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私って誰? 序章

 十月三十一日。夜、渋谷のセンター街。街は仮装した若者達で溢れ返り、喧騒と浮ついた
空気が辺りを覆っていた。
 そんな騒々しい空間から一歩離れた、カラオケ前の十字路。熱気の余韻が漂うその場所も、
スクランブル交差点に勝らずとも活気に溢れていた。数人の学生が休憩目的で行き来し、端の
方ではラッパーが気の合う仲間達と屯していた。
 中でも周囲の注目を集めていたのは、二人の女子学生が男にナンパされてる姿だった。猫耳
傷メイクの高校生はなと、イベントの帰りに待ち合わせる約束をしていたアイドルオタクの大
学生はなこ。彼女達と絡みに来た西洋顔の男もまた、ハロウィンに肖って甲冑を身に纏っていた。
「オウ! 君たち可愛いデスネ! 一緒に飲み行きましょう!」
「いやぁ、遠慮しときますぅ……」
間伸びした声で答えるはなこの目は、嫌悪感に満ち満ちていた。
隣のはなも、続けて反対の意を示す。
「私達、彼氏いるので」
「ウン? ワタシ、彼氏いないデスヨ?」
「いや、あなたじゃなくて私達がいるのであって……」
「因みにワタシの名前はジョージでーす!」
「いや、訊いてないし……」
 能天気な西洋人を前に、二人の女子学生は困惑する。このままだと埒が開かない。何とかし
てこの状況から脱したい。頬を引き攣らせながら、辺りを見渡す。
 と、その時だった。
 ガタン、と爆発にも似た金属音が場にいた大勢の耳を劈く。異変を察知し、全員がそちらに
目を向ける。途端、ある意味平和と言えるこの状況が、一緒にして覆った。
 マンホールは蓋が開いており、中から傷だらけの甲冑を纏った男の上半身が伸びていた。
兜の中はジョージと酷似した西洋顔であり、気を失っているのかいくら周囲が騒ごうと目を
開けることはなかった。 「えっ、何あの人」
 はなこは男の顔を見るなり、溜息にも似た声で呟いた。
「……超推せるんですけど」
「えっ、わかる」
 はなも共感したのか、仄かに紅潮した顔で頷いた。
「マジでかっこいいんですけど」
「オウ! ちょっと待って! ワタシの方がカッコイイですヨ?」
「いやお呼びじゃないです帰ってください」
 接近するジョージを突き放すはなこの目は、先程にも増して刺すように冷たい。
 一方はなは、そんなことお構いなしに黄色い歓声を上げる。
「急に目覚ましたらどうする? わたし気絶する自信しかないんだけど」
「てかあの人全然起きなくない? それこそ気を失ってるんじゃない?」
「うわ、ホントだ。どうしようか。誰かあの人助けてくれないかな」
 歓声が徐々に不安の声へと変わる中で、二人は辺りを見回した。つい先刻まで一定の賑わいを
見せていた交差点が、今ではほんの数人の野次馬しか残っていない。そんな数少ない人間の中で
も、一際注目を集める存在がマンホールへと歩み寄っていた。
「おい、そこの外国人。何やってくれてんじゃボケェ」
 ジャラジャラと鎖状のネックレスを揺らしながらマンホール男へと近寄る色黒の男。女学生二人
にとって、彼は初対面でありながら見覚えもあった。数分前まで交差点の隅で屯していた、あのラッ
パーだった。いつの間にか大勢の仲間を失っていたその男は、大きなラジカセを右肩に背負い、爆音
で音楽を鳴らしている。 「てめえの所為でダチが全員逃げたじゃねえか。どうしてくれんじゃボケェ」
「チョット! アナタうるさいデス! 女の子達逃げちゃったらどうするんデスカ!」
 何の警戒もなく絡んでくるジョージを、ラッパーはギロリと睨み付ける。
「てめえもさっきから目障りなんだよボケェ。このオレを誰と心得る。この渋谷一の最強ラッパー、
UNO様だぞ?」
「イヤ、どうでもいいデス。ラップ興味ないのデ」
 マンホールの男を挟み火花を散らす、UNOとジョージ。
 また面倒なのが増えた。はなとはなこは、呆れ気味に嘆息する。
「何あの人。絶対自称ラッパーでしょ」
「てかどうでもいいから警察呼ばない? このままだと収集つかなくなるよ?」
「そうね。あたし電話するわ」
 そう言ってはなこがスマホを取り出した、その時だった。
「おお! これはまさしく異能の気配…………!」
 交差点の西側の道路、その先から一人の若い警察官が闊歩してくる。
 一見、ごく普通の格好をした警官。通報の手間が省け安堵するはなこだったが、すぐ違和感に気づく。
そして、すぐさま落胆の溜息をついた。何故なら彼の腰のベルトに、どういうわけか異様な刀が携えら
れていたのだ。
「ふむ……ボロボロの甲冑を身に纏った西洋人。突然マンホールから飛び出してきた、と言ったところか。
実に興味深い。我が昇進……おっと失敬。我が愛すべき渋谷の街の平和のため、この事件、私が解決して
進ぜよう」
「え、何あの中二病警察」
 自分より異質な人物に困惑したのか、UNOの言葉から一瞬にして軽薄な空気が消え去った。
「絶対ハロウィンの仮装だろ」
「あ? 何だね、君は……私を誰と心得る」
 UNOの独り言が聞こえたのだろう、地獄耳の警察が食い掛かってくる。
「我は警務部対異能特殊部隊『月鬼組』所属、渡辺綱八様だぞ?」
「何すかその中学生が取って付けたような肩書きは……あ、因みに自分ラッパーです」
「ラッパーだぁ? ほう、それなら今すぐこの場でラップを披露してみせなさい」
「オウ! アナタお巡りさんデスネ?」
 じりじりとにじり寄る渡辺に割り込むように、ジョージが声を投げかける。
「ワタシ、このラッパーにケンカ売られマシタ。早く逮捕してクダサイ」
「ほう? 何て言ったのだね?」
「『何してんだボケェ』って」
「はあぁ、微塵も語彙力の感じられない台詞ですこと。アンタ本当にラッパーかね?」
「う、うるさいな。そんなことより──」
 渡辺の啖呵に怯みながら、UNOはマンホールに倒れる甲冑男を指差した。
「この人、何とかしましょうよ。ボクも最初は大したことないなって思ってたんですけど、この人全然
起きないんですよ。流石にまずいんじゃないかって思うんですけど」
 先程の威勢など全く感じない誠実な態度。至極真っ当なその意見に、渡辺は顎に手を当てて、
ううむ、と唸った。 「確かにそうだな。誰か、一部始終を見ていた人は居ないのかね」
「オーマイガー! ヤダー! 外人おるー?」
「お前もやろがい、西洋人。というかお前も色々と事情訊かせてもらうからな?」
「ホワイ?」
「とりあえずボク、近くにいる人集めてきますよ」
そう言ってUNOは、周囲に立っていた人間にマンホールの近くに来るよう呼びかけた。仮装を身に
纏う者。何かの作業服を着用する者。薄汚れた格好をした者。派手な装いをする者。現場に集結した
人々の容姿はまさに多種多様だった。
 一人一人の顔を見比べたところで、渡辺はわざとらしく咳払いをする。
「さて、では一人ずつ順番に訊いていこうかね。ではまず、そこの灰色の男」
 最初に指差された作業服の男は、一瞬だけ驚きの表情を見せ眼鏡をくいと上げる。
「あ、ええと。私、小野塚って言うんですけど……普段、東京都の下水道局で職員として勤務しております」
「ほう、小野塚君は何かこの男に心当たりはあるかね?」
「え、ええ。確信は無いんですけど……私、普段の業務で下水道の点検を行うんですけど、先日その
最中に人影を見かけたんです。下水道の中でですよ?」
 興奮によるものか、小野塚の語気と速度が徐々に増していく。
「暗くてよく見えなかったのですが、多分この人ですよ! 丁度これぐらいの背丈でしたし、人の影に
しては原型が留まっていなかったし!」
「ああ、やっぱり! それを聞いてようやく確信がつきましたよ!」
 解説の最中、急に割って入るように小柄の男が叫んだ。青い上着にチェックのシャツ。首には一眼
レフのカメラがぶら下がっている。
「この人、雑誌の中で出てきてました! 『ナニワ地下帝国』っていう企画なんですけど! たしかそ
の時もマンホールの中から出てきてたはず!」
「あ、知ってる! 私も読みましたわそれ!」
 彼の隣にいた女子大学生も、その意見に大阪弁で賛同する。
「まさか渋谷に出るとは思わんかったけどな」
「おいおい、何だね君達は。今、私は小野塚君と話しているだろう?」
 苛立たしげに腕を組む渡辺の言葉に、我に戻った小柄男が声を上げた。
「おっと、申し遅れました。私、名庭という者です。リポーターです。『ナニワ地下帝国』
のためだけに生まれたと言っても過言ではありません。どうぞお見知り置きを……因みにこの外人が
何者なのかはよく判りません」
「オイオイ、何の意味もないじゃないか。勘弁してくれ。というかその……ナニワ何とかというのは
どこの雑誌だね? 聞いたこともないぞ」
「大阪ですよ? 知らないんですか?」
「知るわけなかろう。オカルト雑誌か何かか?」
「無知やなぁ。お巡りさん。てかさ、アンタお巡りさんやのに口悪くない?」
 大阪弁の女学生が唐突に口を挟んでくる。
「本当に警察なん? 本当はただのコスプレイヤーやないの?」
「はあ? 本当に警察だしー! 異能とか斬れるし! 何ならステータス見せてやろうか? 筋力はCで、
魔力はB。それから……」
「うわ、ステータスとか訳解んないこと言ってる……やっぱこの人中二病じゃん。ただの仮装なんじゃ
ないの?」
 喧嘩中の子供のように捲し立てる渡辺に、UNOは軽蔑の眼差しを向ける。そんなことには目も暮れず、
渡辺はリポーターや女学生と下らない口論を繰り広げている。
と、収拾がつかないこの状況下で、一人の男が恐る恐る挙手する。
「私、興信所をやっている森田と申しますが、実は浮気調査としてジョージのこと調べてまして。
何の用も無ければこのままこの外人を取っ捕まえてしまっていいでしょうか」
「エッ? 浮気? ワタシ浮気なんてしてないヨ?」
 とぼけるジョージに、森田が詰め寄っていく。
「とぼけるんじゃないよ? 証明書もあるしちゃんと尾行してたんだから!」
「ふむ……段々と厄介なことになってきたねぇ…… 一応逮捕しておこうか。コイツも異能かもしれない」
 耳を傾けていた渡辺は、腕を組みながらそう言った。すると、ついさっきまで傍観者に回っていた
はなが、何かを思い出したかのように声を上げる。
「そういえばこの交差点に入った時、近くにもう一人ホームレスがいたような……」
 隣にいたはなこも思い出したのか、はなの言葉に何度も頷いた。
「ああ、いたいた! たしかあっちの方にいたような……」
 指を差した方向へ、全員徐ろに目を向ける。
 交差点の北側の通路。そこには建物の壁を背凭れとし胡坐をかく、一人の初老の男の姿があった。
薄汚れた服装や縮れた頭髪、尻に敷かれた段ボールなどから、彼がホームレスであることは想像に
難くない。
 遠くから話を聞いていたのか、彼は目線に気づいた途端「ああ」と呆けた声を上げる。
「どうも、大槻と申します。ホームレス二十九年目です。色んな場所を転々としていますが、此処
に来てからはだいぶ経ちますね」
「あの男について、何か見覚えはあるか?」
 マンホールの方を指差しながら、渡辺は問いかける。
 すると、大槻は一瞬だけ首を傾げたものの、謎の男が倒れている様を目にした瞬間、微かに表情
を変化させた。
「ああ、よく覚えていますとも。あれは二十数年前のことでした。たしか、この人から大阪で追剥
ぎを受けたんですよ」
「二十数年前だあ?」
 渡辺は勢いよく名庭の方へ振り向く
。 「リポーター、さっき言ってた雑誌は何年前のものなんだ?」
「私は作ってませんけど……たしか記事は三年前のものだったかと」
 ふむ、と呟きながら渡辺は顎を弄り、現場に集まる大衆を見渡す。が、その過程の中で何かが結び
ついたのだろう。すぐにはっと目を開き、マンホールの方へ振り返った。そういえばその甲冑、どこか
引っかかっていたのだ。
「……コイツが着ている甲冑、ジョージが着ているのと似ているな? ジョージ、その甲冑はどこで
買ったんだ?」
「うん? 服は近所のコスプレ屋で買いましたヨ? この交差点にあったはずデス」
 よし、ビンゴだ。指をパチンと鳴らした。
「ならそのコスプレ屋の店主に話を聞いてみようか。早急にだ」
「ちょっと、何なんすかアンタら」
 交差点北側の道路にあるコスプレ専門店。その中から現れた赤髪の店主は、気怠そうに渡辺を睨み
つける。黒いポンチョに緑のズボン。ネックレスとイヤリングには、銀色の宝石が装飾されていた。
 「警務部対異能特殊部隊『月鬼組』の渡辺だ。事件解決のために、いくつか協力してもらいたい」
「はあ……よく判らんけどさっさと済ませてくれよ。早く作業終わらせて寝たいんだよコッチは」
「まず、名前を教えてくれ」
「赤佐田名。ここの店主だよ」
「では単刀直入に訊くが、あの男に見覚えはないか」
 渡辺が指差す先に、赤佐は目を凝らす。そして、気怠げな表情が一瞬にして生気を宿した。信じら
れない、と言いたげに唇を震わせると、すぐに平静を取り戻しズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「……ああ。この人の顔、見たことあるよ。甲冑も多分うちの商品だ」
「やはりか。丁度他の容疑者が着ている物と似ていたものでな」
「それと……コイツどこかで見覚えがあるんだよな。ここで見るよりも遥か昔に……ちょっと個人的
に調べてみるよ」
「ほう、そいつは願ったり叶ったりだ」
 話を聞いた渡辺は、にやりと笑みを浮かべる。妙案を思いついたのだ。このままでは埒が明かない。
だが、一人協力者を作ればどうだろう。従来よりも捜査が格段にやりやすくなるだろう。他の奴は文句
しか言わないからな。
「よし、では貴様を、私の一時的な助手として任命しよう。そっちの方が手っ取り早く情報を集められ
そうだ。あくまで私の勘なわけだが……それで異論はないな?」
「ああ、勿論さ。早く終わるのなら問題ない。むしろ光栄に思うよ」
 協定関係が成立し、二人は手を取り合う。そして「まずは昔のアルバムを漁ってくる」という赤佐の
言葉を承諾し、渡辺はマンホールの方へと戻っていった。
と、ここで何処か興奮した様子で森田が駆け寄ってくる。
「そういえば今思い出したんだけど、二年前北海道でコイツ見たことある!」
「はあ? また頭がこんがらがるような情報出しやがって。もっと詳しく状況を説明しろ」
「いやあ、見たことあるだけで詳しいことは何とも……」
 くそっ、このザマなら無理にでも赤佐を連れて来るべきだった。
 後悔しながらも、渡辺は頭を抱え、強引に脳内で浮遊する情報達を整理する。
「三年前に大阪、二年前に北海道、そして東京……コイツ、もしや高速移動している? やはり異能の
類いだったか!」
 やはり情報の混濁で壊れたか。心の内で森田は思った。
 すると、話を小耳に挟んでいた大阪弁の女学生が、人差し指を立てて言った。
「もしかしてやけど、ヒントはマンホールにあるんやないか?」
 彼女の言葉に、小野塚もどこか納得した様子で頷いた。
「そういえばもう一人、マンホールの守護者みたいなのがいた気がします」
 道路に腰かけていた大槻も、その意見に同意する。
「ホームレス界隈では常識ですが、マンホールの守護者は世襲制です。たしか近くにいた覚えがあり
ますぞ」
「ああっ! その話知ってる!」
 一連の話を聞いて、はなこは両手を合わせてそう叫んだ。
「そのマンホールの守護者ってヤツ、聞いたことあります! マンホールに連れ込んで若い男女を襲
う噂もあるんですよ!」
「は? 男女を襲う?」
「見境なく…… ですか?」
「うわぁ、キショすぎやろそいつ……」
 急に打ち明けられた気味悪い噂話に、一同騒然とする。
 恐怖で冷め切った空気の中、はなは「そうだ」と場違いの明朗な声を響かせる。
「あのイケメンで釣ってみましょうよ! そのマンホールの守護者とやらが釣れるかもしれませんよ?」
「いや、釣るって」
「魚かよ」
 全員が苦笑しつつも、それが事件解決のため今考えられる最善の方法だということを自覚していた。
間もなく、沈黙した目線がジョージに集中する。彼はすぐさま異変に気付いたが、もはや抵抗する余
地すら残されていなかった。瞬く間に羽交い絞めにされて、マンホールの近くまで運搬される。
 そうして待機すること五分。それは何の前触れもなく飛び出してきた。
蓋が音を上げてひっくり返るほど勢いよく飛び出してきたそれは、下水道の出入口の近くで仁王立ち
したかと思うと、満月に向かって高笑いし始める。目を白黒させて、他の人々はその姿をまじまじと
見つめる。もじゃもじゃの癖毛が夜風に乗って揺らめき、サングラスは月光を反射させて妖しい光を
放っていた。
「ふはははは! 俺の名は赤塚真利男! 我がライバルよ! ここで決着をつけてやる?」
「全く、何だね、お前は? 騒がしいぞ」
 忌々しそうに言う渡辺などお構いなしに、真利男は熱弁を続ける。
「我が終生のライバルよ! いいか、皆の者! コイツは俺の村を焼いたんだ! 故に家族の復讐のため、
ここで貴様を打ち倒す!」
 なるほど、これがマンホールの守護者か。噂に違わぬ変わり者だ。
 全員が納得し、真利男の威勢に圧されつつあったその時。
 一つの呆けた声が、騒々しい空間を一瞬にして、引き裂いた。
「ああ、こんなところにいたんだ」
 ぎょっとして、というより拍子抜けして、全員が声のした方へ振り返る。
 そこに立っていたのは、白衣を身に纏った壮年の男だった。
「周りの人困っちゃうでしょう? 早く行きますよ?」
「だ、誰だお前は! 知らないぞ!」
 明らかな動揺を見せる真利男。それに気づかぬふりをして、白衣の男は渡辺に歩み寄り深々と頭を
下げた。
「ごめんなさいねぇ。私、精神病院の者なのですが……うちの患者がご迷惑をお掛け致しました」
「精神病院? 虚言壁なのか、この真利男とかいう男…………?」
「精神病院……何のことだ。ふざけるのも大概にしろ!」
 困惑しつつ目を移す渡辺に、真利男は激しくかぶりを振った。
 と、ここで背後から自動ドアの微かな作動音が聞こえてくる。振り返ると、そこから騒ぎを聞き
つけたのか、一人の女性が顔を出していた。店の前に置いてあるサインポールから、床屋の店主だ
ろうかと渡辺は推測した。
「あ、この人見たことある」
 間の抜けた声で言ったのを皮切りに、彼女は目の前の警察に事情を説明する。
「わたしこの辺りで美容師やってる鈴木と言うんですけど、何故かスキンヘッドで有名になったせ
いで、入院前の患者を担当することも多くって。たしかこの人、わたしが一度担当した覚えがあり
ます」
「ああ、鈴木さんでしたか。その節はお世話になっております」
 店主の姿に気づいた医者が軽く会釈する。
「赤塚さんは当院に十年前からいました。実は三年前に逃がしてしまいまして」
「逃がしただぁ? 随分と人騒がせな医者だな。さっさと回収してくれ」
「はい、ただいま」
 そこから長く時間を要さなかった。赤塚は何の抵抗もせず医者に捉えられ、二度と逃げられない
よう手をきつく縛られていた。思わぬハプニングでまた論点がずれた──UNOを始めとする野次
馬達はそう思った。一つの些細な騒動が幕を下ろしたが、未だに本題は解決の糸口を掴めずにいた。
と、その時だった。渡辺の元へ一つの影が駆け寄ってくる。赤佐だった。ネックレスとポンチョの
裾を揺らしながら「お待たせ」と手を大きく振っていた。
「おお、助手。待ちかねたぞ。何か情報は掴めたのかね?」
「さっき思い出したよ。コイツ、幼少期の友人だったんだ」
 そう打ち明け、甲冑の男を指差した。
「彼、途中で引っ越してきたものでね。ただ暴力が酷くて中退したんだよ」
「ほう……だがその友人とやらが何故マンホールの中にいるのだろうか?」
 顎を弄り始める渡辺に、ジョージは「そういえば」と話を切り出す。
「ワタシ昔、何者かにマンホールに連れ込まれた気がするヨ。髪型をスキンヘッドにされて鎧を着
させられたんだ」
「おい! それは一大事な情報じゃないか! 何故もっと早く言わんのかね!」
「ソーリーソーリー。言うタイミング、判らなかったのヨ」
 悪びれも無く、ジョージは舌を出す。
「つまりマンホールに倒れてるコイツは、次に狙われた被害者だったってわけか。つまり、目撃者
四人は犯人じゃないってことだな」
 渡辺はジョージ、はな、はなこ、UNOを順々に見る。
 ここで赤佐が人差し指を立て、仮説を提示する。
「誰かオリジナルがいて、西洋人を狙って引きずり込んだんじゃないか? それで同じ姿にさせられ
ているとか」
「なるほど。それに……仮に真利男が本当のマンホールの主だったとしたら、精神病院の患者が関与
している可能性があるな。あとは年齢も重要だろうな」
「そういえば私、まりおさんと同じ精神病院にお世話になりましたよ」
「だからそういう情報はもっと早くにだな……」
 大槻に愚痴を漏らしつつ、渡辺は懐からメモ帳を取り出し明らかになりつつある情報を纏め始める。
渡辺の書き残した仮設及び情報は以下の通りだ。
・大槻:第一容疑者
・赤佐:鎧を用意できるのはこいつだけ 第二容疑者、共犯?
・精神病院の医者:精神病院の患者をわざと逃した? 第三容疑者
・小野塚:マンホールを熟知している。第四容疑者
 そしてもう一つ、念頭に置くべき問題が残っている。
 この事件の根本的な問題であり、現場にいる誰もが見失いつつあったこと。
 甲冑の男の正体とは、一体何なのか。
 全てが謎に包まれている。きっと、本人もこう思ってることだろう。
 ──
 私って誰?


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