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家族会議の家族会議 佐藤慎之介 仕事を終えた私が自宅に帰ると、一人の男が玄関の前で待ち構えていた。状況だけ見るとまるで事件が起こる前触れのように思えるかもしれないが、私は怯む事なく、腕を組んでその男を睨み付けた。それも当然。この目の前の、やや不安そうにこちらを見てくる男の名は、鈴木まさる。私の勤める遊園地の運営会社の社長であり──私の父親だからである。 私は彼に冷たい視線を向けながら、声を投げつけた。 「珍しいね、こんなに早く帰ってくるなんて」 「な、なんか棘のある言い方だなあ、ひより」 「もしかして、仕事で何かトラブルとかあったのかなあ?」 「い、いや……早く帰ってくる事だってあるさ、父さんも。どんなに仕事が大変でもね。ははは……」 そう言って、お父さんは力なく笑った。その情けない顔に苛立ちの募った私は、無言でお父さんを押しのけ、そのまま家に入ろうとした。 「ま、まあまあ、待ちなさい。そんなに慌てて入らなくてもいいじゃないか、ひより。な?」 そんな私をお父さんは慌てて制する。私はそれを振り払って、再びお父さんを睨み付けた。 「慌ててるのはそっちでしょ」 「そ、そんな事ないんじゃないかな? うん、無いとはと思うけど……」 お父さんはそこでモゴモゴと言葉を窄めていく。私の苛立ちがまた強まっていき、それに合わせて口調も強くなっていった。 「……何? 言いたい事があるなら早く言ってよ。お母さん、多分もうご飯作って待ってるんだから」 何が言いたいかは分かるけどね、と心の中で私は毒付いた。あの先程の会議に出た者であれば、誰でも予想できる事だ。 「さっきの事だけど、その……ご、誤解なんだ」 やはりと言うべきか、お父さんはあの会議での一悶着を言い訳してきた。 「誤解……ねえ」 「そ、そう。誤解なんだ、誤解。父さんとルナちゃんとは何も無いんだ、本当に」 「ふうん……」 私の気の無い返事に危機感を抱いたのか、お父さんは焦った顔をした。 「だから、あのー、まだ、というか、母さんにはね、その、今日の会議の事は言わないようにしてほしくて……」 「はあ?」 怒りのあまり、思わず声が裏返ってしまった。私は拳を握り締めて、お父さんに掴み掛かろうとする自分を押さえつけた。 この男は、何を言っているんだ? わざわざ早く帰ってきて娘に言う事が、それなの? そんな事を言うために、こんなに急いで早く帰ってきたのか? 私の剣幕に圧されたのか、お父さんは慌てて言葉を続ける。 「い、いや、ほら、別にその、お父さんは彼女とは別に何も無かったわけでさ、でも、このままひよりが会議の事とかを母さんに話してしまうと、その、要らない争いが生まれちゃうというか、それはひよりも望まないだろう?」 「よく喋るね」 自分でも初めて聞いたような低い声が出た。それを聞いてお父さんの動きが止まる。 いけない、会議が終わって少し収まった怒りが再び燃え上がってきてしまった。このままでは、会議中にお父さんのお茶を机に叩きつけた時みたいに動きかねない。同じような要領で、お父さんの頭を扉に叩きつけてしまうかもしれない。流石にそれはまずい。 私は大袈裟に深呼吸をした。これは自分の気持ちを落ち着けるためだけでなく、目の前のお父さんにこれ以上何かを言わせないように静かにさせるためでもあった。 その試みはいくらか成功したようだ。私の怒りも少し収まったし、お父さんもグダグダと言い訳をしようとするのを止めた。これで先程よりはお互い冷静に話す事ができるだろう。 「……分かったよ。今日は黙っておくよ」 私は溜め息を吐いた。仕方がない、今回はお父さんのお願いを聞く事にしよう。 「……い、いいのかい?」 「私は、喋ってもいいんだよ?」 「すいませんありがとうございます」 私は再び溜め息を吐いた。なんで家に帰っても、会議の時に見た情けない父親の姿を見なくちゃならないんだろう。 「……別に、お父さんを許したわけじゃないよ」 「いや、その、父さんはな」 「そういうのいいから」 「……はい」 「正直、今日の会議では迷惑かけちゃったでしょ? 一応、新入社員なのに色々喋りすぎちゃって。それに、私から社長の娘だって隠しておいてってお願いしたのに、結局バレちゃったし……。そのお詫びじゃないけど、今日はお母さんに報告しないから」 「……いや、ひよりのせいで会議が混乱したわけじゃないよ。そう気を落とすな」 「……それは、そうかも」 私も会議では好き勝手に喋ってしまったが、それ以外の人達も好き勝手に騒いでいたような気がする。主に会社の人間が。せっかく大好きなデザイナーのNAOさんと仕事ができたのに、会社の恥部を見せつけてしまったかもしれない。私は今更ながら落ち込んだ。 「……そういえば、なんか、横領してる人いなかった?」 それと同時に、私は会議で一番の問題が起こっていた事を思い出した。 「……それはもう、今しっかりと調査をさせている。会議のわだかまり抜きで。横領がもしも本当だったら、大変な事だからな。きちんとやらないと……」 「横領は不倫よりヤバイもんね」 「…………そうだな」 「……というかさ、普通にさ、お父さんからちゃんと報告した方が良いよ。自首した方が罪は軽いんだから。お母さん、何となく気づいてるっぽいし」 「……本当に気づいてるのか?」 お父さんは、先程よりもずっと情けない表情で私を見た。今にも泣きそうだ。余裕が無いのか、不倫をしていないという体すら守れていない。そういう態度を取っておきながら、どうしてバレていないと思うのだろうか。 「お父さん分かりやすいんだから……隠せるわけないじゃん」 「……そうなのか……」 「お父さんが不倫してるって分かってるのに、それでも黙ってたんだよお母さん。だけど、いつまでも若いだけの女に入れ込んでるから腹に据えかねて、私に調べてくるように言ったの」 「…………」 お父さんは黙って、俯いた。そんなお父さんを見て、私はまた嘆息する。素直で無邪気なところはお父さんの美徳だが、こうも分かりやすいと心配になってしまう。ちゃんと社長としてやれているのだろうか。秘書のルナとかいう女や従兄の骨川さん、横領していた飯田さんなど、色々な人達に良いようにされていたのではないだろうか。新入社員だけど社長の分まで頑張らなくちゃいけないな、と私はこっそり決意した。 「……いつまで落ち込んでるの。早く家に入ろ。今日は見逃してあげるって言ってるんだからさ」 私はまだ俯いているお父さんに声を掛け、玄関の扉を開けようとした。 「……いや、言うよ」 「え?」 お父さんの突然の呟きに、私は動きを止めた。 「お父さん、自分で言う事にするよ。今日の会議の事」 「……本当に?」 「ああ、ここまで醜態を晒して、その上で最後も娘に任せるのは……流石にダメだろう」 「……そうだね。その方が良いよ」 私は微笑んだ。なんだかんだと言いながらも自分で決断し、責任を負おうとしているお父さんは偉いと思う。自分の蒔いた種とは言え、最終的には逃げない。ここもお父さんの長所だ。自分では気づいていないみたいだけど。 「でも、家族会議にはなっちゃいそうだね……」 そう言って、私はお父さんのように俯いた。 多分、お母さんはお父さんを許すだろう。怒ってはいるけど、これはまだお父さんへの気持ちがあるからだ。でも、確実に会議を開いて糾弾してくるだろう。そのために私に対してお父さんへの偵察を頼んできたのだ。自分が怒られるわけではないけれど、これから私の前でお父さんがめちゃくちゃ怒られると思ったら憂鬱になってしまう。 「……また会議か……胃が痛いな……」 「さっきの会議とは違ったストレスだね」 「そういう事言わないでくれよ……自分が悪いのは分かってるけどさ……」 「そうだね」 「つ、冷たいな……いや、父さんが悪いんだけど……」 いけない、また声のトーンが落ちてしまったみたいだ。お父さんを意図せず怖がらせてしまったのは申し訳ないが、娘の言動にいちいち必要以上に傷つくのもどうかと思う。 「だ、だけど、アレだぞ? 別にお父さん、本当にルナちゃんとは──」 「ルナちゃん?」 「……権田さんとは何も無いんだ。その、変な事は。色々買ってあげたりはしたけど……」 「それくらい分かってるよ」 「え?」 「そんな度胸無いでしょ、お父さんには」 お父さんは臆病な性格で、周りの人達に何かと気を遣ってしまう性質だ。そんなお父さんがお母さんの事を何も考えないで一線を越えてしまうとは考えにくい。大方、あの女に口八丁で騙されて色々と便宜を図ったりしたのだろう。その証拠に、例の会議中、お父さんは何度も「ルナちゃんルナちゃん」と馴れ馴れしく呼んでいたものの、あの女に触れる事は一度も無かった。ちょっと触る事だって、していなかったはずだ。その光景を見て、子どもがいるのに童貞みたいだな、と私はどうでもいい感想を抱いていた。 「そ、そうか……それは分かってくれるんだな!」 「でも、だから許されるってわけじゃないよ? 色々貢いだりしてたんでしょ? お父さん、一応社長なんだしさ、スキャンダルみたいなもんじゃん。ダメでしょ。お父さんの代で、遊園地、潰す気なの?」 「そんなわけないだろう! 父さんは創業者──お前のおじいちゃんに言われたんだ。いいか、まさる。遊園地とはな──」 「分かった分かった。分かったから」 私はお父さんの熱弁を事前に制した。お父さんの話すおじいちゃんの話は、いやに長い。そんなものを聞いていたら、いつ家に入れるか分かったものじゃない。 「それが分かってるなら、こんな事しないでよ。お母さんだって、家族にじゃなくて、知らねえ女にお金を使ってるから怒ってるみたいなところもあるんだよ?」 「……ひより、権田さんの事になると、なんか口悪くなるなあ」 「それはそうでしょ」 大切なお父さんを誑かした女に、どうして優しくできるというのか。 「……もう、私はお父さんとこんな話したくないの。遊園地を守るために入社したんだから、遊園地の話をもっとしたいんだよ」 「す、すまん……」 「だから、さっさとお母さんに怒られて、この話は終わりにしよう。あの女もクビにしてさ」 「そ、それは流石に! いくら社長とは言え、そこまで強い人事権は無いぞ?」 「……この後に及んで……?」 「ち、違う! 違う違う! 誤解だ、誤解! そんなワンマンな人事をしたら逆に評判が下がってしまうって事だ! 大丈夫だ、流石に秘書としてはクビにするから。本当だ!」 「……信じるよ?」 「任せてくれ!」 お父さんは胸を張って堂々と言った。自分のせいでこうなっていると思うのだが、どうしてこんなに胸を張って宣言できるのだろう。やっぱりお父さんは変なところで無邪気だなあ、と私は思わず微笑んでしまった。 「分かったよ……お父さんはそこまで言うなら信じるから。早く家に入ろう? 今日確かハンバーグだったと思うし」 「そ、そうか……それじゃあ、冷めないうちに早く帰らないとな」 お父さんは大きく、大きく息を吸い込んだ。その息を吐き終わった瞬間に、音を立てながら玄関の扉を開いた。私はそれに続いて家に入り、後ろ手に扉を閉めた。 こうして、家族会議のための家族会議は終わった。 そして今、家族会議が始まろうとしている。 おわり 〈4521字〉
@NihonUniversity College of Art