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木村
萩谷まつり 微睡のさなか、潜水艦でバミューダトライアングルへ潜る夢を見た。ゴウン、ゴウンと唸るモーターの音に身を委ねていると、潜水艦は海面へ浮上し始めた。ああ、やっと、やっと陸へ帰れる。眩しい光にくらんだ眼をそっと開けばそこは深夜のコインランドリーで、十四キロの洗濯乾燥機が寝そべった机を震わし、ゴウン、ゴウンと回っている。あれっと思って見回したら、高雅はひとつ離れた椅子でスマホを触っていた。 伸びをして、唯一稼働している洗濯機の前に立ってみる。サイズも好みも違う二人分の服が揉みくちゃになって揺れているのが、なんとなく嬉しい。そんなことを思っていると、入口のドアが開いて、自分より少し年上、大学生だろうか。そのぐらいの女性が一人でコインランドリーに入ってきた。姫カットの女はコインランドリー内をぐるぐると周り、ひとつの洗濯機の前に立つと、一人で喋り始めた。 「えっ、これ、どうやって使うの。分かんない……」 こんな夜更けに若い女の子ひとりで来るなんて、大丈夫なんだろうか。しかも一人で喋るような人が。家の洗濯機を開けたらゴキブリかなんかでもいたのだろうか。想像しただけで恐怖と同情がこみ上げてくる。両手をばたつかせて慌てる姫カットの女にお困りですか、と声をかけ、コインの入れ方から乾燥機の時間選択まで懇切丁寧に教えた。すると姫カットは、 「諸々教えていただきありがとうございます! あの、私コンビニ行きたいので、洗濯物見ていてもらってもいいですか?」 と、頭を下げてコインランドリーを出て行った。姫カットがネットも使わず洗濯機に放り込んだのは、ほとんどがブランドものだった。服好きとしてはありえない。ていうか、素材から繊細なんだから手洗いしてほしい。危機管理能力のなさと価値観の違いに驚きと訝しさを突き付けられ、一周回って「はい! 行ってらっしゃい……」と返事をしてしまった。他人を巻き込むパワーのある、不思議な人だ。 「ちょっとヤニ吸ってくる」 高雅がポケットを探りながら席を立ったのを見て、慌てて後を追う。 「え、置いてかないでよ。夜だし流石に怖いって。私も行く」 「ジュースくらいは奢ってやるぜ」 そう言うわりには一瞥もくれない高雅に、外の自販機のナタデココのやつ! とニッとして笑うと、やれやれとでも言いたげな顔をされた。コインランドリーを出て蒸し暑い空気を浴びた瞬間、姫カットの鋭利なシルエットが脳を掠めたが、まあ、普段はこんな時間に来る人なんていないし、別に気にしなくても大丈夫だろう。 コインランドリーに戻って高雅とだべっていると、姫カットが戻ってきた。何をしに行ったかはたまた謎だったが、洗濯物を見てもらったお礼に、と彼女は十円ガムを手渡した。やべ、すいません、見てないです。など正直に言える訳もなく、有難くいただいた。高雅はと言えば、足を組んで我関せずの態度を貫き続けている。 「キャーーーッ、な、なにこれ、ちょっと、そこの人たち!」 姫カットの甲高い声が響く。何事かと振り向くと、洗濯機の扉を開けた状態でわなわなと震えていた。 「どうかしましたか⁉」 「こ、これ、中、見てください」 一瞬躊躇して高雅を見るが、俺が女モンの服なんか見るわけねえだろ、と一蹴された。えっ。思わずガムを飲み込んで咽る。観念して恐る恐る洗濯槽を覗き込んだ瞬間、熱を帯びた湿気と、鼻を刺すような異臭が立ちのぼった。 「うわ、なにこれ……」 服やタオルに薄灰色の毛の束が張り付いていた。毛足の長いニットに絡まった小さな手足が見えた。もはや原型を留めていない肉塊がふやけ、淡い内臓や白い繊維が糸のように伸びていた。よく見るとドラムの内壁には細長い尻尾のようなものも、血肉とともにへばりついている。 「生き物……?」 異変に気付いたのか高雅が近づいてくる。 「おい、どうした」 「あなたたちですね⁉ こんなことしたのは‼」 目を吊り上げて叫び、姫カットは誰かに電話し始めた。友達を呼ぶつもりのようだ。それを見て高雅もスマホを取り出した。いつも持ち歩いているジッポを左手で弄りながら110を押す。 「あー。はい。事件みたいで。どんぐらいで着きますかね」 最悪だ。本当に最悪だ。 しばらくして姫カットの友人二人と、警察官二人が到着した。よくよく見ると姫カット以外のペアはみんな男女でなんか合コンみたいだなあ。ああ、帰りたい。警察はベテランの婦警が佐々木、新米の男の方は二日市と名乗ったが、そんなのを覚えている余裕はない。ただ、婦警の方は高雅のバーの常連で、高雅とは知り合いらしかった。浮気か? と疑ったが、別に高雅とあたしは、事実上は恋人でもなんでもない。そも義理堅くてそこらへんちゃんとしてる高雅のことだから、他で恋人ができたらあたしとは一切の関わりを断つだろう。 姫カットがあたしと高雅を睨んでわめく中、ベテラン婦警が話を切り出し、各々がアリバイや自分の見解を述べた。そのときだった。 「でもお前、すぐ男に手出すから色んな恨み買ってんだろ」 カップルのうち彼氏の方、「てる君」と呼ばれている男が声を発した。 「はあ? てる君は私の自業自得だって言いたいわけ?」 どうやらこの女、浦原巫女は、大の男好きであるらしく、それゆえに女から疎まれることが多いのだという。てる君さんと浦原は幼馴染、てる君さんの彼女、「茉莉」と浦原も友人関係。何か起きたからってすぐに友達を呼ぶときの相場は地元のヤンキーとかな気がするが、てる君と茉莉はいたって普通の、良識と常識のある大学生カップルに見えた。 浦原と話しているのを見る限り、てる君は弁の立つ男だが言っていることは至極全うである。茉莉も、大人しそうだが言うべきことは言えるお姉さんという感じだ。あたしは、茉莉の手を飾るネイルがずっと気になっていた。そんな三人のやりとりを、婦警は時々聞き返しつつ、見極めるような眼差しで見つめている。その隣には、明らかに困ったような顔ではにかむ新米巡査が立っている。 あたしは警察二人が入ってきたときから、この新米となるべく目を合わせないよう、高雅の後ろに隠れていた。多分この人、こないだうっかりタバコ吸ってるときに見つかった、あのときのアイツだ。愛情込めて育てた娘に生活費も家賃も出し、まめに連絡や食料の仕送りさえしてくれる親が、高雅の家に転がり込み未成年喫煙をし奔放に暮らしているあたしを知ったらどう思うか。人間関係で色々とあった地元が嫌で家を出ただけで、家族のことは好きだ。できれば裏切りたくない。……最早、ばれるかどうかという話ではあるが。 「だから、あいつらがやったに決まってるんですって」 疲労も相まってぼーっとしていると、また自分たちに刃が向けられた。 「俺たちには動機がねえだろ。それに監視カメラが壊れてる以上、なんの証拠もない」 一同は天井の隅に設置されている監視カメラを見上げた。埃をかぶって汚れており、点検などされている気配もない。 「でもあの場にはあなたたちしかいなかったんだから‼ ってかこの人たち、見るからに怪しいじゃん。煙草くさいし、年齢いくつ離れてるのよ。犯罪じゃないの?」 「あ? お前今なんつった」 「あのう、すみません。お話中申し悪いんですけれども……。あなた、この間、僕と会ってますよね?」 高雅と浦原がやりあう中、こそっと、新米巡査があたしの顔を見て言った。 「えっ、いや、初対面だと思いますけど。」 高雅に助けを求めようとしたが、それどころじゃなさそうだ。 「うーん、そうですか。まあ確認しようがないですしね。でもあなただったと思うんだけどなあ」 なんだこいつ、怖い。穏やかそうな顔してるくせに、ずっとあたしのこと気にしてたんだ。話が長引いてこいつの疑惑が確信に変わったらどうなるか分からない。 「すみません、これを見てください。」 意を決して、あたしはさっき高雅と一緒にコインランドリーを離れた際に撮った動画を新米巡査に見せた。 「えっ、これって……。すみません、佐々木さん。これ確認してもらってもいいですか。」 高雅が煙草を吸うのに着いていったとき、コインランドリーに誰か入っていくのが見えた。何をしているかまでは見えなかったが、浦原の洗濯物もあったし、パーカーのフードを被っていかにも怪しかったから、動画を回していた。それを今まで隠していたのは……。 「このパーカーの人、体格からして女性だと思います。そして、この人の手を見てください。ネイルしてるんです、この人。」 あたしは恐る恐る、その場にいる全員を見回して、茉莉の手元を指さした。 「えっ、茉莉のネイル、この動画に映ってるのと一緒……」 「茉莉⁉ あんただったの⁉ なんでこんな……!」 茉莉の顔がみるみるうちに青ざめる。てるとお揃いの指輪を執拗に触りながら、茉莉は言った。 「てる君は、いつも巫女の話ばっかり! 昔はこうだったとか、私が知らない二人の話をするとき、すごく楽しそうで……。大学でもそう。巫女が、私の知らないてる君を知ってるのが許せなかった。このままじゃ、巫女なんかにてる君が盗られちゃう、そう思って……。」 茉莉は大粒の涙を流して泣いた。 事件の後、警察にお世話になって、茉莉はてる君と別れたと聞いた。洗濯機にネズミ突っ込めるサイコパスなんて、どんな復讐をされるか分からない、と思って動画の存在を隠していたが、茉莉の犯行だと露呈したことで、茉莉は抑圧していた感情を言葉にして吐き出すことができたのかもしれない。 誰かを想うあまりに、壊してしまう気持ち……。それがどんな形であれ、あの一件以降、あたしにはそれが他人事だとは思えなかった。あの日の帰り道、 「女って面倒くせえな。お前もそうなんのかよ、誰かに」 高雅がぼそっと呟いた。誰かにってなに。冗談めかして笑い飛ばしてしまったけれど、横顔では何を考えているのか分からなくて、胃の中に冷たいものが落ちた。 やっぱり好きなんだ、高雅のこと。煙草の匂いも、ぶっきらぼうな言葉も、その奥に隠れた優しさも。でも、茉莉の涙を思い出すたびに、口に出すことができない。夜風が通り抜け、街の明かりがぼやけて滲む。あの洗濯機の中みたいに、ぐちゃぐちゃになった気持ちが、回り続けている。