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長谷川花歩
「愛は禍の元」 戸田実佳 友人の結婚式場で会った乾井と話し、そこで初めてぴーちゃんが来ていないことを知った。私は、島を出て行ったことに怒っているから会いに来てくれないのだろうかと思った。ぴーちゃんの幼馴染である粕谷やぴーちゃんの母親にも話を聞いた。そこでやっとぴーちゃんが失踪したことを知った。ぴーちゃんは高校卒業後は一人暮らしをしていたらしい。島を出てからめっきり連絡を取らなくなっていたので何も知らなかった。私のゼミ担任である楠村教授と落ちあい事情を話し、ぴーちゃん探しを手伝ってもらうことになった。ぴーちゃんの部屋は物が少なく、高校時代実家の部屋にあれだけ貼ってあった私との写真が一枚も見つからなかった。まるで計画的な家出のように思えた。ぴーちゃんの母親が昨晩までは家にいたと言ったので、ぴーちゃんは昨晩から今朝の間に失踪したという事だった。島時代唯一無二の親友であったぴーちゃんが失踪しても私は不思議と悲しくなかった。生活感のない部屋を見て、きっと本州に逃げたのだろうと思ったからかもしれない。乾井と粕谷にもう一度話を聞くと、最近は体調が悪そうだったこと、近頃海の方に出かけていたことを聞いた。別行動していた楠村教授曰く、粕谷はぴーちゃんの婚約者だったらしい。わざわざ隠していたなんて信用できない人間だと思った。駐在にも話を聞いた。ぴーちゃんが神社の奥の崖にいた気がすると言った。なんだか怪しく、はぐらかされた。警官の癖に信用に足る人間ではなさそうだと思った。近くにいた海外の人らしい漁師も知らない、分からない一点張りだった。乾井がぴーちゃんのストーカーだから気をつけろと言われたが、そんなことはとうの昔に知っていた。知っているけれど避けられない。それが島という超村社会の構造だ。隠し事だって一日もあれば島中に伝わっている。久々に島という気持ちの悪いじとじととした人間関係を思い出して嫌な気持ちになった。 島にはメインの港があって、港付近が一番栄えている。山の頂上にあるのがぴーちゃんの実家の飛鳥井神社。神社の裏は崖になっていて、メインの港の丁度裏にあたる。険しい岩ばかりの裏の港はぼろくなった船やらが岩に乗り上げていた。怪我や事故が多いから近づくなと散々言われてきたので踏み込むのに勇気が要ったが、マッチョおじ楠村ティーチャーがずんずん進むので私も後ろをついて手がかりがないか探した。楠村教授がキーホルダーを見つけた。それはぴーちゃんと私が修学旅行で買ったお揃いのものだった。急に、ぴーちゃんは逃亡ではなく死んでしまったのではないかという考えが浮かんで変な汗が出てきた。実家へ帰る途中に港に戻ると駐在と何も知らないという海外の漁師が話していた。何やら宗教の話をしているのが聞こえた。みんな怪しく思えてくると話し、楠村教授と私は実家に戻った。久々に母の夕食を食べた。母にぴーちゃん失踪事件について話すもそこまで興味はないらしかった。それもそうだ。なんでも気にする性格だったらこんな閉鎖的な島で移住者は生きていけない。そんな乾いた母の態度を懐かしく思った。明日は島の隅々まで行ってみたいと教授が言うので、島内を案内することにして眠った。 次の日、朝のまだ暗い頃に母の声に起こされた。 「実佳!小春ちゃんが!」 母が子機を片手に私の部屋のドアを開けた。母がほとんど叫んでそう言ったので、楠村教授も起きてきた。ぴーちゃんが見つかったと連絡があったらしい。言われた通りに島の麓から神社に続く遊歩道のうちの一つに行くとぴーちゃんの父親と母親、粕谷、駐在が来ていた。島の静けさを保ったまま、波の音だけが聞こえていた。 「ぴ、小春は。」 皆の視線がブルーシートに集まるのが分かった。私は信じられなくて、信じたくなくて立ち尽くすことしかできなかった。すると楠村教授がすっと出てきた。 「確認しても?」 そう駐在に聞き、ブルーシートを翻した。生ごみが腐ったような匂いがした。小春は、死んでいた。土気色の額と左頬が見えて、そこで私は目を逸らしてしまった。教授が小春の遺体を見て、 「どうやら絞殺みたいだね」 と言った。私はその言葉に反応して小春の遺体を見てしまった。ぴーちゃんだったものは土気色に変色し、顔がむくんでいた。首に何かが巻き付けられたような痕があった。暗かったはずの空がいつのまにか明るくなり、小春の肌の土気色もブルーシートの青も正しく目に入ってきた。 「いや、でも抵抗した痕跡がないね。少し動かしても?」 駐在が戸惑っていると、小春の母が答えた。 「ええ。」 教授が小春の肩をもちあげてうつ伏せにした。後頭部が赤黒く、ヘアスプレーをした時のように固まっていた。赤黒いものが血と泥であると気づくのに時間がかかった。 「どうやら後頭部を強打したことで意識を失う、または死亡した後に何者かによって絞殺されたようですね。」 「っはあっ、はあっ、小春は?!」 息を切らして乾井がやってきた。そして私達と小春の間に割り込むようにして小春を見た。 「みっ、見ないであげてください!」 乾井は小春の遺体に覆いかぶさるようにして小春を隠した。少し泣いているような声だった。生ごみが腐ったような匂いも気にせずそんなことができるのかと少し感心してしまった。私達は乾井の人道的な反応によってそれ以上小春の遺体について調べることはできなかった。第一発見者は粕谷であったと警官から聞いた。その日の午後には警官と仲が良かったヴァルターさんの船に遺体を乗せ、小春の両親、粕谷、乾井、警官、楠村教授、私はフェリーに乗って本州へ行き、ごく少人数での葬式を行った。今朝までは重さを持った物体であったが、夕方にはただの白い骨になった。小春の母親である咲葵と乾井が泣いていて、粕谷は咲葵さんの背中をさすりながら少し涙ぐんでいた。警官が帽子を目深にかぶりなおすのを見て、そういえば何故駐在がここまでついてきているのだろうかと思った。私は終始無反応に見えたと思う。実際、小春の死体を見た時は衝撃が強すぎて、何も感じられなかった。しばらくしてやっと小春が死んでしまったこと、殺されてしまったことの悲しさや悔しさ、無念さが生じた。私は犯人を絶対に見つけてやると誓った。 この件は無論、箝口令が敷かれた。ぴーちゃんは本州に逃げており、元気に暮らしている、今日本州へ行ったのはぴーちゃんに会うためだったと島の人々には伝えるということになった。そのために犯人探しも一切行わないという事になった。 私達はお葬式から帰って、喪服を脱ぎ、小春の実家である神社に向かっていた。 「呼び出しに応じてくれてありがとうございます。どうぞあがってください。」 社務所に通された。あなた、と奥に声をかけ、少しすると小春の父親が冷えた麦茶を三つ運んできた。そして咲葵、教授、私の順にグラスを置いてさがってしまった。咲葵さんの発言を要約するとこういう事だった。立場上動けば目立つため、犯人探しはできないが、小春を殺した犯人を許すことはできない。だから代わりに教授と私に犯人を探してほしい。 「やります!」 それがぴーちゃんへの罪滅ぼしになるなら。教授も快諾した。教授曰く小春の体は弛緩し始めていたらしい。死後硬直が弛緩し始めるのが約四十八時間であるため、おそらく小春は松風夫婦の結婚式前日の夜から朝の間に殺害されたのだろうと言った。私達はまず二日前の夜のアリバイについて咲葵さんに尋ねた。 「乾井さんが小春のストーカーをしているって聞いて、夕飯のおすそわけにいったついでに、夜外出するのはやめなさいって言ったんです。その後は神社に戻って寝ました。」 小春の父親である魚太郎さんにも聞いたが、普段通りお祈りを捧げていたと答えただけだった。二人にとっては小春が唯一の跡継ぎであったのだし、容疑者にはなり得ないと思った。 長年小春のストーカーをしていた乾井が一番怪しいという話になり、乾井に連絡を取るもショックで人と会える状態ではないという返答だった。彼の取り乱した様子を思い出した。ストーカーがストーキングしている人を殺してしまう事件は聞いたことがあるけれど、自分で殺しておいてあんなに泣けるものなのだろうかという話になり、とりあえず乾井のことは後回ししようと話していたら連絡が来た。 「小春と駐在の不浄はよく小春の家でこそこそ会ってた。最近は夜になると小春が、港でどっから来たのかも知れない漁師と仲良さげに話していたよ。」 これを見た私達は駐在とヴァルターさんも小春と繋がりがあったことに驚いた。乾井のいう事が嘘かもしれないとは思ったが、二人に聞けばいい話だと割り切って港に向かった。 交番に行くと不浄はパトロールの為に自転車に荷物を積んでいる途中だった。 「不浄さんってもしかして小春と、その、親密な仲、でしたか?」 不浄さんは一瞬ぎょっと驚いた様子を見せたがすぐにいつもの顔に戻ってこういった。 「誰からそんな嘘聞いたんですか?」 私が返答に困っていると、咄嗟に教授がこう言った。 「小春さんのお母様からです。」 すると狼狽えた様子でそうですかと言ってタバコに火をつけた。火をつけるのに手間取ってライターを何回もカチカチと鳴らした。ようやくついたタバコを口から離して煙を吐くと、顔の右側の火傷痕を搔いた。 「まあ嘘ではないです。」 「いつからですか?」 「小春ちゃんが高校卒業する前くらいからですね。戸田さんが本州の大学行くって小春ちゃんと喧嘩になった時ぐらいから。お互い分かり合えるところが多かったんで。」 ズキと胸の奥が痛んだ。 「戸田さんの代わりとして近くにいるようになって。独り暮らし始めてからストーキングされる頻度が高くなったって相談を受けたのでパトロールに小春ちゃんの家にも行くようになって。」 ぴーちゃんが年上マッチョ好きというのは知っていたけれどここまで上でもいいなんて思わなかった。 「最近喧嘩とかしました?」 「喧嘩なんて。でも最近会いに行ってもスマホをいじってばかりで、ちらっと画面を見たら『YOSHI』って人に『会いたい』とか『島を出て一緒に暮らしたい』とか送ってあるのが見えたんですよね。しかも最近ヴァルターさんとも仲良くしてたみたいですし。」 「恨んでました?」 教授が単刀直入に聞いた。 「恨むなんてそんな。元々そんなちゃんとしたものでもなかったですし。小春ちゃんもそろそろ粕谷と結婚させられるんだって言ってましたし。」 ヴァルターさんと小春が仲良くしていたことは事実らしかった。 ヴァルターさんは近くで釣りをしていのたが見えたので話を聞きに行った。すると小春についてこんなことを言った。 「あの人は、フィッシングボート借りたかった。他に、話さない、約束した。」 「つまり本州まで乗せてほしいって言ってたってことですか?」 「んー、そう。あ、と、ちょっと前に男二人に殴られて、あの人のこと、聞かれた。」 ヴァルターさんはそう言ってティーシャツをまくり上げて青あざを見せた。かなりひどくやられたらしかった。 「つまり小春さんはその『YOSHI』という人に会うためにヴァルターさんの船で本州に行こうとしていたという事ですかね?」 「そう、みたいですね。小春の逃亡計画を吐かせるために殴った二人組は小春に動かれると困る、ということだったんですかね。」 「そうですね。小春さんの周りにいた男性は乾井さんと粕谷さん、あと駐在さんでしょうか。粕谷さんは第一発見者でしたね。話を聞きに行ってみましょうか。」 「そうですね。小春の許嫁だったみたいですし、どういう状況で発見したのか、聞いてみましょう。」 粕谷に連絡を取り夕方に会った。 「小春さんを見つけたのは早朝だったと聞いたけれど、なぜあの遊歩道にいたのかな?」 「咲葵さんが心配していたので、小春を探していたんです。あの遊歩道は小春の家にも続いているので、もし本当に逃亡したならなにか痕跡があるかもしれないと思って。」 「逃亡って、小春が本州に逃げようとしていたこと、知ってたの?」 一瞬、粕谷が焦ったような顔をした。 「知ってたっていうか、人伝に。噂程度と思っていたよ。」 「そう。」 噂話が好きなのは乾井だ。 「そうしたら遊歩道の真ん中に倒れていて。いや、倒れると言うよりかは置かれているという感じでした。」 「早朝から、逃亡すると知っていた女性の痕跡を探すなんて、不思議な人ですねえ。なんだか後朝の別れをしてきましたと言われた方がまだしっくりくる時間帯でしたよね。」 粕谷は答えない。 「許嫁が亡くなったのにあまり落ち込んでいませんね。」 「悲しいですよ。でも許嫁っていうのは別に、その、あちらも嫌だったと思いますよ。」 「そうですか。私的には飛鳥井咲葵さんが容疑者なのではないかと考えているんです。粕谷さんは、」 「絶対に!咲葵さんではありません!」 急に大声でそういうので驚いた。 「といいますと?」 教授の口の端がわずかに上がっていた。 「大体咲葵さんな訳ないでしょう、あんな慈悲深い人がそんなことするわけないだろう!全部あいつが悪いんだよ、俺は何も知らないんだよ!俺はただ咲葵さんの役に立ちたかっただけで!」 「あいつって誰?まさか乾井?」 「そうだよ。あいつが漁師のおっさんの船で小春が本州に逃げるって言うから、俺は!」 他にも聞きたいことはたくさんあったが、ヴァルターさんを殴ったのが粕谷と乾井であるということは確定した。乾井が電話に出ないので、乾井の家がやっている八百屋へ直接行くことにした。 店先には店じまいをしている乾井の両親がいた。 「乾井くんっていますか?」 「あら、戸田さんのところの!うちの子なら上の部屋にいると思うけど。」 「お邪魔します!」 急いで階段を上ろうとすると、ちょうど乾井がボストンバッグを持って階段を降りようとしていた。私達の顔を見るや否や逃げようとしたので、教授が乾井を捕まえて羽交い絞めにした。乾井の細い体ではいくら年齢差があろうと敵わないらしかった。教授が、場所を移そうと言うので、戦意消失した乾井もおとなしく従った。私は乾井が持っていたボストンバッグを持って八百屋を後にした。海辺まで歩くと、乾井がおもむろに口を開いた。 「俺は、悪くないんだ。」 「どうしてだい?」 「俺は、小春を愛しているのに。小春が俺を捨ててこの島から出ていこうとするから。この島にいてさえくれれば、浮気も許してあげられるのに。」 私の体は怒りで震えていた、口も開けないほどに。 「君と小春さんは交際していたのですか?」 「してないよ。してないんだよ。ずっと小春は気味悪がってたし、嫌ってたよ。ずっと付け回して、それで小春があんたのことを好きにでもなると思った?」 勢いよくボストンバックを投げつけた。中身が少し出た。赤黒い血が付いた水色のパーカーがあった。ああ、これが、これで小春は、ぴーちゃんは殺されたんだ。こんな馬鹿な男の妄想に付き合わされて。島の外を見ることなく、自由を感じることなく。 「粕谷のことが嫌いなんだから、俺と結婚すればよかったんだ。それなのに俺を振るから階段から落ちて頭なんてぶつけるんだ。」 「交際もしていないのに?やはり島独特の価値観があるのですね。」 教授は勉強になります、と笑った。教授はボストンバックから出かかっているパーカーを見て、こう続けた。 「では階段から落ちて気絶した小春さんをそのパーカーで絞め殺したと。」 「ああ、粕谷が咲葵さん、咲葵さんってうるさいから、粕谷と神社の間の遊歩道に置いた。自分だって同じようなもんなのに馬鹿にしやがって。」 「そうでしたか。愛していても殺してしまえば犯罪なのですよ?」 教授は面白いものを見たという目で乾井を見ていた。 「まあ、実佳さんの代わりに。」 と言って笑って、みぞおちに一発決めた。乾井は膝から崩れ落ち、えずいた。 私達は本州に帰るフェリーに乗っていた。あの一発のあと、証拠も含めて交番に届けた。飛鳥井神社に戻って咲葵さんに事の顛末を話し、小春にお酒と玉串をあげた。咲葵さんに崖で見つかった小春とお揃いのキーホルダーをもらった。もっていてほしい、と言われた。あの時一緒に外に連れ出していればよかったと思ったけれど、そう思ったところでぴーちゃんが帰ってくるわけではない。 小さくなっていく島を眺めていると、教授が口を開いた。 「これはその、とても言いづらいことなのですが、実佳さんの気持ちが少しでも軽くなればと思って、告白しますね。」 フェリーのエンジン音で聞こえづらかったので、教授の方に耳を寄せた。 「『YOSHI』は私です。」
@NihonUniversity College of Art