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翅紅
昼食を食べ終え、私はゼミのメンバーと教室に向かっていた。塗り直したリップがはみ出ていないかエレベーターの鏡で確かめる。先週末手に入れた好きなブランドの新色。青みを含んだ鮮やかな赤が、白い肌にパキッと映える。 間違いないな。似合っている。学食のパスタは安くて美味しいけれど、リップが縒れるから少し面倒だ。 「唯ちゃん〜、今日何するんだっけ」 「夏休み課題の合評じゃない?」 私はもう添削が終わったから、すっかり忘れていた。センスの無い作品を読むのは退屈だが、先生の添削は勉強になる。 エレベーターを降り、出席を通して席に向かう。その時何かが、私の席に乗せられているのに気付いた。途端に枯葉のような生ゴミのような異臭が鼻をつく。 「何これ」 それは死んだ烏だった。開いたままの眼は白く濁り、軽い羽が微かに空調の風に揺らされている。 「え」 何故、私の席に……? 「え、なんで?気持ち悪いんだけど」 平静を装って鼻で笑ってみせたが、部屋に反響した私の声は震えていた。言葉を返す者はいない。 「待って、触らないほうがいいよ。感染症とかあるかもしれないし、もしかしたら呪いかも」 急に口を挟んだのは菊綴さんだ。こんな時に限ってわざわざ面倒なことを言ってくる。すると今度は後ろの席で太田が立ち上がった。 「俺、教務課呼んでくるわ」 「いや、こんなものがゼミの教室に置いてあったら内申に響くかもしれないよ。動物を殺すのは犯罪だし」 菊綴さんに反対され、太田は立ち止まる。私は集まった人の真ん中で何もできないでいた。まるで晒し者にされるみたいに、私と死骸に視線が向けられる。 「……羽が傷んでいるってことは、誰かに殺された可能性が高そうだね」 今度は大野さんが歩み出て言った。この人は頭が良いから、なんとかこの状況を打開してくれるだろう。しかし、私の席に置かれている意味は何があろうと理解できない。 「なんで私の席なの?」 「真ん中の席だからじゃない?」 「でもゼミでは皆決まった席に座るから、もしかしたら、誰かが……」 すると黙っていた黒岩が口を開いた。 「東堂は心当たりないの?自分の席に烏の死骸置いてきそうな奴に。ジャクソン、先週東堂のことウザいって言ってたよな、お前じゃねえの?」 軽々とそう言われ、田中は焦ったように「No,no.」と答えた。純日本人のくせに。黒岩は冗談か本気の嫌味か読みづらいことを平気で言うから厄介だ。この状況で能天気にヘラヘラしている彼らに心底腹が立った。 「死んだ烏自体が、怨念で来たのかも」 菊綴さんは私の方を見て言った。馬鹿にされたような心地になってますますいらいらする。 「見た感じ死んでから時間が経っているみたいだけど、いつから置かれているんだろう」 「この6501教室は2限は空きコマだったらしい。だから、2限に授業をとっていない奴ならこの死骸を置くことができる」 大野さんに太田が答えた。全員でこの中から犯人探しするってこと? 地獄のような気持ちだった。私は憎まれるべき存在ではないのに。 「東堂さん、二限は日本文学研究の講義で、一緒の授業だったでしょ。服が目立つからすぐに分かったよ。黒岩くんは?」 「俺、今日は遅刻したけど2限には教職の授業が入ってる。俺じゃない」 「私も同じ授業だったよ」 と、大野さんも返す。 「ワタシはチコク、イマキタトコロデス。しかし、そもそもclassがあったpeopleが、本当に出席していたかはワカリマセン」 確かに、授業をとっていてもその授業を欠席すれば犯行に及ぶことができる。 「俺は、2限は白川さんと同じのを受けてた」 「え、私その授業で太田くんは見かけてないよ」 皆が太田を見る。 「太田、いなかったってどういうことだよ」 「いや、それは……気づかなかっただけだろ。それに、この中の誰かじゃなくてこの大学内の誰かがやったのかもしれないし」 「だって、わざわざピンポイントで東堂の机に置くわけないだろ」 「それに今は、講義に居たか居なかったかの話だからそれは関係ないよ?」 黒岩に続き菊綴さんも太田に詰め寄る。 「嘘だよね……皆と最近やっと仲良くなれたと思って嬉しかったのに……みんなはこんなことしないよね?」 しないよね? 私が恨まれるはずないのだから。 「私誰も疑いたくないよ……」 認めない。私が恨みを買って嫌がらせを受けたなんて、そんな惨めな事実。 「あなたがいちばん怪しいでしょう」 「早く名乗り出ろよ」 ますます2人に詰められて太田は俯いている。暫くして彼は、ため息をついて口を開いた。 「……うるせえなぁ、んなこと言ったってこいつは嫌がらせされるような人間じゃねえかだいたいよ」 信じられない。漸く顔を上げた太田はぺらぺらと続けた。 「いや、この前菊綴さんだって文句言ってたじゃん、筆箱貸してあげたのにお礼言わなかったとかさ」 「いや、それは別に……言ってないと思うよ」 「白川さんも大野さんも一緒になって悪口言ってたじゃん、ぶりっ子だとか自分勝手でうざいとか」 「それでも、やっていいことと悪いことが……」 「黒岩、お前だって言ってたじゃねえかあいつ授業中うるせえ、つって」 「そんなことねえし、う、嘘だし」 いつも饒舌な黒岩が言葉に詰まる。こんなのあり得ない、きっとドッキリか何かだ。 「嘘……だよね?」 答える者はいなかった。早く嘘だって言えよ。おかしい、おかしい。どうして誰も私を庇おうとしないの? 「あいつ、毎回俺の席に荷物置きやがってよ」 太田が私を睨みつける。 「だって、何も言わないから置いていいんだと思って」 「普通それくらいわかるだろ20年間も生きてんのに」 今すぐに太田を黙らせてやりたかったが、喉が震えて返す言葉も出なかった。 「その言い方からして、太田くんがやったってこと?」 「いや……烏を置いたのは確かに……俺だけど……。いや、烏を置いたのは……ここの席を取られたくないから授業が始まる1時間前の空きコマに席を取ろうと思って教室に来たんだ。そしたら教団の上に烏が置いてあって、そんなことするつもりはなかったけど……ほら、“此奴”」 太田が私を指差した。 「嫌だからさ、つい魔が差して置いたんだ。でも、烏を殺したのは俺じゃない」 「じゃあ、烏を殺した犯人が他にいるってことだね」 そう言う大野さんのことだってもう信用できない。悪口言ってたくせに、心の奥底では私を嫌っていてこの状況を面白がっているのだろう。それで探偵を気取っているのだ。何も言わない白川さんだって同罪だ。 「お前だろ太田」 「俺はやってない。教壇の上見てみろよ。烏の羽が落ちてるから」 少し離れた教壇を覗くと、黒い羽が散らばっているのが見えた。 「じゃあ、真犯人は……」 「もういいよ何でも」 こんなのどうせ全部茶番だ。全員で陰口言って、この烏だって私以外の全員で用意したのだろう。そうじゃなくても、どうでもいい。こんなセンスも面白みもないような輩に嫌がらせなんかされて、心底虫唾が走るようだった。 「酷いよ、みんなして裏切るなんて……う、っ」 ほら、可哀想。私をいじめればお前らが加害者になるだけ。早くなんとか言えよ。焦れよ。間違ってんだよお前らが!! 「花鈴は、みんなに優しい可愛い女の子になるのよ」 昔からよく言い聞かされた、母の言葉を思い出した。 「またそんな下品な服ばっかり欲しがって。お姉ちゃんを見習いなさい。それに、好き嫌いなんて子供みたいなことしないの。どんな人とも仲良くして、みんなが上手くいくようによく考えるのよ。それが素敵な人になるってこと。わかるね?」 小花柄のワンピースなんて別に可愛いと思わなかった。カラフルなTシャツとショートパンツが着たかったし、親の知り合いにペコペコする時間があるなら本当は外で遊びたかった。 それでも私は努力をしたのだ。生きていくためには理想でいなければならない。清楚に育った姉を模倣して、プチプラで大人しそうな服を買った。そこかしこで、興味の無い人間にも愛想を振りまいた。その結果として、多少手を抜いてもちやほやされる立場を手に入れたのだ。努力もなしにのうのうと生きている輩には虫唾が走る。好き勝手やって人に迷惑かけて、裏で気を回している人間がいるとも知らないで楽をする馬鹿も気に入らない。どうしてそんなに怠けているのに、それでいいって思えるの?馬鹿共が、幸せそうな顔すんなよ。 「どうして、私が」 今度こそ酷く頭がぐらぐらして、立っていられそうもなかった。涙で霞む視界が眩んで見えなくなっていく。誰かが倒れかかった私を支え、振り払おうとしたがそんな力もなかった。 「どうして……」 羨ましかった。妬ましかった。だから私は私の努力で築いたこの地位を守らねばならなかったのだ。皆自由に見えた。好きなように創作をして、しょうもない冗談を言って、生産性のない話で盛り上がって。それでいて楽しそうにしている奴らを見下さずにいられなかった。 「……全部私のせいなんだ。この烏が殺されたのも」 そう、優秀な私を妬んで陥れようとしたんだ。私が優秀で在るからなんだ。もしそうでないなら、私の今までの生きてきた時間って何だったんだろう。 「返してよ」 私の生きてきた時間。名誉。