私の前にもう一匹猫がいた。姿形がよく似ている。猫としては華奢で、縄張り争いには向かない。すっとした身体つきで静かな家猫だった。人の気配が遠い。すぐ後ろにいて牟田が頭を抱えている。しかし陽だまりに人影が透けているようなそんなぼんやりとした向こう側にいた。

 互いに声を出さないまま、向き合う。声も仕草もわからないので、自身との違いを見つけるのも難しい。

 生まれる。誕生日おめでとう。そして死ぬ。死んだ。消える。消え——。なかった。

 この店に来た時の記憶が堆積して、隠していた何かを思い出す。生まれる前の記憶だった。「あなたがここに来たから、ミルクが生まれた。だから誕生日おめでとう」

 羽根のような柔らかい声がタオルの向こう側から聞こえてきた。ハッピーバースデートゥユー。私は確かにミルクだった。ミルクとして飼われ、純粋な愛情のうちに死んだ。その時の自分では言葉には器用にまとめることができなかった。

 死んだ世界には何もなかった。無いという認識がそこにあって無もあった。だからそこからもう一度自分を作った。なんでもう一度猫になろうと思ったのかはわからない。ミルクとして生まれた人生がそんなに幸せだったような気もしない。確かに牟田に拾われたことは幸運だったが、それより前といえば餌にも碌にありつけないような乞食だった。

 猫としてやり直すなら、野良猫として生きていける強い身体だろうか。そんなことよりやりたいことがある。どうして牟田はあんなに自身に愛情を向けたのか。それが愛情だと分かったのはそれよりも後のことだった。親から受けるものとは違う無制限の、無量の愛情。それが何なのか知りたい。言葉が必要だ。人間のような細やかなコミュニケーションを聞き分けられる認識能力がいる。

 そうしてもう一度私は生まれた。誕生日おめでとう。言葉が分かれば人の愛情の正体が分かると思った。どんな利点があってそうしているのか、どこからその能力を覚えるのか。けれど無理だった。愛情の源には果てがない。そこが水源だと分かってもどこからともなく湧いてきて、また辿っていかないといけない。そしていつの間にか愛情と暴力を取り違えることもある。

 後何回生まれ直したら、この温かさに気付けるのだろう。人に触れるたびにそう思う。撫でられる時も、餌を手渡しする時も、そして傷つける時も。やがてミルクは野原の奥に消えた。ぼんやりとしていた人の気配がはっきりとした。

 日差しが雲に隠れて、降り注いだ陽だまりが一瞬だけ姿を消す。次に生まれ変わる時は人になろうか。いや、でももう少し猫でいてもいいかもしれない。少なくとも店長に何か愛情めいたものを与えられるまでは。

 坊主のなくなった乗り物を探しにこの場所を後にする。

 季節はすっかり春だ。

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