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Prologue
猫らしく生きられない猫なんて私以外にこの世界で何匹いるのだろう。いつの間にか猫専用になって今は使われていないカウンターの一席に座りながら、私はそう考えていた。夕方から夜へと変わる時間になると、扉を開ける足音は疎になっていく。人の言葉ではこの場所を「喫茶店」と言うらしい。この店の店長(人がそう呼ぶので私もそう呼ぶ)が作るコーヒーという黒い飲み物やグラタンとかいうやたらと湯気が立つ白い食事に人が集まってくる。前にその黒い液体になんとなく口をつけようとしたら、店長に引き剥がされたことがあるので、あれはきっと猫には飲めない代物なのだろう。
店を行き交う足音が静かになると、古い木の匂いがする椅子やテーブルに音楽が降り落ちていく。この耳に妙な感覚を残す音の連なりが「クラシック音楽」というものであることも猫らしく生きていたら知りもしなかった。
私が猫らしく生きられないのは、全てこの喫茶店のせいと言っても過言ではなかった。この店で拾われてからというもの嫌というほど人の言葉を浴び、また数えきれないほどの人に触れられてきた。人の気持ちが移ったとまではいかないが、猫として生きるなら気にしなくても良いことを、妙に明らかにしたい気持ちになってしまう。極論を言えば猫は餌が食べられて、自身が傷付かなければなんでもいいわけだ。そのためにできることとすれば、餌出し役の従業員や店長に向かってにゃーにゃーと鳴いてやることくらいで、あとはたまに来る触ること目当ての客に向かってゴロゴロ言って、少しばかり餌にありつければそれでいい。
人の言葉も覚えたところでなんの利点もない。覚えたところで伝えることができないからだ。「私は撫でられたいのではなく餌をもらいたいのです」と口に出して伝えようとしても、喉に差し掛かった途端に言葉の輪郭がぼやけて、にゃーとかあーとかうおーんという情けない声になっていく。
店の窓の外を黒い野良猫が通り過ぎていった。一瞬目があったがこちらの立場を羨む暇もなく、細い身体を堂々と揺らして雑踏の奥に消えていった。あの野良猫は非常に逞しく猫らしい出立ちをしている。言葉や愛嬌なんてものの前に目の間の獲物をいかに狩るか、自身の縄張りをいかに保つかそれだけに頭が満たされている。その方が猫らしいと思う。だって大勢の猫がそうなのだから。
静かに扉が開いて、呼び鈴が鳴る「いらっしゃいませ」と店長の声が聞こえる。猫に猫らしいということがあるように、人にも人らしい何かがあるのだろうか。そう思うと気にせずにはいられない。この時間はうやうやとした喧騒ともほど遠く、一人一人の話に耳を傾けられる。ゆっくりと椅子から立ち上がって、客席から落ちてくる言葉を拾い始めた。
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いらっしゃいませ
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a
test
こんにちは
いらっしゃいませ
あー
あー
hello
いらっしゃいませ!
あ、ルリちゃんじゃないか。こんにちは
店長〜〜〜!!!! 会いたかったです♡
猫ちゃんかわいいねー
ちょっと待ってちょっと待って、優しく触って!
とりあえず二人とも、ご注文は?
え~でも気持ちよさそうだし
ルリは〜、グラタン1つくーださい♡
ミルクたっぷりのコーヒーくださぁい
グラタンだね。かしこまりました。
今日もたくさん写真撮らないといけないんだから!
コーヒー、確か砂糖二つだったよね? かしこまりました
お願いしまぁす
コーヒー古谷くん持っていって、ん。ありがとう。
古谷さんばっかり店長と喋ってズルい!
わぁい!コーヒーありがとうございまぁす
はい、グラタンお待たせしました。
古谷くんはバイトだから仕方ないよ……
ありがとう〜店長♡
ちょっと、この猫邪魔なんだけど! 映り込まないでくれる!??
あれぇ? 猫ちゃんも飲みたいんですかぁ?
もう、どっか行ってよ!!
ああ!!待って、マルに飲ませないで!
でも呑みたそうじゃないですかぁ
待って待って、コーヒーは飲ませちゃいけないんだよ。ほら、マル怖かったね。カウンター座っていて
えー、コーヒー飲む猫はちょっとカワイイかもぉ
ほらぁ、かわいいってこの人も言ってるのにぃ
賑やかで何よりですねぇ、みなさん。こんにちは、店長。いつもので
は、常連ぶんなよ! 何この坊主
いらっしゃいませ。かしこまりました。マルゲリータピザですね
こんにちは~坊主さぁん
南無阿弥陀仏。木更津さん、汚い言葉をつかってはなりませんよ
古谷くんピザ持ってってくれる?ありがとう
坊主のくせに気取ってピザとか食べてんじゃねー
ナムアミダブツ?
店長もそう思いませんかぁ?
牟田さん、こんにちは。学業には勤しんでいますか?
カオスだ……
うーん、まぁまぁですかね! この前は国語のテストで40点取りましたぁ
南無阿弥陀仏。古谷さん、ピザありがとうございます。美味しそうです。
猫ちゃぁん降りてきてくださいよぉ
え、ピザめっちゃ可愛いんですけどー! ちょ、お坊さん、写真撮らせてくれます?
猫じゃらしですよぉ
ほらほらぁ
あ、降りてきそう!
こんなにカオスだから新規客が増えないのかな……
かわいいなぁ
前飼ってた猫みたい
店長には負けるけどー、猫ちゃんもわりかしカワイイ顔してんじゃん? こっちおいでよーほれほれ
あぁ~行かないでよぉぉ
牟田さん、猫を飼っていたんですか?
まぁ、先月死んじゃったんですけどねぇ
ああ……
この猫ちゃん、すぅぅごく似てるんですよぉ
もう、貰っちゃいたいくらい
え、ちょっと重い話だったんですけど……
南無阿弥陀仏、その猫も涅槃に至っていることでしょう
これぞお坊さんの出番ですね……
ネハン?
難しー言葉、よくわからん!
解説お願いしまぁす
マルは渡しませんよ。僕の大事なパートナーですので
悲しみすぎることは逆にその猫さんを迷わせてしまうことになります。あなたがしっかりと心を落ち着け猫の魂の幸せを願ってこそ彼の猫も涅槃に至れることでしょう。
そんなぁ
パートナー、、??
あっ
え、ちょっと、猫のくせに店長のパートナー気取ってんの?
へぇ~
よく分からないですけど、とにかく幸せを願えばいいんですね!
この猫、もうむっちゃんが貰っちゃえば? ルリ、賛成〜♡
う、ううん……ルリちゃん、マルも大事にして……ね?
「涅槃」とはサンスクリット語でニルヴァーナと言います。すべての煩悩がなくなり、安らぎ、悟りの境地に入ることです。 お釈迦さまも涅槃に至っているのですよ。私も将来は涅槃に至ることを目標にしています。
猫ちゃんは私のパートナーになるんですよぉ
そ、それはやめて…………!?