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歌川 喜旺 「カラスを殺した犯人は一体…? 」 得体も知れない不穏な感覚に、みなが掴まれたような気持ち悪さが部屋には漂っていた。窓の外には重くのしかかった雲が、今にもこの地上を押しつぶしてしまいそうであった。どんよりとした苦しい空気のせいか教室の中は息苦しい雰囲気であった。 「俺じゃないって? そんなよく分からい言い訳通じるとでも思っているの! 」 尾もぐるしい空気を切り裂くように大野横地がキンキンとした声で太田を刺した。正義感を持っているというよりも行き場のない気持ち悪さをぶつけるようなその声は太田の心を刺すのには十分であった。 「は…? だから俺じゃねえって! 」 ドンッと机をたたく鈍い音が教室に響いた。日ごろの一人称も崩壊した怒号に横地は体を強張らせた。隠した拳を握りしめて唇を強く間で立ち尽くす太田。しかし周囲の視線はいたって冷ややかであった。まるで勧善懲悪が成立したかのように皆が彼を見ていて、彼も周囲を悪とするように睨みつけていた。 「とりあえず授業始まっちゃうし、カラス片付けてもらってくるよ」 そう言って黒岩は部屋を足早に出て行った。 「でもカラスもかわいそうだよね、動物愛護の観点からも問題あるし」 たっぷりの皮肉を込めたのは菊綴。眼鏡の角度を直して覗き込むように塩澤の顔を見ていた。ニヤリとほくそ笑んだ口からはネズミのように前歯が少し見えている。 その間東堂はただ黙って死んだカラスを見つめていた。垂れた髪の毛でその表情は見えない。少しの猫背が悲壮感を醸し出している。非常にカワイソウな姿をしていた。 それから授業が終わるまではぎこちなくも終えることができた。もちろんカラスの死骸のことは大学で問題になった。事情を聴かれた時にみな太田への発言をするも太田の激しい抗議によって一応の犯人は不明ということになった。 「ヘイ、ユーいつまでしらばっくれるつもりナンダ? 」 授業後すぐに田中が太田の机に座り話しかけた。天気予報では今日は曇り後晴れの予報であったが少し雨が降っていた。授業前よりも湿度のました部屋でもう一度彼らは向き合う。次の授業がある人もそんなことは忘れて太田を囲んでいた。 「どんなに説明しようとしても正直無理があるよ」 ぽつりと白川が呟いた。斜め下を向いて目を合わせることが無くても誰を責めているかなんで自明であった。蛇に睨まれた蛙と言えば本来蛙は太田になるはずだが、太田は決して目を背けることなく彼女のことをキッと見つめていた。少しの沈黙の後に塩澤がため息交じりに「だから……」と言おうとすると大野が声を被せる。 「こんなにひどいことして、なんでずっと嘘つくの。東堂ちゃんに謝りなよ」 嫌悪を滲ませた目を向けて東堂の方にそっと触れると東堂を太田の目の前に連れ出した。東堂は怖がる様子もなく今となっては完全に太田に嫌悪感を抱いているようだった。「謝れ」声にならない雰囲気が東堂からにじみ出ていた。大野は時を焦るように塩澤を見つめ、菊綴は相変わらず前歯を少し見せるようにニヤついている。田中は太田の机を遠くに降りて彼の真後ろからまるで退路を塞ぐ番人のように立っていた。白川は未だに気まずそうに斜め下を向いている。しかし太田を視界の端に捉えて行動を観察していた。沈黙が流れる。誰も動く事は出来ない。誰の呼吸の音かもわからない時間がほんの少し。どんよりと低くて重い雲から雨水が漏れて地面に着くまでの間ほどの時間であった。誰が悪であるべきかが決まったようだ。 「……、ごめんなさい」 頭をほんの少し下げた太田が憤怒と憎悪の混じった声で謝罪した。体はピクピクと小刻みに揺れていた。この上ない恥じらいを感じたかのような顔で太田はそれ以上動かなくなった。周りにいた皆は少し驚いたように、しかし期待通りというように目を見開いた。 緊張が解けたように大野、菊綴、白川は東堂に駆け寄って彼女を慰めだした。「大丈夫だよ」とか「許さなくても良いんだよ」などと授業前には一言も言っていないような言葉がこの空間を包んでいた。東堂はすでに辛い顔をやめて太田への軽蔑をしていた。田中は少し間を置いて塩澤の方に手を置いた。「おつかれさん」と一文字一文字を大切にするように言って微笑んでいた。太田は謝ったとき前傾姿勢から動かずにただ小さく震えていた。そしてその空間を目を細くして微笑んでいた黒岩がいた。 黒岩は四限を遅刻したものの授業には出席して五限まで授業を受けて帰路にたった。もう外はすっかり暗くなっていて町は下校する学生も多くはなく閑散としていた。これから寒くなり始めるようで乾いた風は体を切るように横殴りに吹いていた。北門を通ろうとすると太田が行く手を止めた。 「ねえ、黒岩君でしょ。カラスを殺したの。」 その眼には憎悪や復讐の色は見えない。真実を求めるためなのかそれとも憔悴しきって感情が表に出てこないのか、どのみち太田は静かであった。 「どうしてそう思うの?」 黒岩は微笑みながら冷たい声で聴き返した。 「いつもはお茶らけてるのに、随分落ち着いてるんだな」 否定をしない黒岩を見て太田は失笑して両手を上着のポケットにしまった。それからキッと黒岩を睨んだ。ビュウという風に当てられて黒岩は身震いをした。そうしてやれやれというように両手を肩ほどに挙げた。 「別に君じゃなくてもよかったんだよ」 黒岩はきわめて優しい声で諭すように哀れな顔をした。 「君も授業前に行った通り東堂は皆から嫌われてたよ、課題を勝手に写すとか読んでないのに遊びに来るとか、話が長くてつまんなくてウザイとか、裏でそれぞれの悪口言うくせに八方美人してるとか、いらんな人からいろんな愚痴を聞いたよ。太田も聞いてるだろうし言っていただろうけど。僕も東堂のことは正直好きじゃなかった。でも今考えるとカラスの死骸を置かれるよりもずっとカワイイ話だよね。それでも君たち、僕たちのヘイトは東堂に溜まっていたじゃないか。だから試したんだよ。カラスを殺して教卓に置きっぱなしにしていたら、もしかしたら誰か東堂に嫌がらせをするんじゃないかって。」 ケラケラ笑いながら黒岩は悪意の一切ないまっすぐなめて塩澤を見た。 「だから誰でもよかったの。きっと君じゃなくても最初に一人で教室に入ったやつが犯行に及ぶだろうって。そしたら笑えるよね。皆自分が加害者になってたかもしれないのに一生懸命取り繕ってさ、太田のせいにすれば東堂はひどく傷つくだけですむしね。皆必死そうだったね。自分たちは絶対真犯人なんかじゃないのに動機は十分にあるから犯人にされたくない一心でさ。人間って哀れだよね、自分の保身のためなら誰だって陥れようとするんだよ。」 サイコパスみたいに目を見開いた黒岩はにっこりと笑っていた。街灯の光は薄くてうまく目が見えない。足と影の差が分からない。どこからが闇で何が実態なのか。人の心が光源であるならきっと人の闇は形を決められたように捉えられるだろう。それならどれだけ良かったことか、いや人の心が最初から暗闇ならせめて誰も信じなくて済んだのだろうか。