わんばかりに深く頭を下げた。つい口角が弛む。人という生き物は本当に単純だ。その金も別の人間から借りた物と知らず、醜態を晒しやがって。 「それより本題に入ろう──例のブツは手に入ったか?」 医者は、勿論、と頷いて懐から角形の封筒を取り出す。 「全国の同業の知人を当たって、例の患者の動向を調査しました。それを可能な範囲で纏めたのが、そちらの資料です」 書類を手に取り、エクセルで編集したと思われる票に目を通す。上出来だった。現在収容されている病院のみならず、今後転院させられるであろう場所も大方予測できる内容だった。三年の月日は無駄じゃなかったようだ。 「現在、その患者は大阪の病院に収容されているみたいです。宜しければ、後日案内致しましょうか?」 「いや、その必要はない」 そう言い残して、俺はソファから立ち上がる。荷物を持ち、扉に向かおうと身を翻したところで、また口を開く。 「何かあればまた連絡する。安心しろ、仕送りは継続してやる」 この優秀な人材をまだ、手放すわけにはいかなかった。 「……早かったですね」 病院の駐車場には、黒い自家用車が停まっていた。運転席に居たのは、小野塚だった。風邪と嘯き欠勤したのだと言っていた。 「おう。欠勤、上手くいったんだな」 鞄の中から雑誌を取り出し、そう言った。 「はい。むしろ昨今の感染症の騒動を機に、体調不良者の出勤が厳しくなったんです。最も、嘘だとばれれば即クビでしょうけど」 「その割には随分と乗り気じゃねぇか」 「前も言ったでしょう。あなたには借りがある。それに、この計画の発端を聞いてしまった所為で気が変わったんですよ」 それで、と小野塚は話題を切り替える。 「結局これから何処へ向かうんですか? 都内? それとも関西? 休暇は長く取れるので何処へでも向かえますが」 「頼もしい限りだ。今から向かうのは此処だ。大阪だ」 丁度開いていた雑誌の頁を指差し、俺は宣言した。 それを覗き込んだ小野塚は、段々と怪訝そうな表情へと変わっていく。 「……何ですか? その悪趣味な記事は」 「知らねえのか? 『ナニワ地下帝国』だよ。最近の若者の間じゃ常識だぞ?」 語気を強めて俺は言った。記事の見出しは「甲冑の西洋人、マンホールから出没」。一目見ただけでやらせだと判るが、このアイデア自体は計画に応用できそうだ。幸い、こっちはコスプレ専門店店主だ。甲冑を仕入れるぐらい容易い。 「全く……ふざけないでくださいよ。行くならさっさと出ますよ? 混雑する前に高速に乗ってしまいたい」 「ああ、ちょっと待ってくれ。今回同行するパーティーはお前だけじゃない。スペシャルゲストを用意したんだ」 「は? スペシャルゲスト?」 素っ頓狂な小野塚の声と同時に、ガチャリ、と後部座席の扉が開く。スキンヘッドに蛇の刺青を入れた厳つい老人。弛んだ半袖シャツの襟元から、立派な胸毛と胸筋が垣間見えた。 「おう、遅かったな。一号」 「その呼び名やめろ。次言ったら、貴様のそのうぜぇ癖っ毛刈り取るぞ?」 「……誰ですか、この人」 平静を装う小野塚だが、その両目には明確な恐怖を感じ取れる。 「……コイツは鈴木。俺の店の近所で床屋を営んでる爺さんだ」 「……何故床屋を呼び出したんです?」 「スキンヘッドを生業とする店主でな。そうとも知らず来店した間抜けなヤクザに攫われて殺されそうになってたんだ。んで、両方顔見知りだった俺が救助した。まあ、訳あって死んだことになってるけどな」 「答えになっていないのですが……」 呆れ顔で眉間を抑える小野塚の肩を、俺は「馬鹿野郎」と強く引っ叩く。小さな呻き声が彼の口から漏れる。 「お前、忘れたんじゃないだろうな? スキンヘッド専門美容師、俺達の計画に必須のパーティーだろうが」 鈴木への説明、そして何より愚かな小野塚へのお浚いも兼ねて、計画の概要を改めて解説する。 計画は「ナニワ地下帝国」の記事との混乱を招くべく下水道の中で実施する。特徴が一致する人物をマンホールの中に引きずり込み、気絶させた上で丸刈りにし、甲冑を被せる。そうして目が見えず、身動きが取れない状況で嬲り殺す。死体は下水にでも流して海の藻屑にでもすればいい。 完璧だ。約二十年越しの計画がようやく遂行される。もはや復讐だけに留まらない。社会にあのような怪物を野放しにしないため、俺の手で粛清する。失敗は許されない。 「それじゃあ、行くぞ。いざ──大阪へ」 興奮を押し殺しながら、俺は一言宣言する。 車のエンジンが、号砲代わりに低く唸った。 それから、復讐達成までに五年という長い時間を要した。 実に無駄な逃走劇だった。最も、ヤツにその気は端から無かったのだろうが。我々が現場に到着し、マンホールに張り込みをし始めたところで、幾度となく別の病院に移動させられていた。お陰で罪のない西洋人まで巻き込む羽目となり、本当に良い迷惑だった。 が、決して諦めようとはしなかった。小野塚も度々嘘をついては、俺のために欠勤し車を走らせてくれる。かの医者も、新たな情報を見つけては即座に連絡を入れてくれた。鈴木に関しては、まあ半ば同居人みたいなものだった。 そして何よりお手柄だったのが、大槻だった。ヤツが渋谷に戻ってきた時、真っ先に連絡を入れてくれたのがあの男だったのだ。念の為、電話番号と近くの公衆電話を共有しておいたのが功を奏したようだ。 最後は全員で勢いに任せて殴りつけた。刃物で刺しまくった。痛快だったとも。幼少期はいきり立って友人を嬲っていたヤツが情けない雄叫びを上げていたのだ。終盤に逃走を図ろうとした時はどうなるかと思ったが、出口で気を失ってくれて助かった。医者曰く「もう助からない」と言っていたから、無事目的は果たしている。 正直ここでお縄にかかって人生を終えてもいい。だが、ここで俺が捕まれば間違いなく他の仲間も道連れとなる。あいつらの恩は返しきれねぇ。だから、最後までジョーカーを演じてやる。暴けるなら暴いてみせろよ、お巡りさん。 月光に照らされるヤツの死体を、野次馬に隠れてじっと見下ろす。ふと耳を弄ると、銀色の宝石のイヤリングが大きく揺れた。ネックレスにも付いているこの石の名はフェナカイト。俺がこの世で最も愛している宝石だ。 【5882文字】
@NihonUniversity College of Art