5
なぜ今になって、外に出ることができたのだろう。首輪は嫌いだ。人の足と猫の足は違う。身を寄せ合っていても、それぞれに流れている「時間」の感覚が違うから、同じように生きていることなんてできないと今でも思う。
昨日猫と人が同じような時間を過ごす夢を見た。猫の時間を人が過ごす夢。ミルクが牟田の母親で、牟田はちゃんと子離れをしていた。場所は牟田の家の弊だった。ミルクの爪が牟田の額に生傷をつけて、牟田の瞳に血が流れた。牟田は泣いた。人みたいに泣いた。瞳に張り詰めた血と涙が頬から落ちて、僅かに潮の匂いがした。静かに人々の雑踏が迫ってくる。血に濡れた涙が種になって、周囲を森に変えていく。その瞬間が焼き付いて目が覚めた。
首輪を付けられて、いくところなどないというのが本音だ。牟田の家にはいけない。あの黒猫に匂いを覚えられている。傷つきに縄張りに踏み込む猫などいない。諦めることができれば、少なくとも生きていくことはできる。では、叶わないと知っていて、違うと知っていて、店長を傷つけている自分は——。
駅から離れているのに、うやうやとした人から発せられる雑音が今日は一段と近く感じる。坊主がいて、店長がいて、牟田が背中を付いてくる。そこにいるんですか。と聞けばずっといるんですと返ってくる。そういう足音だ。時間は違うのに。言葉は伝わらないのに。それらに首輪をつけて、紐をつけて、従えさせる。このリードは店長が無理矢理に作った自分との繋がりだ。
夢で見た森が近い。立ち入り禁止の看板を抜ける。彼らも付いてくる。人の足ではあまり踏み入ることのないような獣道をわざと、選ぶ。それでも付いてくる。進めば進むほどリードの感触を首元に感じる。森の奥へ進むたびに、歪な時間の繋がりが浮かんでくる。
森の開けた場所に出た。ここは夢の世界にもない場所だ。新緑の匂いが近い。春めいたひだまりがここだけに流れてきて、日向の小さな湖があった。
人の足音が消える。声が消える。消える——。
影が背伸びをして、草原の地面に身体を預けている。リードの影だけが静かに伸びて張り詰めた時間を揺らしていた。
するりと首輪が抜ける。湖の雫が自分の身体に集まって静かな明かりになった。夢の世界の森はそこにあった。
な、にが起こって……?
ミルク、なんでここに……!?
っ……痛い……?
どうしたの?大丈夫?
なんか分かんないんですけど、おでこが急に痛くなって……
痛っ……
神聖なものを見ました、、、
もう帰りますか?
いや、なんかちょっと動けないんですけどぉ
そんな……本当に何が起こって……。
病院……いやでも、まるが……
動けないってどういうことですか?
私もよく分からないんですけど、足に草が絡みついて離れないっていうか……
燃やしますか?
煙草吸うのでライター持ってますが
燃える燃える燃える
私の足ごと燃えますよ??
あ、
点けちゃった
あれ、ミルク……?
怒ってるの?
あっつ!?
……くない??
緑の……炎……?
銅でも燃えているんですかね?
牟田さん、足に銅でも仕込んでいたんですか?
でも、熱くないんですよね?
はい……
むしろ、ちょっと冷たくて気持ちいいような?
冷たくて気持ちいい?!
ミルク……こっちに来るの?
ミルク、くすぐったいよぉ
あれ、草をほどいてくれてるの?
炎も消えてる……
ミルク、ありがとう
なんか、軽くなったねぇ
もうちょっと……優しく抱きしめてあげたら?
あ、ごめんミルク!
謝るからおでこ引っ掻かないでよぉ
痛いよぉ、止めてよぉ、お母さん
……?
牟田さん?
お母さんって?
あれ、私今なんて言いました?
え?
そういうことだったんですね、、、
とりあえず、何が起きてるのかなんも分からないけど……!
牟田さん、、猫、、お母さん、、
まる!!!
なるほど、、、
なるほど、、、
まる!!まる、どっかに行かないでくれ!
私は帰りましょうかね、まだマルゲリータいただいてませんし
え、坊主さん!?
ハーレー2号がない、、!
まる!!!
この場所がなんなのか分からないけど、俺にとって、ここは初めてまると出会った大切な場所だから……。
私のハーレーがぁぁぁっぁ
俺にはなんもわかんないけど、一緒にカフェに帰ろう……?
まぁ良いですよ、私のハーレー2号を一緒に探してくれるなら
店長も一人がさみしいとかあるんですね、仕方ありませんねぇ
多分坊主さんに言ってませんよ??
なんですと!?
まる、おいで、おねがい
ミルクも一緒に行く?
おねがい……
俺にとって、まるは、一番大切な友達なんだから……
私にとっても、ハーレーは一番大切な相棒でした
ありがとう……
大好きだよ……まる……
帰ろうか、一緒に……
ですねぇ
マルちゃんもミルクも帰ってきてくれましたし
ハッピーエンドの条件はみんなが笑顔で終わることですからね、はっはっはっは
私のハーレー、探してもらっていいですか?
………結局、ハーレーも見つからなかったし、なんかすごい光景だったしで……一体なんだったんだろうね?
なんか不思議な体験でしたねぇ
ミルクも帰ってきてくれるなんて……
まるも戻ってきてくれてよかった……
……あれ、ミルク……?
なんで!? さっきまでここにいたのに!
あれ、ミルク……ほんとだ、消えた……?
極楽浄土へいかれたのでしょうか、、私達の教えでは霊魂はありません
しかし、牟田さんの強い思いが引き起こした奇跡だったのかもしれません、、、
私のハーレー2号とミルクさんに念仏を唱えましょう
ミルク……
もう一度会ってくれたんだねぇ、ありがとう
うん…………。あ、カフェが見えてきた。
いやぁ、今日は大変でした
マルゲリータピザ3枚は食べなければ
実は閉店の時間で……また後日……
なんですと??
冬休みももうすぐ終わっちゃうんですよねぇ
お店に来る頻度減っちゃうかもですけど、またミルクたっぷりのコーヒーお願いしますねぇ
ふふ、かしこまりました
3人とも、今日は一緒に来てくれてありがとうございました。
明日からは通常営業するからね!
またのお越しをお待ちしております。