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「ままならない日々:久木高雅」 両親の目を盗んで見た二人の幼子の姿は今もなお、目に焼き付いている。 馴染みのコインランドリーで衣服がゴウンゴウンと回る様をぼぉっと眺めていた。嫌に蒸し暑い夏の外気が、扉が開閉する度に入り込んでくる。 「くそあちぃ……」 クーラーに慣れた体は僅かな温風だけで暑さを感じさせる。思わず口から漏れた言葉に、居候の萩谷まつりが苦笑いを浮かべていた。 「すみません、あの、やり方がわからなくて……」 「お姉さんコインランドリーの利用初めてですか?」 先程から見知らぬ女が一人、洗濯機の前で右往左往していると思えば使い方が分からなかったらしい。使い方の書かれた紙も理解できないようで、付き合ってやる気も起きない。まつりは動かないオレの代わりに丁寧に操作を教えてやっていた。 世間話を進める傍ら人のことを彼氏だなんだと紹介するまつりに否定の言葉を返していれば、女はコンビニに用向きがあるようで洗濯物をこちらに任せて出て行った。 暫くしてまた一人、ランドリーに入ってくる。フードで顔を隠したその相手はどこか挙動不審でまつりも注意を向けていた。 「ちょっとヤニ吸ってくる」 「え、置いてかないでよ」 「ジュースぐらいは奢ってやるぜ」 「外のやつ飲みたい、奢って」 不審者に聞かせるように大きな声で言ってやりながら、室外へと出る。むわっとした熱気に眉を顰めながらメビウスに火を着けた。カシャンとリッドが閉まる音が響き、口から煙を吐き出す。横目でまつりを見れば、中で起こっている物事を携帯で撮影しているようだった。しばらくして不審者はオレの横を通り抜けて夜闇に紛れて消え失せる。 ――ろくでもねぇモン見た。 詳細は不明、けれどもあの女の洗濯機の前に立っていたのであれば、何かしらの細工をしたのか。なんにせよ不用心に近づかない方が良かった。 暑さに辟易としながら室内に戻って暫くすると、件の女も戻ってくる。 「なんか変なにおいしませんか?」 鼻をすんと鳴らす。ヤニを吸ったばかりのオレにはよくわからなかった。本当かは知らないが、まつりは鼻が詰まっているらしい。女が最終的に指差したのは女自身の洗濯物が入った洗濯機。開けたくない云々言い出した女に対して、確認したくないのはこちらも同じことであった。目に見える地雷を踏みに行く馬鹿ではないのだ。どんな危険があるかもわからないのに不用心に開けるわけにもいかなかった。ここの監視カメラは故障中で、女自身は不審者の存在を知らない。ならば真っ先に疑われるのはオレとまつりである。洗濯機に指紋を残すなど馬鹿極まりない行動できるはずがなかった。 にも関わらず、バカまつりはすんなりとそれを開けるのだからたまらない。 「うわっ! ネズミが入ってるよ」 まつりの背後から洗濯機を覗けば、毛が抜けて裸になったネズミの死体が入っていた。女の高級そうな服には動物の毛が付着しており、酷い有様である。 「あなたたちじゃないんですか!?」 ほらこうなった。頭を抱えたくなる内心に蓋をして、努めて冷静に警察を呼ぶ選択を提示する。身の無い言い合いで時間を消費するのはごめんだった。女が友人に連絡を取っている間に、こちらも近場の交番に連絡をすれば五分ほどで到着するとの話だった。電話を切ってすぐ来るとまつりに告げれば、安堵から表情がほころんだ。当事者意識の低い女の会話にイラつきを隠せず、警察を待つことを口実に外へ出る。感情を抑えるようにまたヤニに火を着けて目を閉じていた。 やがて大学生ぐらいの男女が汗をかきながらコインランドリーの中へと入っていく。どうやら女の言うところ友人らしい。中から響く声にまつりが随分とイラついていることを感じ取っていれば、アヒルが二人、自転車でこちらに来ていた。女の警官はどうやらバーテンダーとして働いている店の常連らしいが、人に興味が無い故か記憶になかった。こんなチンケな事件に二人も付いたのは新人研修らしい。 状況整理のために一連の流れをまつりが解説している中で、先の不審者の話が出た。恐らく女だろうとは思うが、服装から判断はできない。更に言えばまつりはこの場に犯人が居た時のことを考えてか、先程録っていた映像を提出していなかった。ちらりとまつりを見れば、視線の先には若い男の警官がいる。オレは初対面だがどうやらまつりは違うらしい。 「元から居たお二人は何か見ていないんですか?」 「見てねぇ」 アヒルの言葉に即座に返せば訝しむような視線が集まる。うっとおしいその視線もまつりに向かないのであればなんだってよかった。疑いたいなら好きなだけオレを疑えばいい。 素敵な友達、大親友と言葉を連ねながら二人を紹介する女を冷めた目で見る。嫌な女だ。反吐が出るほどに。 「あー……カミングアウトっていうか、なんていうか……。お前、中学とか高校の時とか、ずっと男と遊んでたじゃねぇか。それが関係してんじゃねーの?」 女に疑惑の目を向ける親友と呼ばれていた男。少なくとも女に友好的な態度ではない。男の話から推測すると、先の不審者は女に対して恨みを持った何者かである可能性が高い。それも、女がこの時間にコインランドリーを利用することを知っていた人物に限られてくる。完全なプライベートの話を話せる間柄となると候補は極端に狭まるだろう。 先に不審者の存在をまつりが仄めかしたものの、映像を出さなければでっち上げだと思われるだけで議論は進展しない。積極的に口を開き、視線を自らに集中させる。アヒルから飛んでくる嫌な目線鼻で嗤った。そうだ、そのままオレを存分に怪しめばいい。 オレは視線の先で起こる痴話喧嘩を冷めた目で観察していた。少し見ていない間に女は最早誰も信用できなくなったのか、自らが呼び出した男女に対して疑念を抱き始めている。ころころと疑いの矛先を変えれば変えるほど、この場で味方をしてくれる人間が減ることを理解していないらしい。 矛先が逸れたことで蚊帳の外に近くなった。視線はすっかり三人の痴話喧嘩に向いている。現状、このままフェードアウトすることは容疑者になった時点で不可能である。ならば女にこの場の主導権を渡すわけにはいかない。 「帰っていいか?」 「いや、ダメだろ」 全ての会話を中断させるために発した言葉は存外室内に響き渡った。誰かから否定の言葉が出るも、それを無視して口を開く。 「こっちには未成年がいんだ。アヒルの二人もなんも言わねぇしよぉ。そろそろ帰してくれてもよくねぇか?」 「いや、違います」 否定と共にまつりから横腹を殴られる。どうやら未成年であることは言われたくなかったらしい。未成年という自らを守るための盾など使ったもん勝ちである。まつりを居づらそうな現場から離すためなのだから、その程度は飲み込んでほしかった。 けれどもまつりが焦っていた理由は次の新人警官の言葉で発覚する。 「あの、先輩ちょっと覚えがあるんですけど。路上喫煙で前補導したのを覚えてて……薄々さっきから見覚えがあるなぁと思ってたんですけど」 「違います」 成る程、新人警官を警戒していたのはこれかと納得する。チェーンスモーカーであるオレは減るのが早いから気が付いていなかったが、何本かくすねられていたようである。喫煙で補導されたのであれば補導表に記入されていると考えた方がいいだろう。舌打ちが零れそうになる。 「そもそも今、未成年が煙草買えねぇんだからよ。」 「久木さんがあげたのでは?」 「なんでただでさえ減りが早いのにオレのヤニやらなきゃいけねぇんだよ」 「不良だったらやる可能性あるじゃないですか!」 ――クソが。しゃしゃり出てくるんじゃねぇこのアマ! 女はどうしてもまつりに容疑を着せたいらしく、論理性の無い推論をまくしたてる。内心で罵倒を連ねながら、この話題をどう切り抜けるかに頭を回した。 「でも本当にこの人のことどうでもいいので」 喫煙をしたというアヒルの発言から犯罪くらい犯すだろうという考えに至ること自体が安直すぎるし、理論的ではない。そもそもアヒルは覚えがあると言っただけで、実際に補導表を見なければまつりの喫煙云々は確定した情報として扱えない。推定無罪なのである。だからそれを持ち出した所で疑念の一助にはなるかもしれないが議論に進展はないのだ。 「ちょっとなんか必死になっちゃって」 「どの口でお前言ってんだ」 女が笑う。気持ち悪い。気持ち悪い。目の前から失せろ。焦りを指摘され、女に対する殺意が沸く。ギッと睨みつけるも、女は気色悪い笑みを浮かべるばかりだ。 このままだと平行線のままだとまつりは気が付いたのか、結局撮影した映像をアヒルに提出した。映像のネイルと親友だという女のネイルが合致しているとまつりは分析して述べる。 そこから親友の女が自白を始めた。彼氏である男が、女に対して恋情を抱いているのではないかと誤解していたことが発覚する。彼氏の男は女の彼氏の一人から身辺調査を頼まれていたらしい。女の恋愛に関する奔放さが一連の出来事の原因だったのだ。 付き合ってられるかとヤニを吸いに外に出る。苛立ちを煙と共に排出した。空に立ち上る白煙をぼぉっと眺めながら、何故あんなに焦っていたのかと自問自答をする。確証は持てない。だが、恐らくは ――守りたかったんだろうなぁ……。 かつて見た弟妹と同じように、まつりは守るべき存在だと認識していたらしい。本気で守らなければならない存在だからこそ、焦りもするし、口も回りにくくなる。不良時代の口のうまさはどこに行ったのか。情けなさで涙が出そうだ。 事件は一件落着。しつこく絡んでくる女を袖にしながら、まつりと共に帰路につく。明日の朝食の話や、学校の話など他愛もない日常の話が普段よりも楽しかった。強く輝くオリオン座を背にオレはまつりが居なくなるその日まで、下手くそなりにこの笑顔を守り続けようと誓った。