神子失踪
かつての同級生であった松風の結婚式は厳かな雰囲気で行われた。今、目の前で、この後に続く長い人生を二人で生きていくという契が結ばれたのだ。この結婚式は幸せで満ちている。しかし、ここには足りないものがある。彼女がいないのだ。
飛鳥井小春。親友。親友には愛称がいる。だから、彼女のことは親しみを込めて「ピーちゃん」と呼んでいた。ピーちゃんはこの結婚式に出席していなかった。私は彼女に会うために、わざわざ遠くから結婚式に出席したようなものだった。しかし、彼女は私の前に姿を現さない。もしかしたらピーちゃんは会いたくないのかもしれないと彼女は考えた。それはそれで、いささか失礼なのでないか。結婚式の内にいながら挨拶なしで済まそうとい
新郎新婦への挨拶も終わり、椅子に座ってこの後どうするべきか、考えている。その時、ある一人の人物が話をかけた。
「戸田さん、久しぶり」
乾井廉斗。噂好きのストーカー気質。その性格のおかげで、戸田が島にいた頃は被害を受けることもあった。何しろこの島は情報が伝わるのが早い。誰かが何かをした時、その情報を周囲に広めるのはいつも乾井だった。戸田はそのことを心地よく思っていなかったが、それは昔の話。大学生の彼女には返事をするだけの気概があった。
「久しぶり」
その言葉を聞いて、乾井は純粋そうに笑った。その顔に、戸田は自らの中に抱えていた彼への嫌悪を恥じた。時間が経てば、人は変わるのだ。
「そういえばぴーちゃんは?」
久しぶりに会って、互いの話すらしないのはいささか失礼ではないかと思いつつも連絡の途絶えている友人について尋ねた。
「いや今日は見てないかな」
彼もまた淡々と返した。
「そうなんだありがとう」
「もしかしたら粕谷なら知っているかも」
「ああ、そうなんだ聞いてみる」
特段話が盛り上がることもなく、本当に挨拶をしただけで二人は別れた。しかし、戸田はその後に不思議に思った。今、乾井は確かに「今日は」と言ったのだ。昨日はピーちゃんを見たのか。いや一昨日か、それ以前か。改めて乾井に問いただそうとした時にはすでに遅く、彼は他の人と話を進めていた。
そのうち、戸田は粕谷を見つけた。
「あ、久しぶり!」
「久しぶり〜、どうしたの急に」
粕谷ヒロ。ピーちゃんの幼馴染で従兄弟。と言っても、ピーちゃんとは分家の関係に当たり、ピーちゃんとは家族と言っても過言ではない。
「ピーちゃん、いや小春が今どうしているのか知りたいんだけど知ってる?」
何気なく聞いた。しかし、その言動にすぐ反省を覚えた。会ってすぐ他人のことを話す。あの乾井と同じことをしていることに気がついたのだ。
「いや、僕も知らないんだよね。咲葵さんとかすごい心配しているから僕も心配なんだけど。どこにいっちゃんたんだろう」
彼もまた知らないようだった。それでさよならでは、乾井との会話の二の舞になってしまう。そのため、戸田は間髪入れずに質問した。
「咲葵さんって…」
「ああ、えっとこはる、ピーちゃんだっけ?ピーちゃんのお母さんのことだよ。ほら宮司さんの奥さんって言った方がわかりやすいかな」
なるほど、そういえばそんな名前だったような気がすると、彼女は思い出した。
「そっか。じゃあピーちゃんのお母さんに聞いてみる」
「うん。じゃあね」
二人はそう言って別れた。しかし戸田はその後に不思議に思った。今、粕谷は「咲さんが心配している“から”僕も心配している」と言ったのだ。これはどういう意味なのか。つまり、ピーちゃんがいなくなったことは粕谷にとっては心底ではどうでもいいのかもしれない。それは、一応の従兄弟に当たる彼の言動としてはいささか冷たいのではないか、と思った。しかし、この点に関しては問いただすほどでもないと判断した。ピーちゃんの居場所は、彼に聞くよりも、咲葵さん、ピーちゃんの母親に聞く方が早いと思ったのだ。
「こんにちは、お久しぶりです。」
「お久しぶりです。」
厳かに挨拶が返された。飛鳥井咲葵。ピーちゃんの母親。美人であり、その上で物腰柔らかく、大和撫子を自でいく女性。
「あのピーちゃんって今どうしてるんですか。」
と単刀直入に聞いた。この際、挨拶がどうとかは気にしていられなかった。
「ピーちゃんって娘のことですか?」
「ああ、そうです。すみません。」
戸田は焦って聞いたことを少し後悔した。
「こはるね、私もわからないの。どこにいったのかわからなくて。何かわかったら教えてください。」
やはり母もピーちゃんの行方を知らなかった。
「ピーちゃんは、島出たんですか?」
「島はでてないわ」
「そうなんですね。一人暮らしとかはしてたんですか?」
「一人暮らしはそうね、一応、ここから徒歩圏内だけど、ちゃんと実家離れて暮らして」
「じゃあどこにあるかって、教えていただいてもいいですか。」
「いいですよ、こっちです。」
「ありがとうございます。」
そうして、戸田は咲葵に連れられ結婚式場を抜け、小春が一人暮らしをしていた家に向かった。彼女は不思議に思っていた。それは会話のなかで噴出した疑問などではなく、この母親がいると知った時から思っていた疑問だ。
なぜこの咲葵という女性は、娘がいなくなったこの事態に、平然と結婚式に出席しているのか。なぜ、娘の行方を知らずとも「島を出て行っていない」と断言できたのか。
よくない情動が生まれていることを戸田は自覚していた。そして、その情動に煽られ疑心暗鬼になっていることにも。私は長い間、この島を離れていたのだ。何か事情があるのかもしれない。そして、その事情とやらも、ピーちゃんの家に行けば何かわかるかもしれない。
戸田は気持ちの悪い感情に押されながら、足を進めた。
同時刻、島の某所にて戸田に同行して島に訪れた楠村は島内の散策を行っていた。
「ここって警察署とかあるのかな。ちょっと街の探索、いや村の探索かいってみようか。」
楠村はそう独り言ちながら島を練り歩く。……島の中心で結婚式が行われているからだろうか。本州からやってきた客人だというに、独りぼやきながら歩く楠村に声を掛けるような人はいなかった。
「すみません、ちょっと警察所探してるんですけど、ここってどういった建物なんですかね。」
「ここが警察所だよ…それよりあなたのお名前はなんでしょうか。」
「ああ、申し遅れました。自分、東京の大学でゼミの教授をしている楠村と申します。えっと、警察官の方、お名前は」
「ああ、楠村さんですか、私は不浄と言います。」
「不浄さんですか。珍しい苗字ですね。ここら辺の土地だと多い苗字なんですか。」
「私しかいないもので…他の人で不浄という人は見たことないかもしれません。」
「本当ですか、ずっとここ出身なんですか?自分、民族とかに目がなくて、伝統文化とか村の歴史とかに興味があるので、もし知っていたらお教え願いたいんですけど。」
「どうだろうな、気がついたらこの島にいた感じなんで、そんなに覚えていないですね。」
「そうなんですね。なんか観光名所とかあったりしないんですかね、神社があるときたんですけど、場所がわからなくって」
「神社ですか。ありましたっけそんな場所。わかりませんが、もうちょっと奥に行ったらあるんじゃないんでしょうか」
「そうなんですね。ちょっと自分でも探してみますね。」
「ヴァルターさんは何か知っていますか。」
「・・・」
「あなたは出身この島じゃないんですか」
「ハイ」
「どこからいらっしゃったんですか?」
「・・・」
「お名前的に日本人の方じゃないですよね。」
「ソウデス」
「移住してる方もいらっしゃるんだ。へえ」
「そうですね」
「お仕事は猟師なんですかね、この様子だと」
「ハイ、ソレシカデキナイ」
「そうなんですか。ちょっと自分、一緒に来たゼミ生と合流しないといけないので、ちょっとこちらまた後で来させていただきます。」
「はい、何かあったらぜひ」
「またお話聞かせてください。」
「ありがとうございます」
不浄とヴァルターに軽く挨拶をし楠村はその場を後にした。そんな彼の後ろ姿を不浄はただ、訝し気に見つめていた。
結婚式を終え、実佳は式場である会館から外に出た。招待客で混雑している場所から遠ざかろうと周囲を見回し、少し離れた静かな場所に移動する。
このあと落ち合う約束をしている人物の名前をトーク一覧から探し、『今結婚式を出ました。先生、どこにいますか』とメッセージを送る。すぐに既読がつき、返信を知らせる通知音が鳴った。
『私は今、警察署を出たところにいます。どちらに向かえばいいですか?』
『とりあえずわたしがそちらに向かいます』
『了解いたしました。警察署の周りに他の建物がないか、自分はちょっと探しに行っていますね』
メッセージを確認し終えると、実佳は会館を離れ、他の招待客とは反対の方向へと歩を進める。にぎやかな会館を過ぎるとほとんど人気はなくなり、ここが人口五百人ほどの離島であることを思い出す。越してきたのは中学生の頃だが、久々の地元に思いを馳せ、やがて見知った後ろ姿を見つけると声をかけた。
「あ、教授。お待たせしました」
服を着ている上からでも、鍛え上げられた屈強な体つきがよくわかる。その後ろ姿を見ただけで、実佳はそれが楠村喜朗であることに気がついた。
彼は振り返ると破顔し、「あ、実佳さん。お待たせしました」と恭しく一礼した。
「すいません。場所が全然わからなくて」
「いえいえ。その、小さい島ですけど、まあいろいろ……一周回ったりするとなかなか遠いですからね」
この島での移動手段は主に車であるため、徒歩で回ろうとするとかなりの時間がかかってしまう。だが彼は、周辺を見て回っていたというものの、日頃から運動を欠かさないためか、朝と変わらず爽やかな顔をしていた。
「そうですね。あ、でも警察署に行ったんですけど、やっぱ島の警察署は東京のと違いますね。ひとりしかいないしでもう本当に……」
この道を進んだ先には警察署があり、確かに東京にあるものとは違って小さく警察官も少ない。
「ちょっと歴史とかいろいろ聞きたいと思ってたんですけど、いやあなかなか話すの難しくて。ちょっと時間もないということで、またあとでちょっと顔出そうかななんて思ったりしてるんですけど。実佳さんも一緒にどうですか」
「あ、いいですね。是非ご一緒させてください」
今日、大学教授である楠村がこの島を訪れたのも、信仰や民俗についてフィールドワークを行いたいとの申し出があったからだった。実佳は快く了承した。
「あ、ほんとですか。結婚式どうだったんですか」
彼は思い出したように問いかける。「あ、そうなんですよ」と両手を合わせて声色を変える実佳に、楠村は笑って頷いた。
「実はわたしの親友の飛鳥井小春、っていう友だちがいるんですけど、少し前からいなくなってしまったみたいで」
実佳が切り出す話に興味を持ったのか、楠村は「ほうほうほうほう」と何度も相槌を打ち耳を傾ける。
「その直前まで、一人暮らししてたみたいなんですけど」
「あ、この島でですか」
「はい」
「ふーん」
「そのピーちゃんのお母さんにその、一人暮らししていたおうちを教えてもらったので一緒に探してもらえませんか」
実佳の提案に、楠村は考えるそぶりを見せたあと、顎に手を当てながら大きく首を縦に振った。
「あ、いいですよ全然。ここから近いところなんですか?」
「えっと、少し山を登ったところにあるみたいなんですけど」
楠村の背後にそびえる山を指差すと、彼は「へえ」と頷きながら仰ぎ見る。その山――日高山の噴火によってできたこの島にとって、もはや山はシンボルのようなものになっている。
「人がそうやってあれですか、なんか突如いなくなるとか、そういうのって結構多いんですか島だと。よくなんか伝説とかで自分聞いて、テンション上がっちゃうんですけど」
声のトーンを上げた楠村は、実佳の答えを催促するかのように見るが、逡巡したのち実佳は首を横に振った。
「いやあ、今まで聞いたことなくって」
「へえー」
「なんですけど……ピーちゃん実はここの島にある神社の一人娘なので、まあもしかしたら」
少し落ち込んだ様子を見せていた楠村は、実佳の言葉を聞くと再度瞳に光を宿した。
「ああ、神社ですか?」
「はい」
おそらく島の神社がどのようなものなのか興味があるのだろう。(インターネットで調べてもなかなか情報が出てこない島)なので、民俗学教授といえど、楠村が知らないのも無理はない。
「自分あの実佳さんに話を聞いてから、ここにちょっと神社があるって聞いてさっき警察官の方に聞いたんですけど、なんかそういうの知らない、って言われて……でもなんか有名な神社だって聞いてたんですけど」
日高山の頂上にある神社のことだろうか。島民であればまず知らない者はいないだろうが、島の地形に詳しいはずの警察官が知らないというのが引っかかる。
「もしかしたらじゃあその駐在さん、新しい人とかなのかもしれないですね」
実佳は疑問を持ちながらそう言ったが、楠村は納得していないような顔で腕を組む。
「ああ……結構昔からいるって話だったんですけどね……」
「不思議な……不思議ですね。結構、島の中では唯一って感じなので」
この島にある神社といえば、長として島を統治する飛鳥井魚太郎が宮司を務めているため、知らないというのは些か無理がある。警察官であればなおさら、島の事情について知識を持っているのが当然だと思っていた。楠村は神社という単語に強く惹かれているのか、顔を上げると実佳に目を向けた。
「へえ。あ、じゃあ自分ちょっとその神社見に行きたいですね。ちょっと実佳さんに連れて行っていただきたいんですけど」
「はい是非」
「じゃあ先に……」
実佳は日高山を指差し、
「じゃあえっと、ピーちゃんのおうちをそのお母さんに案内してもらうので、お母さんのところにいったん行きましょう」
楠村は小さく頷いてから「はいわかりました」と答え、山の麓まで歩くと神社を目指して山を登り始めた。
「ピーちゃんのお母さん」
戸田が楠村を連れて咲葵の元を訪ねる。
「そちらの方は?」
咲葵は楠村の方を指差して聞いた。
「あ、自分はですね、美佳さんの東京の大学でゼミの教授をしています、楠村と申します。先ほどお話しいただいて、自分ちょっと島とかの歴史に興味がありまして、研究対象としてフィールドワークのために一緒についてきたという形で。行動をちょっと共にしないと自分迷子になってしまうと思うので、今日はよろしくお願いします」
それを聞き、咲葵は納得したように答えた。
「ああ、そうなんですね。それはそれはどうもご苦労様です」
「ありがとうございます」
「そうですね、では小春の家に案内いたしましょうか」
「はい、お願いします」
そうして三人は小春の家へ向かった。
「こちらです」
咲葵に案内され、三人は小春の家にたどり着いた。
「ええと、お母さんはあれですか? 先ほどお話伺った感じだと、なんかあの、小春さんの消息が分からないという話だったんですけど」
楠村がそう尋ねると、咲葵は神妙な面持ちで答えた。
「島は多分出ていないと思うんですけど……。島内のどこかにいるって信じたいんですけど……。なかなか見つからず……」
「あれですもんね、警察……も一人でしたっけ、この島に……なかなか捜索って出せないんですかね?」
「そうですね……。父も頑張って捜しているんですけれども……」
「ああ、そうなんですね。今日はお父様は今はご一緒しない形なんですかね?」
「ああ、今は多分神社の方にいると思います
『神社』というワードが出てきたことで、楠村の目が輝き始めた。
「あっ、宮司さんでしたっけ? 自分神社の方にもちょっと行きたいんで、よかったらまたご案内していただけると助かります」
「わかりました。では先に小春の部屋に行ってから神社に行きましょうか」
「あ、ありがとうございます! お願いします!」
とは言ったものの、楠村はこの場では部外者でしかないということを忘れてはいなかった。果たして自分は小春の部屋に入ってもいいのだろうか? その疑問を解消すべく、戸田に確認しておくことにした。
「自分は小春さんの部屋に入って大丈夫ですか? ちょっと関係性的に……」
「そうですね……。でも、自分は連絡とってなかったのであんまりわからないんですけど……。なるべくいろんな人の目があったほうが気づくことがあったりするのかな? って思うので、よければついてきてもらいたいです」
戸田はあー、と悩む様子を見せながらも、今は小さなことでも何か小春の手がかりを掴みたいと思い、楠村の同行を希望した。楠村はさらに念のため咲葵にも同様の旨を確認しておくことにした。
「お母さんも大丈夫ですか? 自分が部屋に入るのは」
咲葵はすぐに首を縦に振って答えた。
「全然もう入って構いませんので、お願いいたします」
「ちょっと不謹慎かもしれないんですけど、人捜しみたいで自分もちょっと協力できたらと思っているので」
「ありがとうございます」
そうしたやりとりを交わした後、三人は小春の部屋へと移動した。
「こちらは小春の部屋です」
咲葵が目の前の扉を指し示す。
「お邪魔します」
「失礼します」
二人は扉を開き、中へ入っていった。
「閑散としている部屋ですが、どうぞお構いなく」
そう言われて目にした光景は、(部屋の具体的な様子)といったものであった。
「なんか、思ったより生活感がないんですね」
「そうですね。あまり物にも執着しないような子だったとは思うんですけど……
二人の疑問に答えるような形で咲葵が言う。
「あまり欲しいものをねだらない子でしたので」
「そうなんですね」
それからはしばらく部屋の様子を見て回った。
「そうですね、小春はこの部屋に昨日まではいたんですけれども」
「昨日?」
その咲葵の発言に楠村は少し驚いた様子を見せる。
「はい。昨日の夜だったかに、お夕飯のお裾分けをしに行ったんですけど、ちゃんと出てお話しして、まあ本当に世間話程度で私は帰ったんですけど。ちゃんと元気そうにしておりましたので」
これは有力そうな情報が出てきた、と楠村は密かに心を昂らせながらもさらに話を聞き進める。
「なるほど。じゃあ、昨日の夜から今日の朝にかけて急に?」
「そうですね。結婚式の準備がありますので、小春に手伝って欲しいとお願いしようとしてこの部屋に来たらこの状態でした。どこか出かけているのかなと思い、先に結婚式の準備の方を進めさせていただいたんですけれども、全然いくら経っても小春が現れず……。こちらとしては結婚式の準備というのを最優先にしないといけないので、小春の捜索は駐在さんには任せたんですが、まあ見つからずという……」
「なるほど……」
そこに、戸田も質問に入る。
「直前まで連絡をとっていた友達とかってわかったりしますか?」
「小春とですか?」
「はい」
「そうですね……。私あまり小春の交友関係には明るくはなくて……。幼馴染の粕谷さんか、乾井さん? っていう方がちょっとお話に聞いた感じですので、そこ以外はちょっとなんとも」
「ありがとうございます」
そこで二人の会話は一段落ついたようだったので、楠村は美佳に今後について尋ねた。
「そしたらそのお友達って、美佳さん今会いに行きたいですかね?」
「さっきちょっと結婚式で会ったんですけど……」
「あ、会ったんですか?
「そうですね……。もうちょっとしっかり腰を据えて聞いてみた方がいいかもしれないですね」
「そしたら自分はちょっとお邪魔だと思うので、神社の方にご一緒させていただこうかな? 美佳さんとはまた行動が別になってしまうんですけど、自分がいなくても大丈夫ですか?」
美佳はそれを聞いて少し笑って答えた。
「ああ、もう神社で待っていてもらえれば」
「わかりました。ありがとうございます」
「じゃあまた後で。失礼します」
「はい、また」
二人はその場で別れた。
粕谷──ピーちゃんの幼馴染みに会いに行く事を決めた戸田は、チャットアプリを開いた。彼とは先程の結婚式で連絡先を交換していたのだ。
『今から会えますか? ちょっと聞きたいことがあって』
戸田が粕谷のチャット欄にメッセージを飛ばすと、彼から早い段階で返事が来た。
『小春のことかな? 大丈夫です。僕の家わかんないですよね?』
その返事を皮切りに、彼らはやり取りを続ける。
『わかんないです』
『今どちらにいますか?』
『今ピーちゃんの家にいます』
『分かりました。僕がそっちに向かうので少し待っててください。今友人の乾井もいるんですけど、一緒に大丈夫かな?』
『あ、ぜひお願いします』
『じゃあ向かいます』
最後のメッセージを見た戸田は、二人を迎えるために玄関に向かった。
「戸田さん、こっち!」
しばらくすると、乾井が控えめに手を振りながら近づいてきた。すぐ後ろには粕谷が居る。
「こんにちは、さっきぶりですね」
戸田が軽く頭を下げながら言うと、乾井が(少し怪訝そうな顔をした。)
「なにか……?」
「ピーちゃんが、なんか……昨日から失踪してるらしくって。さっきお母さんから聞いて家に入らせてもらったんだけど、全然分からないから……二人は直近で連絡してたかなって思って、話聞けたらと思って……」
「あー……なるほど。粕谷、昨日会った?」
粕谷は首を振った。
「僕は、昨日は会ってないんだよね。結婚式の準備するって小春が言ってたから。連絡は取ったよ、夜に。明日行ける? って聞いたらめちゃくちゃ楽しみで準備してるって返ってきたから、だから今日も来るもんだと思ってたんだけど……どうしたんだろうね」
戸田は粕谷から乾に視線を移す。
「……乾井さんはなんか……連絡とか、どんなこと話してたのかなって。(私は)あんまり最近連絡取ってなくって」
「……あー、そこまで頻繁に連絡を取ってたわけじゃなくって、たまに島の中で会うくらい。高校卒業してからはもうやっぱり疎遠になっちゃったんで」
「そうか……最近なんか変わったこととかってあった?」
「変わったこと? 何かあったかな……」
「……前に島の中で会った時は、少し、体調が良さそうではなかったけど。風邪を引いたみたいな話をしていたから……それくらいかな」
粕谷が返事に困っていると、乾井が代わりに返答した。
「そっか、ありがとう……もう少し……うーん、何だろう……」
しかし、まだ戸田は納得していないようで、もう一度質問を投げかける。
「……ピーちゃんが最近好きだったものって知ってる?」
「……あ、そうだ、小春はね、確かに最近海の方に出かけてたはず」粕谷は記憶を確かめるように頷きながら言葉を続ける。「うん、そう、海に行ってたまたま見かけた時、何してるのって聞いたら海眺めてるだけって返ってきたから……もしかしたらなんかあったのかもね」
「……ありがとう、じゃあ海の方もちょっと見に行ってみる」
「……見つかるといいね、小春」
「うん、頑張る!」
粕谷の言葉に、戸田は笑顔を向けた。
戸田が粕谷と邂逅している最中、楠村は一人この島に唯一と言われる神社に訪れた。
神社の境内に入るとピーちゃんの母親が出迎えていた。案内されるままに社殿の方へ向かうと、男性が一人黙々と掃き掃除をしていた。服装からして神主と思われる彼は、いかにも聖職者といった静謐さ、そしてその奥に覗かせる確かな威厳を感じさせる。しかし、もし彼が今回の失踪した女性の父親だとしたら人間こんなにも冷静にいられるだろうか。
「あなた」
そんな楠村の想像をあっさりと裏切るかのように、母親はこの神主が今回失踪した女性の父親のであることを告げる。
「母さん、どうかしたか」
「こちら、教授さんがいらっしゃいましたよ」
「教授さんが?」
すると父親は、今まで凍り付いていたかような一面相を重々しく、グッと顰めた。
「ああ、これはすみません、申し遅れました。娘様である小春さんのお友だち、戸田実佳さんが通っている大学のゼミで教鞭をとっております。楠村と申します。この度は大学のフィールドワークでこの島の見学をさせていただいておりまして、お母様にもこの神社を案内してもらっていたんですよ」
「あぁ…なるほど。私は飛鳥井でございます。いやあそうですか、大学の教授様で…わざわざ足を運んでいただいて大変申し訳ないのですが、特に面白いものもない神社でして、それでも宜しければご自由に見て回ってください」
一つ一つを踏みしめるように話すからか、音の高低があまりないからか、その声は言葉とは裏腹に底知れぬものを感じさせた。楠村は民俗学者として、その得体の知れない感覚に反応せざるを得なかった。
「いえいえとんでもない。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて…しかし、島に他の神社はないのでしょうか?」
「ないですね」
一変、静々と受け答えをしていた父親はなぜか食い気味に楠村の質問に答えた。
「ここだけ?」
「ここだけです」
はっきりと念を押すかのように力強く答える父親に、楠村は思わず話を逸らしてしまった。
「島にいる警察の方も私が先ほどお会いした方ひとりだそうで」
「ああ、駐在さんですね」
「ええそうですそうです。変な話ですよ、その方に神社のことをお聞きしたところ、この島に神社はないと言われまして…そしたらみかさんのお友だちが神社の娘さんだとお聞きしたもので、伺った次第なんですよ」
「しかし、島に一つの神社というと、地元では有名な神社なのではないでしょうか?」
「まあ、名は知れていると思いますがね、歴史はありますから。」
その返答は、どこか他人事のような、ともすれば遠く懐かしんでいるかのようだった。
「ええ、それにやはりこの島に一つしかない神社ですからね」
「ちなみにですが、この神社はどういった歴史があるのでしょうか?」
「色々ありますよ、もう何百年もありますから」
先ほどからこの神主、どうぞお好きにといっておきながら、肝心なことには一切答えないと楠村。もその神主の態度に段々と苛立ちを覚えてきた。
「ちなみにこの神社、どこにも神社名がありませんが、差し支えなければ教えていただけますか?」
「ええ、もちろん。そのまま、飛鳥井神社です」
「ほう、ではなぜ神社名を掲げていないのかはお伺いしても?」
「まあ、掲げるものでもないですからね」
「な、なるほど…いやまあ、素敵なお名前ですから、もっとしっかり名前を掲げてもよろしいのではないですか?実は私、よく神社巡りに行っていまして、その際いろんなところを見るのですが、神社の名前や、その表札は貴重な地域文化や歴史を示す材料にもなりますからね」
訳のわからないフォローを入れてしまった楠村だが、神社巡りを行うのは嘘ではない。普段の民俗学の研究をする上で神社という場所は郷土文化を知る重要な手がかりだ。しかしこの神社は普段訪れるそれらとは根本的に異なっている。何もなさすぎるのだ。
「はあ、東京の人は変わってらっしゃる…」
「か、変わっている…?」
「ええ」
「でもまあ、小春が後を継いだら…」
神社から読み取れないのであれば、直接人から文化を聞き出すまでと、長年の研究で培った民俗学者の血が楠村を駆り立てる。
「お二人はこの島の出身で?」
「ええ、私は」
「わたしは沖ノ鳥島です」
「この人は婿入りなんですよ」
「ああ、なるほどなるほど!しかしまあ珍しいですね、私てっきり神社というから、奥様が嫁入りされたとばかり…」
「ええ、うちの家系は代々女性しか生まれなかったもので」
「それは失礼いたしました!デリケートな話をしてしまって…」
「いえいえ、教授さんですから、なんでも聞いてくださって結構ですよ」
「ええ、お気になさらなくて大丈夫ですよ」
「小春もね…女の子に生まれてしまって」
「そうですね、しかしそうなると、小春さんが失踪してしまって、お父様もさぞかし心配でしょう…」
「…いつまでも子供ではないですから」
「お父様、なかなか厳しいですね。やはり一人娘で、神社も継がせなければとなると厳しく育てざるを得ないのでしょうか?お母様は物腰柔らかいですが…」
「時には厳しく接していかなければと、お陰でいい子に育っています」
「ですが結果として失踪してしまっていますが…お父様は何か知らないのですか?」
「…子供ではないですから、一人で勝手にやっていますよ、しっかり」
楠村はもう一度父親に対して質問するが、はぐらかしているのか本当に知らないのか、答えは変わらなかった。落ち着いた様子の父親に対して、楠村は納得いかない様子だったがこれ以上の追求は無駄と考えたのか話題を変えた。
「そう、ですか…部外者でありながら踏み入った話をしてしまい、申し訳ない。
よければ最後に記録として神社の写真をとってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
女系の神社、やはり長年の研究で育んできた勘は間違いなかったといささか踏み込みすぎたことを反省しつつ、情報収集の作戦を変えてよかったなどと考えつつ、手早く楠村は神社全体を一通り撮影した。
そろそろ切り上げようと踵を返すと、そこには小春の母親が立っていた。
「…そういえば、先ほどお伝えし忘れてしまったのですが、実は粕谷さんは小春の婚約者だったんです。もしかしたら粕谷さんならなにか知っているかも…」
「そうだったんですか!まあ、それなら後で実佳さんが粕谷さんと話に行くといっていたので、今頃何かしら聞いているかも知れませんね」
「ならいいのですけど…」
「しかし、お母さんは小春さんのお友達とはなにも話していないのですか?」
「ええ、結婚式の準備で忙しく、挨拶程度しかお話しができなくて…」
「なるほど…それはすみません。そしたら一応私のほうからも実佳さんに伝えておきますね」
「お願いいたします」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
「教授―!!!」
するとそこへ、息を切らしながらほっせほっせと美香が駆けてきた。
「ああ、実佳さん、いらっしゃったんですね」
「はい、先ほど友達に話を聞いてきて、近くだったのでそのついでに」
「ちょうど今お母様とその話をしていて、粕谷さんが小春さんの婚約者だったとか…」
「そう…だったんですか…」
「知らなかったのですか?」
「ええ、聞いてませんでした…」
「ごめんなさいね、言うのが遅くなってしまって…」
「実佳さんは小春さんの居場所、何かわかりましたか?」
「いえ、それが分からなくて…でも、少し前までピーちゃん風邪を引いてたみたいで、それに最近はよく海の方に行っていたというのを聞いて、これから海の方に行って誰か見て人いないか探しに行こうと思ってます」
「ああ、ちょうどその方向なら、先ほど駐在さんと漁師さんに会いましたよ」
「ほんとですか!」
「ええ、もしかしたらまだいるかも知れません。聞きにいきましょうか」
楠村はついでに先ほどの神社がないといった虚言に関しても問い正さなくてはと軽く拳を握り込んだ。
「はい、行ってみましょう!」
「それではお邪魔しました」
「ええ、お気をつけてくださいね」
「…お気をつけて」
そうして楠村と実佳は駐在と漁師に話を聞くため、神社を後にした。
駐在と漁師に話を聞くために海辺へ向かった楠村と実佳は、駐在所の扉を叩いた。
「ごめんください」
「戸田さんじゃないですか。久しぶりじゃないですか。」
実佳に気がついた不浄はヴァルターの方に向けていた体を実佳の方へ向けにこやかに話し始めた。
「お久しぶりです。」
「こっちに戻ってきてたんですね。」
「はい。友達の結婚式だったんで。」
「どうしたんですか。こんなところにきて。」
「ちょっとお聞きしたいことがあって。」
「はぁ。」
「あの、飛鳥井小春見てませんか。」
飛鳥井という名前に聞き覚えがあるのか不浄は表情を一瞬崩したが、すぐに表情を戻し話し始めた。
「飛鳥井?飛鳥井…、飛鳥井かぁ。飛鳥井さんは、場所、知ってるかもしれません。」
「あ、本当ですか。」
「でも、教えられません。」
一瞬喜びかけたのも束の間、不浄の言葉に実佳は目を丸くした。
「え、どうしてですか?」
「それは、言えません。」
「警察なのに、そんな、失踪を隠すようなことしていいんですか?」
「あなたが探すべきじゃないんですか?」
「そうですよね。」
「そういわれてもねぇ。お金が出ない限り、私もそんな動きたくないんですよ。」
不浄を責めるように楠村と実佳が問いただすが、不浄は情報を言うつもりがないのか、依然としてはぐらかすだけだった。
「この人、何言ってんだ?」
「でも、居場所知っているなら、お母さんにだけでも教えてあげた方がいいと思いますよ。心配してると思うんで。」
「でもなぁ。ヴァルターさんは何か知ってる?」
思い出したかのように不浄は隣に座っていたヴェクターに話しかけた。ヴェクターは突然話しかけられたことに驚きながらも口を開いた。
「私もしらない。知らない人のことなんか詳しくないです。」
「そっかぁ。」
「まぁ、神社の奥の方にいたような気がするけどなぁ。」
「神社の奥って、土地ありました?」
「ただの獣道、くらいしかなかったと思いますけど。」
「確か自分、神社の周り見に行った時に、神社の奥だと崖の方面だったと思うんですけど。あそこに風強い日なんかに行ったら、人、危ないんじゃないですかね」
「そうですよね。てか、どうして知ってるんですか。」
「まぁ、何とか知ってるっていう感じですかねぇ。」
「まぁ、とりあえず、探してみるといいですよ。私はこれ以上あまり手伝うことはできませんし。ここの人たちとはあまり関わりたくないので。」
「そうですか。すみません。ありがとうございました。」
不浄との会話を終えた実佳はヴァルターに話しかけた。
「あの、少しお聞きしたいんですけど。今って漁とか、大丈夫ですか。」
「まぁ。」
実佳はヴァルターにも質問を投げかけた。
「飛鳥井小春っていう、二十代ぐらいの女性が海辺によく来てたって聞いたんですけど、知りませんか?」
「いや私、この島の人、あまり詳しくないので、ここに人に人あまり来ないので見たこともないです。」
「そうですか。」
「さっきお話聞いた時も、島に来たのが最近の方だったみたいで、実佳さんはお会いしたことないですか。」
「ないです。わかんないです。」
「あ、ないんですね。小春さんという方は知らないんですか、ヴェクターさんは。」
「うぅん、そうですね。この島の人はあまり知らないです。」
「駐在さんしか知り合い、いないんですか?」
「そうですね。」
「ここだとなかなか、小春さんの話は聞けそうにないですね。」
ヴァルターとの会話でめぼしい情報が得られないと考えたのか楠村は実佳に話しかけた。
「そうですね。」
「別の港行ってみますか。」
実佳も同じことを考えていたようで、別の港へ行くことを提案した。
「港、他にあるんですか?」
「港、他にあるんですか?」
「漁港はここだけなんですけど、神社の裏、崖になってるじゃないですか。そこらへんも少しは。」
「あるんですか。」
「はい。」
「では、そっちの港の方に行った可能性もあるんですね。」
「はい。」
「じゃ、沿っても見てみますか。崖の方面は、自分も軽く見ただけなんで。じゃあ、実佳さん一緒にそっちも見てみましょう。」
「はい。」
次の行き先を決めた2人は駐在所を後にし、もうひとつの港へと向かって行った。
――戸田と楠村が再び不浄たちに会いに別れた直後、粕谷と乾井の間にはしばしの間、気まずい沈黙が流れていた。
「なぁ粕谷本当に何も知らないのか?お前と飛鳥井さん従兄弟だろ?」
粕谷の言葉に疑問を抱いたのか、乾井が口を開く。
「まぁそうだねぇ、従兄弟、そういえば乾井には言ってたっけ僕と小春が婚約してるっていうの」
「一応聞きはしたけど」
「婚約者だから連絡は取っていたけど、なんだかなぁ。小春肝心な所で何も言わないから。僕もよくわかんないんだよなぁ」
婚約者だというのにどこか他人事のように振る舞う粕谷に乾の苛立ちは募っていく。
「海行ったり、なんか駐在さん?だっけと連絡取っていたような気もするし。どこかふらふらほっつき歩いて咲葵さんにばっか迷惑かけてるし何やってんだろうなあいつは。」
「そんな言い方はさすがにないだろ」
「そう?」
とうとう我慢できなくなった乾井は声を荒らげたが、粕谷は気に求めていない様子だった。
「仮にも友達だし……いや、俺が何かを言うことは出来ないけどさ」
「まぁ僕は僕なりに小春のこと心配してるから、ちゃんと探してるのは知ってるだろ?」
小首を傾げながら粕谷は乾井の顔を見つめる。実際、粕谷が小春のことを探していることを乾井は知っていた。
「それに、小春が見つからないと咲葵さんが心配するからなぁ」
「咲葵さん咲葵さんって、お前咲葵さんのことばっかだな」
「そりゃあ、幼い頃からずっと一緒だったし」
「もういいよ。俺は俺で探すから」
婚約者である小春が居なくなったのにも関わらず、咲葵さん咲葵さんと繰り返す粕谷に苛立ちが募った乾井は声を荒らげた。
しかし、粕谷は一切興味無さそうに「あぁそう。わかった」と呟くだけだった。
乾井と別れた粕谷は咲葵の元へ訪れた。
「こんにちは、咲葵さん」
「こんにちは。小春、見つかった?」
「いいやあ?さっき乾井とも話してたんだけどさっぱり見つからなくてさ」
「そう。ごめんなさいね、探すよう頼んでしまって。あなたしか頼りがなくて」
「僕は咲葵さんのためだったらなんだってやりますよ」
「ありがとう。何かあったらまた連絡してくれると嬉しいわ」
心から咲葵のためになりたいのだろう、先ほどまで乾井に見せていたような表情とはうって変わり、無垢な存在のような笑顔を咲葵に向けていた。
「一応私の旦那も探しているんだけど、なかなか見つからないから。だからまた探してね小春を」
「もちろんです。なにか情報が入ったらまた連絡します」
何かを思い出したかのように咲葵が声を上げた。
「あ、あと乾井さん……?って方にはあまり近づかない方がいいわ。教授さんと小春の友人さんにも伝えるつもりなんだけど、乾井さんって人、小春のストーカーらしくて。小春の話を聞く限りなんだけど」
「なるほど。咲葵さんが言うならそうなんでしょう。わかりました。肝に銘じておきます」
楠村と歩いていた戸田の歩みを、チャットの通知音が止めた。ポケットからスマートフォンを取り出し開いてみるとどうやら乾井からの連絡のようだった。
『戸田さん、実はひとつ気になってることがあって』
『どんな?』
『駐在さんと飛鳥井さんが連絡をとってたみたいなんだ』
『そうなの?さっき話し聞きにいったらすごい怪しそうな感じだったんだよね。ありがとう』
『駐在さんには気をつけた方がいいかも』
「実佳さん誰と連絡とってるんですか?」
突然歩みを止めた戸田が気になったのか楠村が小首を傾げる。
「あ、えと。乾井さんっていう友人の結婚式であった……あ、さっき話聞きに行った友達です」
「なるほど。何か言われたんですか?」
「駐在さんがぴーちゃんと連絡をとってたっていう。気をつけた方がいいっていう話を」
その言葉に納得したように楠村が言葉を続ける。
「なんか怪しげな方でしたもんね」
「そうですよね」
「なにか知ってそうな」
「感じですよね」
戸田と楠村はお互いの顔を見合わせ頷いた。
「とりあえず裏の港行きますか?」
「行きましょうか」
「案内お願いします」
「ここが裏の港なんですね」
「はい。結構岩場なんで気をつけてくださいね」
「ありがとうございます。美佳さんも、自分体強いんで全然肩とか使ってもらって大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
人気の無い砂浜には、船がいくつか並べられているがそのどれもが使われなくなったもののようで、動いた形跡もなければ、いつから人が乗っていないかもわからなかった。
「港から人が出た痕跡はなさそうですね」
「こっち側結構岩が出てるんで、こっちから船で出たりしたら座礁しちゃうのかなって思いますね」
「この港ってなんのためにあるんですかね?」
「こっちはなんでしょうね……昔使われてたんだと思いますけどね。今はあっちの、駐在さんがいる方がメインなのかなって感じです」
「記録として自分写真とかとってもいいですかね」
「どうぞどうぞ」
スマートフォンを構え、パシャリと音を鳴らしながら楠村が写真を撮っていく。どんどん港に進んでいく楠村を横目に戸田は反対側を探し始めた。
めぼしい収穫もなく途方に暮れていると、戸田の後方から楠村の声が聞こえてきた。
「ミカさん!なんか港の方に、最近のものですかね、これキーホルダー落ちてたんですけど」
「え、見せてください」
「あ、よかったら」
楠村の手の中にあったのは、戸田と小春が修学旅行の際にお揃いにしよう購入したキーホルダーだった。
「これ、ぴーちゃんと私のお揃いのキーホルダーです」
「ほんとですか?最近落ちたような痕跡に見えるんですけど」
そのキーホルダーは砂浜の砂はついているが、一切劣化している様子はなく最近落ちたものと考えるのが妥当だった。
「そうですよね」
「港に人が出た痕跡は無い」
「これ修学旅行のときに、京都に行って買ったやつなのでこの島の皆は同じの買ってないと思います」
「あんまり被らないってことですよね?となると小春さんのものと考えるのが妥当」
口元に手を当てながら楠村はブツブツと思考をまとめているようだった。
「ですね」
「なんでこんな所に落ちてるんだろう」
「ここに小春さんが来ていた。これを駐在さんが知っていたということになる」
「可能性としてはありますよね」
「やはりあの駐在さん何か知ってそうですね」
「でも問い詰めても話してくれなそうな感じでしたよね」
「そうですね……」
「…それにしても——あの二人は、本当に崖へ向かったのか」
狭い駐在所の隅でカラカラと音を立てながら扇風機が回っていた。飛鳥井家には深く関わらない方がいいだろうに——不浄は案ずるようで、しかし一方ではどこか嘲笑するかのような調子でそう言った。
「なあ、どうだろうな。ヴァルターさん」
年寄り扇風機よりも大人しい声で飛鳥井家への畏怖をぽそりと口にしたヴァルターに、不浄は組んだ腕でぐっと身体を縮こませながら「そうですよねえ——」と同意した。
「同感した」、と言っても良かった。
「あの神社に行くのはあまり良くはない。昔ながらの悪い風習があそこにはあるからね…だから——」
だからはぐらかしたのに、本当に行くなんて——不浄は困ったもんだと、憐れむような顔こそ変えず、しかし今度は呆れたようにそう言った。
薄汚れたモルタルの壁に老扇風機が風を二、三度吹き付けたあたりで、居住まいを正した不浄がとろんと垂れた目を隣へ向け、そういえば、と切り出した。
「ヴァルターさんが最近やってるっつう『宗教』? てのは、どうなんだい?」
ウーン、と考えこんで間も無く、彼は「結局、全然…アマリ、良クナイネ…」と、言葉を詰まらせながらもそう言葉を紡いだ。
「コノ島ノ住人ハ、殆ド興味ナイ、ミタイネ。首尾、ヨクナイデス」
「ふうん」
不浄はそこでぴくりと眉を跳ねさせた。
「——飛鳥井家の誰だったか、ヴァルターさんの宗教ってのに入ってった、とか聞いたけど…」
「宮司ガ積極的デシタカラ、彼ハ入教サセマシタ」
「はあ——そうなんですか」
暇つぶしか、はたまた興味を示したのか。不浄はどちらとも取れるし取れない態度で「他に誰か入信させよう、とかってのは?」と尋ねた。
「一応持チカケテハ、イルケドネ…今ハ、アマリ興味ナイミタイネ。入ルカドウカハ、マダ分カラナイ」
そうですかあ、不浄は空気が抜けたような相槌で応えた。
〇
無警戒に話す二人だったが、屈強な五十代と若さ故の有り余る体力を見誤ったか。既に崖から戻ってきたらしい二つの人影が、結果としてはこの胡散臭い駐在と謎めいた外国人の怪しさ満点の会話を盗み聞きするに至ったのだった。
「——教授、なんか話してるみたいなんで、ちょっと近くに寄って…盗み聞きしましょう」
戸田の奇妙な提案を受け初めは眉に傾斜をつけていた楠村だったが数瞬ののち、
「…まあ、あの二人の話は自分もちょっと聞いてみたいですから…しま、しょうか」
そう言って提案を呑んでいた。
はい、という戸田の返事を合図に、体勢を低くした二人は高く茂った草木に紛れつつ、朽ちかけの駐在所へ近付いて行った。
その距離二十メートル。盗み聞きに気付かない中老警官と異邦人は元気におしゃべりを続けているようだった。
「…なんか、宗教…?」
「…って聞こえますね。この島って宗教あるんですか?」
問うたがしかし、楠村はその疑問の答えを自分自身でよく理解していた。
「…いや、でも、そうか。神社ですよね」
戸田は首肯した。
「はい、神道だけです。聞いたことないですよ」
結んだ口からなるほどと零しながら、楠村は顎に手を当てていた。
「…なんか、怪しいですね」
出身者である戸田すらそう言うほどの奇怪さに、楠村も徐々に引っ張られつつあった。
「そうですね。宗教…この島土着の信仰が神社に基づくのであれば、他の宗教の信者は島の歴史的に相容れないはず——」
ふと顔を上げた楠村の視線は、駐在所の椅子で暗い目をして座っている麦色の肌の外国人漁師を捉えた。
「…彼が、その新興宗教の関係者、ということなのでしょうけれど…」
背後の戸田は神社の宮司について言及した。
「——ピーちゃんのお父さんは、この村の長も神社の宮司もやっているんです」
「ならば尚更——他の宗教が混じろうものなら、反しますよね」
戸田の眉間にはこの上なく不安そうな皺が畳まれた。
「怪しいことばっかりで、ピーちゃんのことも、結局何もわかりませんでしたね…」
彼女が取り出したキーホルダーを食い入るように眺めていると、次第に楠村教授は漠然とした変な予感と焦燥感に駆られてきた。
「崖に行って見つかったコレが唯一の痕跡…そして、崖に行ったという駐在さん——」
おしゃべり中の駐在を、再び木々から垣間見る。
「…自分としては、不浄…あの人が関与しているとしか思えません」
戸田はゆっくり俯き、砂地と顔を向き合わせた。
「乾井さんが言ってたみたいに、あの…粕谷さんも、何かを隠していたようで…」
怪しい。
戸田の用いたその形容詞に、楠村の疑問は増幅するばかりだった。
「…小春さんのご両親もですよ。実の娘がいなくなったにも関わらず、あの落ち着きよう…明らかに異常でしょう」
それから数秒ののち、二人は駐在所に背を向け、草木の陰を後にした。
戸惑いなく晴れる空に指した暗い何かを、二人は苦い顔をして味わうことになった。
「結局、ピーちゃんはどこに——」