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【二日市 澄(警官A・須崎)の視点】 夜間の呼び出しはなにかとキツい。 こんな田舎では、事件らしい事件なんて、起こる方が珍しいというのに。ふと、一年と少し前に拾ったマグロのことを思い出してぞっとする。できることなら、もうあんな惨状には出くわしたくないものだった。 歩いていく先輩の背を追いながら、無意識に掌を揉んでしまう。唐突に、道を照らす懐中電灯の光が消えた。見上げると、どうやら件のコインランドリーに到着したらしい。 「あ、警察来たな」 重いガラスの扉を開けて中に入ると、中には五人の男女が立っていた。なにやら、険悪そうな雰囲気が漂っている。 「警察です。通報を受けて来たのですが、どうされましたか」 先輩が掲げる警察手帳を前に、慌ててポケットに手を突っ込む。もう二年目になるというのに、未だ細かい部分は不十分だった。 「洗濯機の中になんか……」 「洗濯機の中に、ネズミが入っていたんですよ!」 目つきの悪い男が言い終わる前に、被害者と思しき女が叫んだ。男は遮られたことで、不機嫌そうに舌打ちを漏らす。 「……こいつがさっきからヒステリックに喚き散らして、話にもなりゃしねえ」 男が呟くと、女はキッとそれを睨みつける。だが、彼は気にも留めていない様だった。愛煙家なのか、指先に挟むジッポーをしきりに弄んでいる。 「……あの。急に失礼だとは思うのですが、お会いしたことありませんか?」 「先輩?なに言って……」 突然下手なナンパのようなことを言い出した先輩に、僕は驚いてしまった。けれど、言われた男の方はいたって冷静だ。緊張感の走る空間に、彼の傍らに寄り添っている女の子が不安そうな表情を浮かべている。 「悪いが、覚えはねえな」 「ここらの近くにバーがあるでしょう。そこの……確か、久木さんでしたか」 その言葉に、名を呼ばれた男の肩が微かに揺れた。彼と目が合う。先輩と僕を交互に見たあと、久木さんは大きな溜息を吐き出した。 「……あー、常連の誰かっすかね。めんどくせえ……よりにもよってアヒルかよ」 「え、先輩もバーとか行くんですか」 「まあね」 小声での短い返事に、僕は内心あ然としてしまっていた。そりゃあ酒も飲むだろうが、こんないかにもな男がいるバーだとは思いも寄らなかった。なんというか、意外だ。 「……ごめんなさい、話が逸れました。通報してくださったのも貴方ですか?」 「ああ、そうだよ」 「違いますっ!いや、違わないんですけど。なんかこの人、さっきから怪しいんですよ」 話を被せてきたのは、さっきと同じ女だった。興奮しているのが伝わってくる。気味の悪い事件に巻き込まれたのには同情せざるを得ない。けれど正直、自分の周りには居て欲しくないタイプだと思ってしまった。まあ、仕事だから関わらざるを得ないのだが。 「落ち着いてください。とりあえず、状況を確認したいので、この場に居る皆さんのお話を伺ってもよろしいでしょうか」 先輩の鶴の一声に、殺伐とし始めていた現場の空気が少し和らぐ。それに乗じてか、久木さんにべったりとくっついていた彼女がおずおずと手を挙げた。 「私たち、この人が洗濯機の使い方が分からないって言うんで、教えてました」 「俺たちっていうか、萩谷がな」 「まあ……。それで途中、彼女がコンビニに行ったんです。私たちも外出たりしたんで細かいところはあれなんですが……変な人物がここへ入っていくところを見ました」 その言葉に、大学生らしき男が何かを思い出したかのように口を開く。 「そういえばここ、防犯カメラがありましたよね」 全く同じことを考えていた僕は、思わず、激しく頷いてしまった。だが、先輩の反応は思わしくなく、ただ首を横に振るだけだ。 「あれ、壊れているんです。このコインランドリーの持ち主が直していないようで」 「職務怠慢だろ」 久木さんが、忌々しげにそう吐き捨てる。 「……彼女、戻ってきたら変な臭いがするって言いだして。それで中を見たらって感じですね」 「そうですよ!警官さん、見てください!」 「確かに、実物を確認しないことには始まりませんね。二日市さん、頼めますか」 「了解です。えーと……」 言われるがまま、僕は現場確認の準備に取り掛かる。先輩は少なからず顔見知りがいるようだし、聞き込みには適しているだろう。ただ一点、問題として、仮にも女物の服なのだから、僕が見ることを彼女は嫌がるのではないかと思ったが。 「浦原です」 「浦原さん。確認させていただきますが、よろしいですか?」 「ええ、もちろんですっ!」 意外にも浦原さんはすんなりと洗濯機の前から退いた。よほどこの事態が気に食わないのだろう。あるいは、見た目に反して案外図太いのかもしれない。浦原、という名前に、少し覚えがあるのが気になったが。 洗濯物はまさぐるまでもなく、赤黒い肉片が飛び散っているのが見えた。辛うじて原形は留めているようで、ちぎれかかったネズミの頭やら胴体やらが所々に横たわっている。 「うわ」 思わず声が漏れ出てしまう。 「これは……かなり悪質ですね」 言ってから「しまった」と思ったが、遅かった。浦原さんはいよいよ暴走を始め、久木さんらを真っ向から糾弾し始める。疑われた彼らも不本意なのだろう。思いつく限りの可能性を浦原さんにぶつけて、まさに一触即発といった状態だ。 「ネズミが勝手に入っただの、自分で入れただの!そんなわけないでしょ、警官さん!」 「えっと……まあ、確かに。確認した限りではネズミが自分で侵入できるような穴はなかったですが……」 急にこっちに振られて、面食らってしまう。 「そもそも、この人さっきから態度悪すぎなんですよ!疑われても仕方ないじゃない」 「お前でも男関係だらしねえじゃん。今回もその内の一人にやられたんじゃね」 「照くんまでそんなこと言うの!?酷い!」 支離滅裂だったが、疑うのは理解できる。なぜなら、僕にはその理由があった。 「あの……こんな時にあれなんですが。この前路上喫煙の子を補導したじゃないですか」 萩谷という彼女の目が、分かりやすく泳いだのが分かった。 「そういえば、萩谷さんに似てるなあって……さっきから思っていたんですが」 「ああ、確かに」 先輩だけに聞こえるように話したつもりが、浦原さんにも聞こえていたらしい。そのせいで、彼女の決めつけに拍車がかかってしまった。浦原さんはこの場において被害者のはずだが、その言動に皆辟易しているのだろう。言い争いはやや劣勢となっている。 「……あのお、えっと、新米警官さん。路上喫煙はほんとやってないんですけど」 「はい」 ばつが悪そうにしながらも否定するその態度に思うところはあったが、努めて普通の声で応答する。すると、彼女は遠慮がちにスマホを差し出してきた。 「誰かが来た時の動画、持ってました。それでその……このネイル。あの人がしているのに似てる気がするんですが……」 こんな重要なものを持っていながらなぜすぐに出さなかったのか。理解に苦しむが、とりあえず先輩のところに持っていく。先輩はまだ彼らの仲裁に追われていた。 「先輩。これ、萩谷さんからです。フードを被ってますし見えづらいですが……ネイルがあの方と似ていると」 「……本当だ。すみません、お話を詳しく聞かせていただいても良いですか」 僕は久木さん以外の三人に動画を見せ、先輩は躊躇なく話を聞きにいった。思い返せば、浦原さんが親友だと豪語する割に、あまり庇うでもなかった彼女。一斉に注目が集まる。 彼女は最初こそ疑われたことに驚き、否定していた様子だった。けれど、動画に残るネイルに加え、ダメ押しで萩谷さんにペアリングのことを指摘されてからは早かった。 「言い逃れできないよ、茉莉!」 「……照くんは、本当のことを言っても、私を嫌わないでいてくれる?」 どうにも、出来の悪い昼ドラを見せられているようだ。要するに、男癖の悪い浦原さんに恋人が取られるのではないかと思い込んだゆえの犯行だったらしい。僕は先輩と顔を見合わせて、やれやれと溜息を吐くしかなかった。 事件は無事、解決に至った。だが、どうにも「浦原」という苗字が引っかかって仕方がない。なんとなく気になって、過去に自分の担当した事件、事故の記憶を呼び起こす。そういえばあの人身事故、僕が拾った遺体の男性の旧姓が浦原だったような。 「……まさかな」 騒がしいコインランドリーの中、僕は一人嫌な予感を、回る洗濯機の奥底へと投げ込んだ。透明のネズミは溶けこんで、今後一切、誰にも見つかることはない。